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自分を知ることでスタートラインに立つ

すこし間が空いてしまいました。
ご無沙汰してます。諸事情あり、また数週間入院しておりました。
リアルタイムのことも書きたいけれど、まずは書きたいままに遡って記して行こうと思います。

今回も長めな文章ですが、よろしければお時間ある時に、読んでいただけたら嬉しいです。

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というわけで、SHINON3本目の記事です。

|はじめに

自分を知ることは全ての知恵の始まりである。ーーーーーーーー
by.アリストテレス

有名な哲学者の言葉ですが、自分を知ることって、難しいよねって思います。「表面的な知る」ということではなく、「自分の根っこや本質の部分と向き合い、知ろうとすること」ってすぐにできることではない。

自分を本質で知る方法として例えば、メジャーリーガーや敏腕実業家が、日々の出来事や、頭の整理の為に物事をすべて紙に書きだすことで自己分析をしたり、禅の心で瞑想を通して自分と向き合う方法を耳にします。

身近なところで言えば、受験や就活時の自己PRだって、自分をどう説明したら良いのか分からず参考書を買ったり、セミナーに出た人も少なくないのではないでしょうか。とにかく、どんな人でも自分自身を本質から知るということ、知ろうとすることは、難しいことなのだと思います。

私は「自己PR」は正直得意な方でした。自分自身を他者に伝えるということです。今まで経験してきた様々な面接で、評価を高くもらうことが多かったし、自分を理解し相手に客観的に話す事も苦手ではなく苦も無く出来てしまっていたんです。

いえ、できていると思っていました。でも、それは「本当の意味で自分を知る・知ろうとする」。ということとは、全く違いました。

それに気づいたのは、病気を発症してからです。

「自分のきらきらしたポジティブな部分だけ、相手にどう思われたいか、どう思われるように接しているか、どういう反応が返ってきているかの表層的な部分の話」ではなく、
自分のいやな部分、見たくない見られたくない部分、知られたくない、隠しておきたい、どす黒かったり、薄かったり、とにかく包み隠していたかった、本質の自分
も、みるみる露わになってきて、向き合わざるを得なくなりました。

その経験を通して、以前の自分より自分自身を「知る」様になりました。すると自分を含めた世界が一変しました。

グレーで平面的に見えていた世界が、様々な尺度で、幅で、色で観えてきて、カラフルに立体的に色付いていく感覚を知っていったんです。

|生活の質は自分を知ることで高まる

どんな未知の病が襲ってきても、自分自身の身に起きていることは自分が一番分かっているはずです。それは学術的な、頭でっかちな理解ではなく、ここが痛い、ここが気持ち悪い、ここが動かない、つらい、など、直感として受け取る、本能の声の事です。
もちろん、通常の状態も、異常な状態も知っている自分だから、比較して分かる事も沢山ありますよね。

それを、現代では病院の医師に伝えることで間接的に自分の体を知ってもらい、膨大な現代医療のデータの中から、統計的に病名を当てはめていき、類似した症状、検査結果を総合的に判断して、治療が開始されます。

病院に行き、どうしましたか?と医師に聞かれ、不調を伝える。何か大病なんじゃないだろうか、いつもと何かが違う、いつもより辛い、しんどい、そんな不安な気持ちを抱えながら、とにかく診てもらいたいという思いで行くのだけれど、医師と言えど私を知らない他人です。うまく伝わらなかったり、時には、相手にしてもらえない、なんてことも経験しました。

今回お伝えしたいことは、病院に行くことや、人を頼ることが悪いと言いたいのではなく、きっかけはどうであれ「自分を知ろうとするか、しないか。それによって生活の質、ひいては生き方が私は大きく変わったよ。」という話を書いていきたいと思っています。

|おことわり

まずここで、先にことわっておきたいのは、私は自分のことが分かっていますよ、と言いたいわけではありません。また、自己防衛の為にこの様に書いたのではなく、むしろ、31年生きてきても、まだまだ日々分からないことで溢れています。自分なのに、毎日知らないことが発見される。だからこそ、面白い。人って不思議です。 

他人から見える自分と、自分が見ている自分は一緒でしょうか。
違うでしょうか。

他人から見える自分を気にするあまり、その自分になろうとする自分がいて…なんて哲学的な?精神的な?話をしたいわけでもありません。ただ、「自分を知る」という扉は、きっかけが違えど誰にでも用意されている物で、気づくか気づかず生きていくかで、私は人生が違った、あなたはどうですか?という話がしたいんです。

|入院をイベント的に感じていた時

あれは、体の異常な不調がはじまる8年前の秋。その時の私は23歳就職一年目のぴちぴち若造でした。

冒頭の通り、私立中学、高校、大学を卒業させてもらい、入社面接も高評価でクリアし、念願の志望企業へ入社していました。順風満帆な新卒の一人だった様に見えるけれど、今思うと恥ずかしいくらいに世間知らずの自分知らず。そして、自分を知ることをしてこなかった付けが、どんどんと滲みよって来ていました

新卒1年目の秋、各所と相談して、このタイミングで持病のアレルギー検査の為に検査入院することになりました。

入院といえば、幼少期に扁桃腺摘出で兄弟で入院をした事を最後に、十年以上ぶり、成人後初の事でした。

低層で古い建物がなんとも言えない雰囲気を醸し出す国立病院へ3泊4日は、この時の私には非日常の経験で、不謹慎だけれど、どこかわくわくしていました。
もちろん、慣れない入院生活と検査の日々に不安を感じつつ、心をざわつかせながらも、検査が終われば当たり前にまた日常がやってくると、何も疑うことなく、私とは普段縁の無いところ、と

どこかで考えてイベントの様に時を過ごしていました。

退院から、ほどなくして徐々に体調の歯車が狂いだすとはこの時は全く予想していなかったんです。

|自分を知らず病が突然やってきた

春に就職してシステムエンジニアの卵だった私は、少しずつ仕事にも慣れてきた頃、季節も冬になっていました。

数日、きりきりとした腹痛が続いていました。自分でいうのは、これまたおこがましいですが、元来朗らかでポジティブな性格。胃腸も強い自負があったので、ストレス性の胃腸炎なんかとも無縁と思っていました。

社会人生活は日々学びの連続で、もちろんひよっこなので大変なこともあったけれど、配属部署でも上司や先輩方に可愛がってもらい、刺激的で毎日がとにかく楽しかったんです。そんな中で青天の霹靂ともいえる症状出現。

あまりの痛みに脂汗を浮かべることもあったので
「ウイルス性の胃腸炎かなあ、仕事休むの申し訳ないなあ、でも周りにうつしてしまってはいけない!」
そんな気持ちで半休をもらい、近くの胃腸内科にかかりました。

レントゲン撮影、採血、採尿等の検査。すぐに色々調べてくれたけれど、目立った異常はなく、症状から急性の胃腸炎と診断がつき服薬と休養で様子をみることになりました。

|自分を知ろうとせず医師の話を鵜呑みにする

病院で診てもらったし、よくある症状と言われたことで安心して、数日薬を飲んで休暇をもらいすぐに元気に職場復帰する予定でした。でも、状態はどんどん悪くなったんです。寝ても覚めてもおなかが痛い。。

具体的には嘔吐に下痢、立っていられない程の倦怠感。脂汗が滲み動けない程の腹痛は日に日に回数も時間も増えていきました。

通勤の為に電車に乗ろうにも、腹痛でめまいが起こり、何度も途中下車をする状況で出社も難しくなっていきました。

幸いにも痛みに波があったので、腹痛がマシなタイミングを見計らって、ふらふらと再度病院へかかりました。症状が改善しないこと、酷くなっていることを伝えました。脱水がひどかったこともあり、点滴と再度いくつか検査を進めましたが、結果は同じ。

「最近寒くなったでしょ、胃腸炎流行っているんだよね。この間の薬は合わなかったのかも知れないから、別の少し強い薬に変更するね。」
なんだ、薬が違ったのか、もうしっかりしてよ。そんな思いで、でもどこかまだ安心して、家路につきました。

自分が感じ取っている異常なまでの腹痛やその他の症状も、自分の内から発せられているSOSのアラートを無視し続けたんです。
知ろうともしませんでした。

専門家である医師が大丈夫と言っているし、病気を知っている人が流行り病だと言っているから、心配ない。そうやって自分に言い聞かせるようにして、そして当たり前のように納得して、言われた通りに内服をつづけました。

でも全然、薬が効かないんです。

症状が出始めて1週間と少しを過ぎた頃、さすがに疑いの気持ちが芽生え始めました。会社へも、出社してもほとんど丸くなってデスクに向かうか早退、遅刻が増えていて、欠席の日も一日二日では無くなりました。

普段通りの生活が送れない、会社にも迷惑を掛けてしまっている事、信用をどんどん失っていっているように感じて、精神的にも追い込まれていきました。

|自分を知るための旅のはじまり 

当時、一人暮らしで、実家から出ていたこともあり、親に心配をかけたくない気持ちで不調をわざわざ報告することは無かったのですが、養護教諭の資格をもつ母の顔が浮かび、さすがに現状を伝えました。

ほどなくして、母とセカンドオピニオンを受けることになりました。そこでも、同じ診断、違う薬を出され、最終的には
「就職一年目で精神的にきついことも増えているのでしょう。胃腸科でできることはここまでです、精神科を紹介します。」と言われました。

私はこの時も、もちろん不調が続いていて、ぐったりとしていたこともあり、ただ呆然と医師の言葉を聞いていました。

が、母が「この子は、親の欲目を抜きにしても精神的に患うような性格の子ではないと思うんです、もう一度よく診てもらえますか」と伝えると、
「そう言われましても、大きな異常がないんです。うちではもうできることはありません、後はもっと大きな病院にかかってもらうのがいいと思います」そう言われ、紹介状を受け取って病院を後にしました。

精神病が悪いとか、偏見で言っているわけではなくて、私の身に起こっている何かが何なのか、それを「異常はない」として診断された事に愕然としました。私はこの身に異常が起き続けている事を知っている。
だけど、医師は検査をして医師が勉強してきた知識の中で当てはまらなければ異常はないと判断するんだ…。

はじめてここで、自分の身体に起こっている異常事態に自分で気付きました。『知り』ました。

他人が読み取れない、知ることができないものは、知らない、ではなくて無いと同然なんだと、気づいたのです。

生きる力が少しずつすり減っていくような、光の見えないトンネルに入ってしまった、そんな大きな闇の中へ崩れ落ちていくような、言葉にならない不安の渦に飲み込まれていきました。

そうして、ここから自分を知る為の旅が始まります

自分を知ることがいかに難しく、とても重要なことなのか、どんどんと実感していくことになります

長くなったので、次回に続きます。

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