心の遺伝子が生まれた、懐かしくて遠い場所
私が生まれ育ったのは、関東だ。
でも、両親が生まれ育ったのは、北海道だ。
子供の頃から、北海道の雪の話を聞いてきた。
子供の頃から、母の実家にある裏山の話を聞いてきた。
だから、だろうか。
私は、「今住む土地に根付いていない」という感覚が、強烈にある。
同級生は古い農家だったりと、土地に根付いているという感じの子が多かったせいもある。
また、私自身の「どこか浮遊する気質」のせいもあるんだろう。
――自分の周りの中に「属する場」を見つけられない。
相手が人だとしても、相手が土地だとしても。
「ここじゃない。ここじゃないんだ」
物心ついたときから、心の奥にいる自分がそう囁く。
私が属する場所は、もっと、遠くにある気がしてしまう。
そんな自分にピッタリの言葉を見つけたのは、中学校の頃だった。
「根無し草」
ああ、そうそう、こんな気分なんだよ、私は、いつも。
あんまりいい意味の言葉では無いというのに、その文字を見た瞬間、ばったり気心知れた友人に会ったように嬉しかった。
以来、自分の心が「根無し草」であることを、誇る。
その言葉の中にある「縛られていない」ことが、嬉しくて、しょうがない。
うーん、我ながら変な奴。
そんな「根無し草」は、今、無性にルーツを求めている。
心の何処か、奥底の方にある柔らかな部分が、強く、私の知らない私自身の過去に惹き寄せられる。
我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々は何処へ行くのか
――来年、北海道に行こう。
母方は函館にいた。そこには、行ったことがある。
父方は奥尻にいたらしい。それ以上、知らない。
体は平野の土と、地に根付く人々の間で育った。
心は北海道の雪と、裏山と、海の話によって形作られた。
私の心の遺伝子は、どこにある?
「根無し草」のルーツは、どこにある?
いつか、その答えを見つけたい。
そのためにはまず、自分が生まれたかもしれない場所からあたってみようと、ひそかに計画を練っている。
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