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運命ではない

昨日の夕方、職場でカタカタ打ち込みをしていると、夜勤入りのKちゃんが出勤して来て言うことには『申し込んで来たよ。にゃんこの譲渡会。』と。

と言う事は夜勤明けで行くということ?何時に予約?などという会話をしてから一晩明けた今朝。

昨日『10時30分の予約で場所は○○。』と言っていたことを思い出す。どー考えても間に合わないんだけど。

職場と自宅の中間地点だから、もしかして待ち合わせかな?と思ってソワソワ仕度をしていたのだけど、回答は一度帰って来てから自転車で出発とのことだった。仕事中だったから私が聞きそびれたのだろうか。

と思ったら、Kちゃんもソワソワしていて言いそびれたのだとか。

ほどなく玄関のチャイムが鳴ってKちゃんの娘さんがやって来た。三人で自転車で出発だ。

可愛い猫ちゃんたちに遭えた。しかし私より二人の方が無我夢中で喜んでいた。

が、どうにもこうにも、決めてしまいたいけれど、何だろうな。

居心地よく幸せに暮らしている子たちを観ていると、引き離すのが嫌になってしまったというのが半分。運命の子ではないというのが半分。
でも、Kちゃん親子のどちらかが気に入った子が居れば『それならば我が家へどうぞ。』と歓迎する気でいた。

しかし、二人とも決め手にかけていたようだ。この子!という想いはなかった。物凄く可愛くて喜んではいたのだけど。何だろうね、この気持ち。

別の譲渡主さんのところへ行こうかとも考えたけれど、うちに上がり込んで来て評価されるかと思うと躊躇する。

猫が住むには充分だと思うし、何なら自分の家なので猫の通り道を空中に作ってあげても良い。が、他人が見分に来るとなると、ちょっと違うかな。
猫愛でやっている人ばかりだというのは分かるけど、ちょっと猫のことのみを考えている人とはあまり接触したくない。何故ならばその方々が考えている幸せが必ずしも猫にとって幸せなことだとは思わないから。

譲渡とか里親とかいう体験はしたことがなく拾って来たり訪ねて来たりの子たちばかりだったからな。とにかく人間と同じで千差万別。おもちゃじゃない。『欲しい』とか『譲りたい』などのワードを聴くとちょっと鳥肌が立つ。← 人間嫌いなんか。

それはともかく、ずいぶん大きくなって大人びたKちゃんの娘さんと3人で猫と一緒にお茶出来て割と楽しい日曜日だったのだ。ああ、なかなか良い出会いがないな。(双方に)

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