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イルーシブを求めて、未来の居場所へ辿りつく【読書感想】

湖が見えている。

見上げた岸辺には、人間よりも遥かに長い時間を生きる木々が巨人のようにそびえている。

青い静けさが靄のように揺らめいて、波打たない鏡のような湖面に、魂が吸い込まれそうな錯覚に襲われる。

しかし、この湖の上に存在するのは私ではない。

この目線は、アラスカという人と神が残した最後の地に自らの魂を委ねた一人の写真家と、一匹の狼に導かれ、広大な森へと一歩を踏み出した一人の写真家の目線なのだ。

しかし、その目線が私のそれにも重なる。

「いつか私はここに立つ」

決意ではない。

決心でもない。

そこへ行くための道筋さえ、見通しは立っていない。

ただ、漠然とした「確信」が、今の私の中に満ちている。

・ ・ ・

ここしばらくの間、小説が書けないでいる。

スランプというやつか、それとも、もっと絶望的なものなのか。

本当は長編を書きたいと思っている。プロットも作成し、登場人物が生きる風景さえ頭の中にあり、交わす会話はいついかなる時も聞こえている。

彼らには、もう命がある。小さな内側から飛び出すのを今か今かと待っている。

けれど、原稿用紙にしろ、ワードにしろ、「さぁやろう」と思った瞬間、指が完全に硬直する。

明日になれば現実に――仕事に戻るのだと思うと、躊躇ってしまう。

二重の世界に生きるのは想像を絶する苦痛だと知っているから。

ちゃんとオンオフを覚えなければいけない。だけど、集中ができない。襲い来る「日常」が怖い。その言葉さえ、言い訳に聞こえて、堪えようのない苛立ちが募る。

心の中のコップはギリギリだ。イライラは現実にさえ現れ、体調は崩れていった。

そんな中、ふと一つの写真に目が留まった。

蒼い湖、深い空、針葉樹の森が広がる湖の中心に、カヤックの穂先が見えている。

この目線を知っている―――クジラの骨の写真で、今も私の心に響き続ける星野道夫氏のように、まっすぐで、優しくて、真摯で。

でも、この写真を知らない。

生きる命を祝福するように、躍動的で無邪気な喜びに満ちた目線から撮られた一枚の写真。

その写真を撮った人の名前は、大竹英洋氏といった。

・ ・ ・

ページを開く。

今や土門拳賞を取るまでに至った自然写真家の若き日が、初夏に雲間から差し込む日差しのようなまっすぐな言葉で綴られ、私は見る見るうちに惹き込まれていく。

「自然と向き合う仕事がしたい」と思い立ち、初めてカメラを手にした卒業間近の青年がそこにいた。

カメラを手に取ったきっかけは、星野道夫氏の訃報。星野氏の死後に彼の写真に魅了された青年に、同じく星野氏の死後にその写真を見た私は一方的に共感する。

そうして、大竹氏は一つの決定的な「夢」を見る。読者にとっても印象に残る、とても明瞭な夢。

不思議な夢に導かれるようにして、彼は東京の図書館に行き、一つの写真集と出会った。

ナショナルジオグラフィックで高名な写真家、ジム・ブランデンバーグ。

彼への弟子入りを望んだ大竹氏は、大学を卒業してから、単身で彼の自宅を訪ねにいく。

—――日本ではほとんど知られていない、ノースウッズ(北米の森)へ。

ジムの写真集に書かれた撮影場所の地図を頼りに、高名な写真家の居場所を探りながら、すべてが未体験の旅へ―――。


大竹氏の細やかな目線と新鮮な感動に満ちた旅路は、ぜひ本書を読んでいただきたい。

ここからは、私が印象に残った言葉たちを引用していく。(作中で引用されている文献のものも含む)

そのため、本書の核心に迫るものもあるため、了承した方のみ下へといっていただきたい。














・有名な探検家(犬ぞりによる無補給北極点到達を達成)であるヴィル・スティーガーとの会話より

「極地探検の日々って、どういう感じですか?」
「シンプルなものだ。毎日起きて、歩き、食べて、寝る。それの繰り返しだ」
-中略- 
壮大な計画になればなるほど、単調な作業をめげずに繰り返していける精神力が大切になってくるのではないだろうか、と思ったのです。

・探検家になるにはという質問を少年から受けた、ウィル・スティーガーの回答

「なに、シンプルなことだ」と前置きして、こう答えたのです。
「Put your boots on and start walking!」(「ブーツを履いて、歩き出せ!」)

・作中引用文献【センス・オブ・ワンダー】(レイチェル・カーソン)

「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではない」
いまはその言葉を信じて、その日出会った花たちが、その瞬間に、どこでどんな色をして、どんなふうに咲いているのかを、じっくりと「感じる」ことに集中したのです。

・自然写真家・ジムとの会話

「良い写真がとれたときは、どんな感じがするものなのですか?」
「とにかくハードワークするんだ……。努力をする。その先に、ふっと、その瞬間がやってくる」
「それは……、降りてくるんだよ。こうやって。良い写真というのは、とてもイルーシブなんだ。捕まえようとしてもダメだ」
「Open your eyes—――まずは、目を開いておくことが大事だ。いろんなものに気づくためにね。そしてOpen your heart—―心を開いておくことが必要だ。頭で考えているのではなく、あるがままに感じ取れるように」
「それと、Open your calendar!—―予定を開けておくことも、大事なことだよ。」

・一つの旅を終え、もう一つの旅を始めようとする大竹氏の、想い

花は咲いて初めて、その存在を人に知らしめる。
ぼくもいつか花を咲かせてみたいと思う。
人がふと立ち止まり、この森と湖の世界について何か感じてくれるような花を。


言葉の一つ一つが、葉からするりと落ちた雫のように響き、沁みる。


イルーシブ、という言葉が作中に多く出てくる。

「幻のようにとらえどころのないもの」という意味の言葉で、警戒心が強くめったに撮影できない獣たちなどの枕詞として使われていた。

イルーシブは、きっと誰もが知っている。

表現者が、私達が求めてやまないけれど、決して手に取ることのできないもの。

それを求めて、何があっても諦めきれず、たとえ折れても折り切ることができずに、無様だとしても、文章を書こうとしているのではなかったか。

少なくとも、私はそうだった。そうであることを、忘れていた。

「読まれなければ意味がない」とか、「書いてもだれも読まない」とか、そんなことを気にする必要はない。

だって、花は咲くのだから。

蕾のうちに見てもらえるような花でなくていい。

小さな道端に咲く菫のような、それとも森の影の中で咲く名もない花のような、そういうものでいい。

それは必ず誰かの目に留まる。ふとした瞬間に留まるような、小さな小さな花であっても構わない。

そして、いくら焦ろうとも、今の私は「蕾」でしかない。

目を開こう、心を開こう、時間を空けよう。

どう頑張っても、あきらめない限り、花が咲く。

決してあきらめず、「ブーツを履いて歩きだした」冒険家がいる。

たった一枚の写真に動かされて、遠い地で写真を撮り続ける(そして撮り続けていた)写真家がいる。

私は、結局はそういう風に生きたいのだ。たとえ現状が、それが叶わないとしても、何をいらだつ必要があったんだろう……?

本を読み終えて、心にじんわりと言葉が染み渡る。

ゆっくりと瞼を閉じれば、表紙に撮られた湖の写真が、北方の混ざり気のない風と針葉樹の葉が擦れる音とともに現れた。

深い空の北米の森が写った写真—―ノースウッドを愛する大竹氏の写真とと、もう一枚。

青がかった霧に覆われ、静けさと神秘に覆われた森が奥にある。

湖面は青よりも灰色がかり、やはりそこにはカヤックの先がある―――星野道夫氏の写真。

物語はいつか現れるだろう。私が望もうと、望むまいと。

だから、わたしは物語を書けないことへの焦りに変えて、一つの目標を立てることにした。

カヤックを始めようと思う。

二人の写真家が耳にした森の声を聞くために、鳥の声を、水が擦れる音を、優しい風を、湖に生きる命の気配を聞くために。

ブーツを履いて、一歩を踏み出そう。どこに繋がるかわからない道を。


そうそう。偶然なのだけれど、私が「テーマ」にしている詩がこの本の中に引用されていた。

最後に、それを一つ書いておかなければなるまい。

「ひと粒の砂の中に世界を、野の花の中に天国を見いだすこと。手のひらの中に無限の広がりを、そして、一時間の中に永遠をつかみとること」
ウィリアム・ブレイク



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