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ある日、難病になって宇宙とつながった。

前回の記事で、自己紹介とnoteをはじめた経緯を簡単にお話しましたが、私の経験をお伝えしていく上で、外せないのがタイトルの通り【宇宙とつながった話】です。

いきなり、受け入れ難い話かもしれませんが、人生が新たな歯車に移った瞬間でもあったので、これは書かなくてはいけません。今の私と切っても切り離せない話なので、始めに記していきます。

ある日、宇宙とつながった

「宇宙」と「つながる」ってどういうこと?と思う方もいるかもしれないですが、そのままの意味です。それは突然の出来事でした。

ずっと前から知っていたような、懐かしい感覚でもありました。

ある日、私は散歩をしていて、ふと満月の空を見上げながら、宇宙とつながりました。

その時間は一瞬だったようで、数時間だったようで、時間ってなに?となる表現し難い時の流れの中にいました。

私は、宇宙で、宇宙が、私なんだと。
顔に当たる風も、聞こえてくる鳥の声も、シンとする肌寒い空気も、

人から発されるエネルギーも、エネルギーを出しているあの人も、すべてが私だと感じて、

私がここにいるようで、いないようで、私がどこをさし、誰をさし、ここをどこというのかわからない感覚になりました。

鳥が私で、私は鳥で、私は星を眺めていて、私は私を見下ろしていました。

星が私の中にあって、宇宙が私の中で感じられて、星は空で輝いていました。

とても不思議な感覚だけど、自然にそれを受け入れ、納得していたんです。

メッセージが止まらなくなりました

文章を読んで、不信感を持たれてる方もいるかもしれませんが、本当におこったのだから嘘偽りなく書いていくほかありません。

その日を境に、私へありとあらゆる方法で「メッセージ」が届きはじめました。

それを拒むと、無理やりにでも状況が作られていき、宇宙のメッセージが絶対なのだということを悟りました。

例えば、どんなに避けても赤信号に捕まってしまうこと。この日だけは絶対にやめてという日の大雨。同じ文字を何度も違う状況で見ること、複数の人に同じことを何度も言われること。

運でしょ、確率でしょ、たまたまでしょ、等々いろいろ思ったかもしれませんが、それらのことも全部宇宙と繋がったときに、意味があることを思い出しました。

メッセージの件数が凄まじくなったある日、私はまだギランバレー 症候群のリハビリ期間で、自分で自分の体もうまくコントロールできない状態でした。
特に足がまだ不自由で車椅子や杖が手放せなかったけど、そんなことも関係なかったんです。

宇宙とつながった私は、足が動かないことも、自分がつらいと感じることも、○○ができないと嘆くことも、すべて私のことで、私のことではない、そんな感覚になったんです。

当時は少し回復しても何度も足が動かなくなる症状を繰り返し、精神的にもかなり疲弊していた中でのリハビリでしたが、一人、車いすを押しながら、私は宇宙とつながり、そして、メッセージを受け取ることで、自由になっていきました。

まずはリハビリに専念

自分でも、説明がうまくできないし、人に話す時どうやって伝えればよいのかわからない。だけど共有したい。

はじめは数人の人に、とりとめのない状態で、これらの話を話してみました。

信用する人たちを選んで話したとはいえ、否定されたり変だと言われるのかなあと思っていたら、

これ口をそろえて皆、それはshinonが広く伝えていくべきことなんじゃないかと言ってもらうようになったんです。

みんな全く知らないような、言われてみれば知っているような、不思議な感覚だと言いました。きっと記憶の箱?に閉じ込められているのかもしれない。そう感じるようになりました。

それらも合わせてより、
大きな小さな宇宙の中で、全てが繋がっていると思うようになりました。

リハビリを懸命に進めた私は後遺症もほぼなく、自由に手足を動かせるように回復し、それと同時に「心と頭と体」、そして「宇宙がつながった」と実感するに至りました。

これらはまだまだ続きがあります。

文字でまとめていくのは、なかなか難しく読みづらいかもしれませんが、徐々に書きためていきたいと思っています。

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