脚がパンパンだ

今日は道路横断して退院する患者さんを迎えに行った。マイホームと認識してくれている施設へ戻って来てくれるわけだけど、もう治療の手立てがないと言われてしまった。それで昨日から憂鬱だった。

お看取りの人を迎えに行くわけだ。その先も何度も経験している。

通常ストレッチャーに乗って退院しなければならない人をお迎えに行く時は介護タクシーか大きなバンで行くわけだが、どうして施設長と二人でストレッチャーを押したり引っ張ったりして道路を横断しているのか?というと、病院があまりに近いからだ。

隣接している提携病院ではない。道路を渡って50メートルほど進んだところにある病院だ。近いと踏んでなめていたが、ストレッチャーでボコボコ道を進むのは案外骨が折れた。道というのは見た目ほど平ではないのね。特に困るのは右傾斜。帰りには左傾斜。

二人でおっとっとっと・・・と進んでいるうちに何だかおかしくなって来てしまった。少し笑った。

そうだ。とにかく進め。行く先にどんな悲しいことが待っていようとも。既にここまでの医師たちの彼に対する扱いを観て心が傷ついていようとも、疲れ果てていようとも。

そうして病院に着いて、彼に対面したら、何と意識があった。『○○さんっ!』と叫んでしまった。『わかる?!』

『わかるよう。』

喉乾いた?

『乾いたよ。』

早く帰ってジュース飲もうね!

そして、再び施設へ帰るために進む。行きの道よりも慎重に。

彼は、病院で何も食べず何も飲まず、薬も飲めなかった。

お看取りとは何もしないことだと勘違いしている世の中だから。

しかし、施設へ帰ってジュレ状のジュースを食べた。300㏄。プリンも食べた。

何と言う意味のある前進だったことか。

今夜かも知れない。週明けには居ないかも知れない。けれども、生きているんだ。

そんなふうに『もう出来ることがありません。余命一ヶ月です。』と言われたお婆ちゃんが隣の部屋でもはや半年を迎えている。

ここのところ、少し怒っている私が居る。ちょっとしたことをやってくれない医師や、身寄りが無いと聞いた途端に塩対応になる医師たちに。

でも、そんなことはどうでも良い。彼は生きたいから生きている。だから、一緒に進む。

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