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教育分析の日に

スピリチュアルなことと心理学というのは、常に近くにある。だからこそ、ともすれば大切なことがぼやけてしまいがちになる。

最も勘違いされやすい分野の一つでもある。元々、宗教があって、そこから哲学が生まれ、さらにそこから心理学が生まれたとも言われている。

さらには、その心理学を純粋に学ぼうとすると、今は統計学の道へ外れてしまう。『こうすれば人に好かれる』とか『こうすればもてる』だとか、『よく見られる』とか。

それらは全て統計学に基づいて書かれるノウハウ本なのだろうけど、実はそれを読みあさっている人が想う人は、その統計に入っていない可能性が大。

多くの人が、こういう場面に遭遇した場合にこう思うから、こういう行動を取りなさい、こういうふうに見せなさいってのははずれる。

そうしてうまく行かないものだからこそ、そういった本がよく売れるのだ。

実は”誰か”というのも、”みんな”というのも、この世の中に存在しない。少なくとも、誰かを愛する時は皆そうだ。

人は誰かをちゃんと好きになる時、初めて自分を顧みるものだから。そこに偽物を見たり、本音を見たりする。その”好き”というのが、何かからの投影で、とりあえず何かに夢中になりたいとか理想象を見つけて安心したいという浅はかなものでなければ。

”個人”は統計学の中に入っていない。ノウハウ本に当てはまる人はこの世に存在していない。実は誰もがその行間の中にいる。

どこかに書いてあったことを、あたかも自分の言葉のように語る人の話を聴いて、そんなことを思った。

スピリチュアルって位置に話を戻すと、カードをめくる占い師やセラピストが、自分自身を浄化出来ていないと、占う相手のことを読むことは出来ない。そこには自分自身を投影したカードしか出ない。

頼んでもいないのに『あなたのことをリーディングしました。』という件名のメッセージを読んでピンと来ないし、『結構です』と言うのは、私だけじゃないと思う。

『依頼』という壁は、とても大事な一枚目の壁。相手が乗り越えることを待てない人は自分から壁を倒しては動き回り、依頼主を探す。果ては頼んでもいないことをする。

はて。そうまでして依頼主を求めたり、断られては落ち込む自分とは?

いったい何をしているのか?何故、そんな気持ちになっているのか?

問いかけたり癒したりしなければならないのは、誰なのか。

まずはそこからなのだと思う。

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