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打ち切り漫画家2.0 松井勝法さん - インタビュー #07|turning point

今回お話を伺った方
松井勝法さん:漫画クリエイター

<松井さんのターニングポイント>
17歳 『るろうに剣心』を読み、漫画家になりたいと思う
22歳 ジャンプで初連載が始まる
34歳 東日本大震災のボランティアに行き、漫画家としての意識が大きく変わる

ニシグチ:松井さん、出身は三重でしたっけ?

松井さん:そうですね。三重で生まれて北海道に住んでいた時期もあるんですけど、小学5年生から高校卒業までは三重です。

ニシグチ:漫画とか絵は好きだったんですか?

松井さん:はい。幼稚園の頃から絵は描いてましたね。

ニシグチ:何を描いてたんですか?僕はドラゴンボールとかキン肉マンなんですけど。

松井さん:僕もそうでしたよ。でもそういう既存のキャラクターを描き出したのは小学校に入ってからで、幼稚園の時はオリジナルのロボットをずっと描いてました。テレビもあまり見れなかったし、何かで見かけて覚えているものを適当に。でも特徴的だったのが、絶対どこかが壊れていたんですよ。腕がもげてたり。

ニシグチ:心理的な何かが出てません?それ(笑)

松井さん:いや、普通の子供でしたよ(笑)ただそれがかっこいいと思っていただけで。ひたすらどこかが欠けてるロボットを描いていた記憶がありますね。

ニシグチ:へぇ〜、そうなんですね。じゃあ昔から知っている人は「やっぱり漫画家になったんだな」って思ってる感じですか?

松井さん:多分そうでしょうね。

ニシグチ:で、そこからも絵はずっと描いていたと?

松井さん:いや、中高生の時はそこまで描いてないです。オタクだと思われるのも恥ずかしかったし、と言ってもそこまでオタクでもなかったんですけど。普通の漫画好きのジャンプを毎週買っている高校生でした。その時代のジャンプは面白くて『ドラゴンボール』や『スラムダンク』、『幽☆遊☆白書』、『ろくでなしブルース』、『ジョジョ』・・とりあえず載ってる漫画全部読んでましたね。

ニシグチ:僕も読んでました!全部面白かったですよね〜。

松井さん:そうなんですよ。で、高校3年生になって進路を考え出した時に漫画が好きだということを思い出して。しばらく読んでない時期があったんですがまた久々にジャンプを読んだんですね。そしたら『るろうに剣心』が始まっていて、それを見て衝撃を受けまして。「こんな漫画を描きたい!」と思ったんです。

ニシグチ:あ、これは1度目のターニングポイントですね!そんなに衝撃的だったんですか?

松井さん:はい、初めて憧れた漫画ですね。おしゃれだったんですよ〜。
それまでジャンプの漫画って汗臭かったり、シンプルなバトルが多かったけど『るろ剣』は華やかで。絵もうまかったし。今までのジャンプにはなかった世界観で、初めてあんな漫画を見たんです。それで漫画家になろうと決めました。

ニシグチ:確かに言われてみるとおしゃれですね。
で、漫画を描いて応募したとかですか?

松井さん:そうです。それしか方法が無かったですし。
ジャンプに投稿募集のページがあったので、手塚赤塚賞が年に2回、月例賞(連載している作家が審査員をして賞を与える)は毎月ありました。で、一番締め切りの近かった月例賞に出しました。高3の夏に。

ニシグチ:それってどんなものをどれくらいのボリュームで描くんですか?

松井さん:31Pか45Pが決まりでした。ぼくは31Pを原稿用紙に初めて描いて出しました。「るろ剣」の刀を持ってない版のような漫画を。とにかくあの世界観に憧れていたので(笑)パクりにならないように。

ニシグチ:いきなり描けるものなんですか?だって絵を描くのと漫画を描くのって違うじゃないですか。お話を作らないといけないので。

松井さん:いや、すぐ描けましたね。もともと漫画みたいなものは描いていたし、真似事の延長戦で描いただけですよ。『るろ剣』を描きたかったけど、そのまんまは描けないからそれに似たような雰囲気で自分なりに置き換えて描いただけで。単純にさらわれた女の子を助けにいくというオーソドックスなやつです。なのでこの時点では生み出す苦労はなかったですね。生みの苦労は2作目以降からですね。

ニシグチ:真似で作れるのもすごいですよ。そして結果はどうだったんですか?

松井さん:落選しました。正直、絵は得意だったし自信もあったんですよ。これは入選するなと。で、ワクワクして発表の号を買って見たら名前がなくて。「おかしいぞ。最終候補にも残ってないなんて・・」と驚きました。締め切りギリギリに出したので、来月に回されたと思いこんだくらい(笑)

でも、その夜にジャンプの編集者さんから電話が来て「賞は取れなかったけど、君は見込みがあるから僕が担当するよ」と言われたんです。新人の編集者は自分が担当する漫画家を探すことから始めるので、賞から漏れた新人にも声かけていくんです。それで連絡をもらいました。「担当するからネーム(ストーリーを確認するための下書きのラフ)を送って」と言われ、冬休みにもう1本描いて送りました。それが月例賞で佳作を取ったんです。

ニシグチ:おお〜、2度目で!それで上京した感じですか?

松井さん:高校卒業後はしばらくバイトをしてたんですけど、そのうち「東京来る?東京でアシスタントしてみたら?」と誘われたので19歳で上京しました。

ニシグチ:アシスタントって・・具体的に何をするんですか?

松井さん:アシスタントは背景を描いたり、消しゴムかけなどの仕上げですね。大体どこもキャラは作家さんが描いて、残りの背景や効果線をアシスタントが描いてます。最初はジャンプで連載をされていた先生について、その先生の連載が終わったら次の先生、そしてまた次の先生、という風に転々としてました。

ニシグチ:そうなんですね。なかなか聞けない話なんで面白いです!
それをしながら自分の漫画でデビューを狙うんですよね?

松井さん:そうです。22歳の時に自分の連載が決まったのでアシスタントを辞めました。とにかくジャンプで描きたかったので嬉しかったですね。ジャンプ以外漫画じゃないと思ってたくらいジャンプっ子だったので。ジャンプに載るために毎週打ち合わせに出版社まで通いつめて、もう受け付けでは顔パスになるくらいでした。

ニシグチ:すさまじいジャンプ愛・・。連載が決まった時のことって覚えてますか?

松井さん:もちろん、今でも覚えてますよ〜。「決まったよ」という電話が来て編集長に挨拶に行ったんですけど、うれしくて電車を乗り過ごすくらいポーっとしてましたね。当時の編集長が業界では有名な方だったので興奮しながらお会いしました。

ニシグチ:夢が叶ったんですもんね。デビュー作はどんな漫画だったんですか?

松井さん:『ロケットでつきぬけろ!』というフォーミュラカーレースを題材にしたものです。連載はしたものの1話目からアンケートが良くなくて、デビュー作は10週で打ち切りになりました。1発目から売れる人もいるんですけど、大体皆最初は失敗するものなので、ぼくも「まあ、そっちのパターンね」くらいにしか思ってませんでした。それから読み切り1本挟んで、2回目の連載が始まります。

ニシグチ:やっぱり厳しい世界なんですね。でも2回目に割とすぐ行けたんですね。

松井さん:そうですね。2回目は2002年のW杯に合わせてサッカー漫画を描きました。それも10週で終わったんですけど・・。

ニシグチ:おぉ・・。それがいくつくらいの時ですか?

松井さん:24歳です。で、そこからが長かったんですよ。
なかなか企画も通らないし、お金もないしで行き詰まって。アシスタント生活に逆戻りしました。アシスタントで生活費を稼ぎながら、ひたすらジャンプで3回目の連載を目指して描いては持って行ってを繰り返してましたね。ジャンプで3回目ってなかなかチャンスがないものなんですけど、僕はそれをなんとか掴もうとしてたんです。

ニシグチ:その間ってかなり辛かったと思うんですけど、腐らずにできたのはどうしてですか?

松井さん:いや、だいぶ腐ってたと思いますよ(笑)
「なんでこの新人が連載を始めるのに自分は始められないんだ」みたいなことを思ってました。でも単純に僕自身が2回も連載を経ておきながら全く成長できていなかったし、当時描いてた企画もどう考えても面白くなかったんで、今思うと当然ですね。

ニシグチ:あ〜・・渦中にいると見えないですもんね。
そこからどうなっていったんですか?

松井さん:ある日、昔の担当者がビジネスジャンプ(現:グランドジャンプ)という部署に異動していて「最近どうしてる?」と連絡をくれたんです。原作があって作画する人を探していたみたいで。オリジナルじゃないし、ジャンプでもないけど、このままじゃいけないなと思ってお受けしました。それが『ソムリエール』というワイン漫画です。21巻まで続いたので、計6年半くらいやりましたね。28歳の時から。ドラマ化の話も途中何度かあったくらい結構売れました。その間に自分のオリジナルの読み切りも何本か描いたりしながら。

ニシグチ:それであの漫画だったんですね。この10年で雑誌や本が売れなくなってきてるって言いますけど、その影響はあったんですか?

松井さん:あったと思いますよ。『ソムリエール』を始めて3〜4年目くらいから雑誌が売れなくなってきてるのを感じていました。でも僕自身は毎日の原稿を描くのに精一杯で、そこまで業界全体の危機を自分ごとに感じていなかったんです。そのうち単行本の売れ行きも落ち着いてきたので「そろそろ終了しようか」となったのが2011年、34歳の時でした。

ニシグチ:ついに終了・・次の展開に向かうわけですね。

松井さん:はい。で、その頃に東日本大震災があったんですよ。テレビでその映像を見てすごくショックを受けて、何かしなきゃと思ったんです。でもすごく売れているわけでもないし多額な寄付ができるわけでもなくて、もどかしい思いをずっと抱えていました。
そんな中、勝村さんという格闘家の方が岩手県の釜石にボランティアに行くツアーを募集してるのをネットで見つけて、全然知らない人だったけど参加したんです。次回作は格闘技漫画を描こうと考えていたタイミングもあって。

その頃僕自身漫画家として行き詰まっている感じもあったんですよ。『ソムリエール』が終わることが決まり、またオリジナルを描いていくことになったわけだけど、その時に自分が成長していないことに気づいたんです。スキルも上がり実績も積んできたけど、僕自身が描く漫画はデビューの頃と何も変わってない。そんな中での震災、ボランティアでした。

現場について津波の跡を見て、そして家族や友達を失った人たちがいて。僕は今までそんな辛い思いをした人たちに会ったことがなくて、ただただ目の前にあるリアルに圧倒されました。これまで漫画業界の人としか付き合いがなかったし、漫画の中で扱っていた人の死や痛みとかも全部ただの想像だったなって思ったんです。今まで自分が描いてきたものは全部嘘だったなと。本当に人のことを思って描いていなかったなと。

ニシグチ:そこまで・・すごい体験だったんですね。

松井さん:はい。そこまで有名じゃない僕が行っても「漫画家が来てくれた」と喜んでくれて、そこで初めて「もっと売れたいな」と思いました。もっと僕が有名になれば、もっとこの人たちの力になれる。もっと有名にならなきゃいけない!強くなりたい!と、この時本当に心から思ったんです。

ニシグチ:まさにターニングポイント・・。

松井さん:そうですね。この人たちや世の中にいる他にも辛い思いをしてる人たちに楽しんでもらえるものを描きたい、そのために漫画ってあるんだなと。今まで「こうしたら売れるんじゃないか」とか、なんとなく自分が漫画家になりたいから描いていただけで。でもこれからは人のために、人に勇気を与えられるものを描こうと、そこで強く思うことができました。初めて本当に心から「漫画家」になろうと決めたんです。

ニシグチ:か、かっこいい・・!
そしてその後は女子格闘技漫画『ハナカク』の連載、さらに紆余曲折を経て現在の活動、新時代漫画家生存戦略『打ち切り漫画家2.0』、インスタでフォロワー3万人を超えるSNS漫画『小動物系奥さんとぼくの小さな日常』と続くんですね。
松井さん、非常に盛り上がって来ましたがすでにボリュームがすごいので・・今回は特別に前半後半に分けてお伝えしたいと思います。続きは後半でお願いします!

というわけでみなさま、続きをお楽しみに・・!

【お知らせ】
そんな松井勝法さんが8月17日(土)岩手県釜石市で自主イベント『マンガフェスタ!』を開催します。

このイベントに向けて現在クラウドファンディングに挑戦中です。
プロジェクトページはこちら

漫画家として漫画を描くだけにとどまらず、漫画を通して被災地やたくさんの人たちと交流を重ねる松井さんの活動に、どうかご支援よろしくお願いいたします!

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話を聞いた人:上司ニシグチ
撮影&ライティング:UNO
バナーデザイン:秋山楓
撮影場所:SHINCRU

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<取材を終えて>
「同じコワーキングスペースの会員」というきっかけで、仲良くさせていただくようになった松井さん。以前から色々とお話は伺っていましたが、ここまで詳しく伺ったのは初めてでした。初回の取材のときには、私がミーハーな質問(「鳥山明やゆでたまごと会ったことありますか!?」などw)ばかりしてしまい、UNOさんから「ちゃんとインタビューしてください!」とお叱りを受けたぐらい、ジャンプに熱中していた世代の私としては、まさにその戦場でバリバリ活躍されていた松井さんのお話は勉強になることばかりでした。松井さんの現在に至るまで、漫画コンテンツをどのようにして展開してきたのか、これからの展望などを詳しく紐解いていきますので、次回も乞うご期待です。

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"platform"はクリエイター同士が集い、ユニットを形成し、発信をする場所。クリエイター限定のいわば「ひみつ基地」。クリエイターがユニット(マガジン)ごとにコンテンツを発信していきます。すべてのクリエイターのための、新しい発信拠点がここに。