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らしさ

心の中が烈火のごとく怒りで燃えていても、そのまま出さないのが特技でもある。

なので、とある専門職の男性が利用者さんを指さして「もうこの人のここ、治らないんでしょ?」と発言したことについても、淡々と述べた。忘れているかも知れないので、場面をありのままに回想すべく再現し、「といったことは止めていただきたいんです。」とお願いした。

静かに淡々と言うからこそ余計に恐ろしいとよく言われる。でもね、努めて冷静に言わないと大変なことになるのよね。

しかし彼は自分がここに勤続何十年だとか、それに比べて私は数か月だとか、そう言ったことを喋り始め、論点はどんどんずれて行った。
おまけに女に、新人に、他の職種にと、あれやこれや条件をつけては、とにかく自分の方が偉いのにそんなことを言われてショックだと宣われていた。

いや、ショックなのは目の前で言われた利用者様とその人を大事に思っている職員の方なのだけど。自分の傷の痛みだけを主張するのがこの手の人だ。

「もういい。辞めますよ。」にまで発展した。「もっと自分らしくいられるところに行きますよ!」と何度も言っていた。

これは非常にデジャブである。
この”自分らしさ”と言う言葉。

人は何か自分の都合通りに事が運ばなかったり、他人が自分のことをセルフイメージ通りに観てくれない時に歯がゆさを感じてよく「自分らしさ」という言葉を使う。

おそらくは、その人が思う自分らしい自分とは素晴らしい自分のイメージなのだろう。人に称賛されたり賛同されたり羨ましがられるなどのイメージなのだろう。

でも、そんなふうに「自分らしく」ある努力は必要ない。何故ならば、同じようなことをしでかしたのが何十回目。
要するに、このパターンに走ってしまう。このパターンとは、無神経なことを言ってしまう自分であったり、認知症だから分からないだろうなどというおごりを持つ自分であったり。
既に周囲の人々は知っている。これが彼らしさなのだと。

何か一つの出来事に遭遇した時に、どんな反応をするのが一番多いのか?それがもろにその人らしさを表している。

私らしくとか俺らしくいられる場所ってな言葉を皆使うが心配ない。どこに行っても相手と場所を変えて同じことをしてしまう。それがその人らしさ。周りのせいじゃない。

さて、こんな偉そうなことを言っている私らしさとは何か?そのまんま。
鬼だと言われる。嫌だと思う。本当は優しいんだよと内心自分を庇ったりする瞬間もあるが。
抵抗するのは止めよう。

私は、ある特定の場面で、完全に鬼になる。

嫌だろうが気に入ろうがそれが自分の一部だったり全てだったりするものだ。

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