見出し画像

「人」を主体とした言葉による移動 (モビリティー)のカタチのつくりかた #暮らしたい未来の都市

 Plat Fukuoka cyclingは福岡がbicycle friendlyな都市(まち)となるために必要な戦略を考えています。

 今回は、土木学会とnote主催による「#暮らしたい未来のまち」の投稿コンテストを機会として、暮らしたい未来のまちにおける自転車を含めたモビリティーがどのようなカタチでつくられていってほしいかをエスキースしました。

 これまでのPlat Fukuoka cyclingは下記の目次よりリンクしていますので、ご覧ください。

0.Plat Fukuoka cycling vision
1.Copenhagenize Index2019を読む
2.Plat Fukuoka books&cycling guide
3.Plat Fukuoka cargobike style
4.Fecebook ページ
5.Instagramページ
6.twitterページ
7.Plat Fukuoka cyclingの本棚(リブライズ)
-------------------------------------------------------------------------
 Plat Fukuoka cyclingのこれまでのすべての記事の冒頭にbicycle friendlyについて、宣言文のようなかたちで下記のテキストを掲載しています。

bicycle friendlyというと「自転車にやさしい都市」となると思いますが、私は「自転車がやさしい都市」になってほしいと考えています。それは歩行者に対しても、バイクやバス、自家用車…つまりは都市に対して、自転車がやさしくできる都市でありたいと思うのです。

 Plat Fukuoka cyclingは、人びとの暮らしが自転車の利用により、より豊かで、誰もが暮らしたい未来の都市の風景になってほしいと考えています。
 今回は、暮らしたい未来の都市へと、私たちがどのような思考でもって進んでいくべきかを考えました。

○様々なモビリティーの相克を超える方法とはーシアトル市民連盟Seattle Neighborhood Greenways「街路を安全にするための議論を前進させる用語法」より

 電動キックボードのように、日々新しいモビリティーツールが実装をされ、未来の暮らしの一部がみえ始めています。これからの未来において、私たちが考えなければならないのは、歩行者、自転車、バスや鉄道などの公共交通、自家用車という既存モビリティが行き交う都市空間で、さらに新しいモビリティーツールが加わったとしても、誰もが安心して、移動できる未来の都市でなくてはなりません。
 この課題について、アメリカのシアトルの市民連盟Seattle Neighborhood Greenwaysが2015年に発表した「Let’s Talk About Safe Streets(街路を安全にするための議論を前進させる用語法ー)(1)」の記事から考えます。

-------------------------------------------------------------------------------------
(以下はリンクサイト:https://seattlegreenways.org/blog/2015/01/06/lets-talk-safe-streets/の内容を筆者が意訳しております。転載等する場合は本サイトのプライポリシーを参照ください)

○街路を安全にするための議論を前進させる用語法

 言葉は強力です。
 私たちが日常的に使用する言語には、人々の世界に対する考え方を変える能力があります。交通における暴力に関する言葉を再構成する、という私たちの考えは、全国的に定着し始めています!
 それでも、多くの報道機関や都市でさえ、予防可能な衝突を「事故」と呼んでいます。そうすることによって、それは私たちの交通システムの避けられない副産物として、交通事故死を組み立ているのです。
 実際には、これらの死亡は避けられるべきものであり、多くの場合、1950年代の自動車指向の技術社会構造及び、ドライバーによるものです。
 原因が調査される前に、メディアが“traffic collisions”を“accidents
(「事故」)”とラベル付けすることは、偏見であり、ジャーナリズム的に乱暴なやり方です。

 社会で使われる言葉を中立的な言葉に変えることで、例えば「衝突事故」を「車を運転している人が歩いている3人にぶつかる」と表現することで、交通システム上起こるべき現象であってはならないことを教えてくれます。

 理解のある地域のリーダーと支持者による私たちの連合は、何千もの会話を通して、言語がエンジニアリングのジブリッシュを切り抜け、私たちの共有された人間性につながることを学びました。

 この便利な表はどの言語が共鳴し、何が共鳴しないかを抽出しています。
 パブリックミーティングでは、物事が熱くなることはしばしばです。これらの会議で、私たちのリーダーは、身近な言語を使用してその地域の問題について話し、人々とそのニーズに焦点を当てることが重要であることを学びました(家族を育てる静かな通り、バス停まで歩いて、子供を学校まで安全に送る交通手段など)。
 言語は絶えず進化しています。私たち全員が、私たちの言語を気にする方法について他の提案がある場合は、info @ seattlegreenways.orgに連絡するか、@ SNGreenwaysにツイートしてください。
(意訳はここまで)
-------------------------------------------------------------------------------------

 「Let’s Talk About Safe Streets」に掲載されているチャート表では、「Bikers(自転車)」が「People biking(自転車に乗っている人)、「Pedestrians(歩行者)」が「People wolking(歩いている人)」というように、移動を「人」を中心に発想した言葉に置き換えています。

 これは異なる移動手段であっても、「人」がそれぞれの移動ツールで移動しているのであり、その移動ツールの性能や走行ルールがどのような現象を引き起こしたのかを、抽象的な言葉ではなく、「人」を中心とした言葉に置き換えることで、誰もが安心して移動できる都市、特に道路のデザインへ反映させようという試みといえます。

「人」を主体とした言葉による、移動(モビリティー)のカタチのつくりかた

 「Let’s Talk About Safe Streets」のように、都市の移動方法については、 移動ツールの名称だけによらず、「人」を主体とした言葉を用いることで、多様性と寛容さを獲得した上で、移動のカタチをデザインする必要があると考えます。

 移動ツールを「人」を主体としていくと、日本で自転車にまつわる言葉も違ってみえてきます。宮田浩介氏『「サイクリング」「サイクリスト」のフレームの外へ』(2)にて、言葉のなかでも外来語の翻訳の注意点を下記のように述べています。

 cyclingは「サイクリング」に限らない、あらゆる自転車利用のことだ。スーパーへの買い物もそうだし、誰かに会いに行くのに使うのもそう。ある瞬間に自転車を利用している人は誰でも英語のcyclistに該当するが、日本語の「サイクリスト」からはこぼれてしまう。
 そのフレームにおさまらない自転車利用の豊かさこそ日本が世界から注目されている点なのに、である。
(中略)
 英語のcyclistでさえ、しばしばcyclingより慎重に使うべき語とされる。例えば筆者が関わったCycling Fallacies(自転車利用についてのよくある誤解)の翻訳では、人と行為を固定的に結ぶのではなく回避し「自転車で移動中の人」といった形いけば、う内部ガイドラインで指示している。
 『最新 心理学辞典』の「集団間関係」の記述に沿っていえば、これは「脱カテゴリー化」の手法である。人は「自己が所属していることを自覚する対象」すなわち「内集団」をひいきし、そこから外れた「外集団」に対してはステレオタイプ化を行ったり偏見を抱いたりすると考えられている。drivers / cyclistsのような「集団」フレーミングは、不毛の対立の温床にもなりうるのだ。
 こうした弊害を意識した言葉の使い方は、SNS時代にはますます重要になってくるだろう。(後略)

 ロードバイクで高速で走る人も、街角でも見かけるママチャリで買い物をする人もサイクリストなのです。「人」を主体とした言葉でもって自転車を利用する人を見まわしてみましょう。「人」それぞれで使い方や車体の形状、荷物の積載方法、そして身体的な条件による速度など、自転車の姿は単一ではないことがわかります。自転車政策においても、こういった多様な自転車の姿をきちんと把握して上で、取り組んでいかなければならないということになると考えます。

 上記は自転車だけに限った話ではなく、これからのモビリティーに関する計画や実装においても同じことが言えるでしょう。「人」を中心とする言葉で整理することで、モビリティー全体で各移動ツールに対する多様性と寛容さが生まれ、様々な移動ツールが道路空間において、共生できる道が開けると思うのです。 
  ビリティー全体で各移動ツールに対する多様性と寛容さが生まれると、移動の概念も変わってきます。これまで、自動車による移動を円滑にすることを移動を最大の目的として計画されてきた「道路」という空間が、様々な移動ツールが、人々の多様性と寛容さでもって行き交うための「公共」空間へ(3)変貌するのです。

 当然、様々な移動ツールを、誰もが安心して移動できるためには、限られた道路空間をどのように再配分するのかの包括的なデザインが必要になることは明白ですが、簡単に結論や理想を出せるものではありません。

 ただ、誰もが安心して移動できる道路という公共空間があり、誰もが安心して様々な移動ツール(このなかに自転車も含まれる)を選択できる都市が、Plat Fukuoka cyclingが考える暮らしたい未来の都市です。

---------------------------------------------------------------------------------
〈参考文献等〉
(1)「Let’s Talk About Safe Streets」Seattle Neighborhood Greenways,2015/1/6 https://seattlegreenways.org/blog/2015/01/06/lets-talk-safe-streets/
(2)宮田浩介氏『「サイクリング」「サイクリスト」のフレームの外へ』(『Critical cycling』2020.7.12 http://criticalcycling.com/2020/07/how-you-can-represent-cycling-and-cyclists/ )
本記事の中で、上記の「Let’s Talk About Safe Streets」も紹介されております。また、Plat Fukuoka cyclingが福岡にて上映会を実施した映画『WHY WE CYCLE』についても言及されています。
(3)道路空間が、単なる移動の空間から、人々が移動しながら交わる公共空間となるという考えは、Plat Fukuoka cyclingの#01MOVE(移動)→TRANSPORT(交通)by Bicycle!にて、三浦丈典氏の著書『こっそりごっそりまちをかえよう。』にある「交通という場所」という考え方。人々が、ただ目的に向かって高速で車が走り去るような「道路」ではなく、歩行者や自転車、公共交通がバランスがとれたゆとりある「街路」という「交通という場所」という場所が「公共空間」を指すのではないかと改めて感じます。

#暮らしたい未来のまち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?