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議論して良いことと悪いことがある

今日は意識が無い人に対して『本人の意志を推察しましょう。』というバカげた会議が開かれた。

『点滴しない方が楽だと思う。』と。

ご家族様のご意向なのに多数決?

いったいどこから話したら良いのか分からないが今のご状態で点滴をしているから痰も取れやすいし、皮膚の脆弱さも防げていることを説明した。

『何もしないのが一番』と信じ込まれていた時代は、褥瘡どころか抹消の指が壊死して苦しんでいる人々も沢山居た。

今はご希望に沿って終末期を安楽に迎える方法がいくらでもある時代。それを『推察』で語るという狂気の世界だった。

もちろん全ての介護職員がそう言っているわけじゃないのだが、一人そういう人が居てスピーカータイプだと周りへの影響も大きい。特に自分の意見はないがそこに便乗して騒ぎたい人も居る。

『みんな勉強して来ていますよ。この施設では、こうなんです。』

その勉強が昭和頃で止まっちゃっているんだよな。あと、この施設のみで働いて云十年のままだから。

理解者・・・というか、普通の人々が居て良かった。

施設長も「いったい何言ってんの?」と割って入り大分説明してくれたのだけど、腕組みして足を組んで聴いている始末。どこか嬉しそうなんだよね。何せゲームだから。

何でも良いから長く人と議論したいだけ。

そういう人に限って口腔ケアの一つもやらない。何もしない楽を選ぶ。

心すさむ一日だった。

もし利用者様や家族が『点滴も何もしないで』と言ったら?もちろんしない。その範疇で安楽に過ごす方法を駆使するだけだ。

しかし、その人はその場合でも何もやらないだろう。利用者さんの方に目を向けるよう誘導しても、常に自分が注目されることだけを考えていて誰かが新しい情報を持って来るとまた『この施設ではそんなことやらない!』と大騒ぎするするのだろう。

残念ながら、折れてあげられない。

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