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ようこそ、装う30代

「自分を自分で肯定しよう」
そんな話を聞くたびに、こんな私にどれだけの価値があるのか、と疑問が湧いてくる。

それなりに名のある大学に入って
勉強にサークルにバイトに学生生活を謳歌するところまではよかったのに、
就職活動をしてみればぱっとせず
小さいころ思い描いていたイメージからは随分色あせた20代を迎えた。

周囲の優秀な友人たちに比べて名もない企業、低い年収のさえない仕事。
なんとなく付き合い続けてしまった彼氏、そのままいけば結婚できるかもしれないけれど満足感の少ない恋愛。
凡庸でぱっとしない毎日を閉塞感のなか過ごしていた。

周囲のきらきらした友達にみじめだと思われたくない。ここから抜け出すためにはどうしたらいいのか。
私が持っているカードはどれも弱すぎる。
自分の持っているカードどれも平均以上にしなくては。
「幸せそうな私」を装うために、カードを強くしなくてはいけない。
就活だって恋愛だって家族だって、ただいるだけの「私」をふるい落とすから。

仕事というカードなら自分でどうにかできるかもしれない。「他人に誇れる仕事」というカードを得たくて、努力した。
転職活動に精を出し、有名な企業の冠がついた会社に潜り込んだ。
最初は特別良いポジションではなかったけれど
飛んで来た豪速球も、あるいは誰かが取りこぼしそうな球も、泣き喚きながらも何がなんでも拾った。こんな東洋の魔女戦法で職場でのポジションも得た。

そうして仕事カードを強化したわたしは、彼氏カードを捨てた。
最初あんなに輝いていて一生大事にしようと思っていた彼氏カードなのに、いつの間にかイライラの原因にしかならくなってしまった。
次は彼氏カードを強化しなくてはいけない。
新しい出会いを求めてアプリや街コン、KPIを決めて行動はしたつもりだ。
けれど、より強い新しいカードはなかなか手に入らない。

PDCAを回し、うまくいっていないところを直し、直線的に目標に向かって努力をしながら、
「すべて平均以上のカードを持つ社会人」を装おうと必死だった。
それでも、カード全てを強くすることはなかなか難しい。カードを1枚強くできたところで別のカードの弱さが気になる。埋めても埋めても、弱点は埋まらない。

カードは結局「人に提示する自分」でしかない。カードを持っている自分そのものの欠乏感は無くなることはなく、小さな欠損だらけの自分は膝を抱えて眼前に流れていくぼんやりとした日々を眺めているだけだった。

「こんな欠損だらけの自分をそのまま愛してもらうことができたら。」
そんな最強のカードがほしいと願うけれど、願うだけで手に入らない。
いともたやすくそんなカードを手にしている人もいるのに、私に足りないのは何。
美貌?知性?戦略性?虎視眈々と狙うあざとさ?

いや、本当は気が付いている。
足りないのは自分へも他人へも思いやる目線。
色眼鏡で周囲を見て、周囲の人のカードだけ見て羨んでいる。
カードを持つその人の苦しみも、努力も、本質は何ひとつ見ないふりして。

20代の間、羨望と卑屈を繰り返し続けて
そうしていたって自分が満たされるわけじゃないって、もうわかってしまった。
これからは誰かに羨まれそうなカードを揃えるのではなく、しなやかな自分を、せめて装ってみようじゃないか。

装う、
お気に入りの服を、長い睫毛を。
少しでも鏡の中の自分を素敵だと思えるように。

装う、
ひとりだって心豊かに過ごしている生活を。

装う、
旧い規範などにとらわれない、先進的な女性を。

「自分のことは自分で肯定するしかないよ」
どこかで耳にしたような声が自分の中で響く。

こんなもんでオッケーだな、と小さく諦めることが自己肯定なのだろうか。
自己肯定にはどこか諦めの匂いも漂うけれど
装うことには諦められなさが滲む。
似合った「装い」ならば、その装いが自分の本質になっていくことだってあるのだろうか。
自分の身体で実験をしてみようじゃないか。

ハロー、30代の自分。

* * *

デスクトップを片付けていたら、誕生日付近に書いた文章がぽつりと残っていたのを見つけた。

デスクトップでは肥しにもならないので、今更ながらここに置いておく。


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