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話半分

不満や怒りを溜め込んだスタッフと接していると心が荒れ荒れになってしまうわけだが、思えばこれまでの仕事での疲れというのはここに集約される。よくよく考えてみれば、私は仕事自体は好きなのだった。何か微力でも役に立てることがあればやらせて貰えたいと思っていると依頼が来る。
それが何をやっている時も凄く嬉しかった。

しかし仕事をしに来ているわけじゃない人たちに振り回される。その方々というのは社員の顔をして職場に来るものの、どうやったら人を操れるか?どうやったら人を貶めて自分だけを見てくれるか?あるいは誰が友達や味方になってくれるか?と、そんなことばかりを考え、どんなことばかりのために活動しており、仕事はそれを成し遂げるために道具でしかない。顧客はどこへ行った?

そんなことをしているわけだから友達なんて出来るはずがないし、言うことにもやることにも一貫性がない。状況によってあっちへついたりこっちへついたりと忙しいものだから『なんか、疲れた・・・』と被害者ぶった気持ちになっておられる。知るか。

あまり有効ではないのかも知れないが、その方々との付き合い方についての考えをまとめてギュッと短くすると「気にしないこと」に尽きるのかも知れない。

しかし、その方々というのは、じーーーっと人を見詰めて執着する。じっと観察しては勝手に不安定になったり他人様を試したりすることで忙しく、例えば40年、50年、60年生きて来たとて学んで来たのはそのくだらない目的を達成するためのツールだけだ。『私を見て下さい』と。

そうなると、もはやその道のプロなのであの手この手で覆いかぶさって来たり足をひっかけたり。何してるん?

これはもう、いつかも書いたけれど、そんな中でやるべきことを出来るだけやって来た自分やその周辺の仲間を褒めたたるしかない。だって無理じゃろ、普通。

もっとああしたかった。こうしてあげたかった(患者や利用者に)。そう思っても出来る限りのことをしているよ。

話半分でも良いというよりは、話半分にしなければならない相手というのが確かに存在するのだ。それを辛いだの嫌だの言っても仕方がない。

何はともあれ休日の夕方に、やめよう、考えたり思い出したりするのは止めて、自分の時間を楽しもう。

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