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錯覚

嫁と姑問題というのは昔からよく耳にするのだけど、婿と姑問題というのを最近よく耳にする。
婿と言っても30代40代の余程の良い大人の話だ。中には50代もいる。

お婆ちゃんとしては孫の面倒をみるのは楽しいのだけど、娘夫婦がある程度ちゃんと見てくれておらず本腰を入れ、まるで我が子を育てるかのように接するとなると相当疲れる。何せ年だから。

さらには、その婿さんがマザコンだったりすると、姑である彼女をこきつかったり甘えたりと、自分の母親のようにこき使うそうだ。ある時は自分の母親と比べて「どうしてこうしてくれないんだ。」と本気で抗議したり怒ったりするという。
思い通りにならないと「出ていけ。」とか。

そんな家では休まらないと、誰もがその状況下では言う。私と同年代の人たちの話である。

子供が数人居ると「もう京都の息子の家に行こうかな?」とか、転居を考える人もあり。

ここまでで婿という立場の人の勘違いにあきれていたわけだが、ふと思う。もう一つおかしいことがあるなあ・・・と。

居心地が悪い家庭を出て行こうとしたとき、何故、別の子供の家へ移ろうと言う選択肢しかないのだろう。何故一人暮らしをしようと考えないのだろう。まあ、それも年齢の問題なのだろうか。

「そうそう、一人で暮らしても何も面白ないし、誰の役にも立ってないってことが浮き彫りになるんですよ。」

なるほどなと思いつつも、何故そこまで嘆くのかが分かる気がした。婿さんなんてどんな人格でも姑には関係ないはず。自分の夫ではないのだから。
それなのに「出て行け」と言われて落ち込むのは言われる側にも、どこか関係性の錯覚が生じているのだろうなあ。

私が同じ立場なら一人で暮らすだろう。誰かの役に立っていなければ生きていてはいけないなんて、それはどこまでも自分を苦しめる錯覚でしかない。

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