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暁〜Akatsuki〜様単独インタビュー

第42回

NFTを始めてみたいなと思われる方は、まずこちらをご覧ください。

今回は、糸掛け曼荼羅アートで活躍中の暁〜Akatsuki〜さん(@akatsukitonttu)をインタビューしました。

ただ、インタビューする前にいろいろと暁さんの活躍を拝見しましたが、多方面に活躍されていて、実際はなにが一番の軸になっている方なのかな、と思いました。

今回は、暁さんのこれまでの活躍をお話しいただきまして、とても素敵な考えについて迫りたいと思います。

それではどうぞ。


構想中(以下、構:)こんにちはよろしくお願いいたします。

暁さん(以下、暁:)よろしくお願いします。

構:プロフィールを拝見しまして、すごくいろんなことに挑戦されている方なんだなぁと思いました。是非とも今まで体験されたことをお話しいただければと思います。

もともと日本画を描きたいと思っておられたのですか?

暁:子どもの頃から絵を描くのが好きで、美術大学に進学したいと思い、高校から画塾に通い始めました。油絵の実習をしたときに、絵具パレットに、ドーンと座ってしまい、見事に芸術的なスカートに。それで油絵はよそうと(笑)

構:やってしまいましたね、ただ、それだけで選択しないでおこうとは思わないと思いますが…。

暁:うっかりものの私にとっては、管理しやすい画材というのは、切実な問題でした。高校の担任の先生が日本画を描いていらっしゃり、日本画を体験させていただき、日本画絵の具の砂絵のような制作工程や風合いが大好きになり、日本画を志しました。熱湯で洗うと落ちるというのも、私には大きなポイントでした。

大学に入学し、4年間過ごすとやはり多くの凄い才能の持ち主と出逢い、〝絵で食べていく〟というのは難しいなと痛感しました。そこで心機一転、就職活動をしました。筆しか持ったことが無いので、デザイン系の就職試験は難しく、毎回不採用が続きました。

ある試験で「冬」というキーワードで、思いつく限り絵を描くという試験があり、煮詰まって、モト冬樹さんのイラストを描きました。二次試験に進み、偉い方に囲まれて「気になっていたのですが、これは何を描いたのですか?」と聴かれて、答えるとき、顔が熱くなりました。

その面接が突破できたことで、そこから思ったようにやろうと吹っ切れて、合格が続きました。最終的に、ジュエリー企業に、企画デザイナーとして就職しました。

比較的短期間でデザインに関わらせて貰える会社で、仕事はやりがいがあり、面白くてたまらなかったのですが、とてつもなく忙しく身体を壊してしまいました。

会社退職後フリーランスデザイナーとなり、ジュエリー専門学校の非常勤講師になりました。今思うと、企業ではほんの3年半程だけの社員勤めだったのですが、企業の現場経験者とのことでマーケティングの授業を担当していました。

構:学校に来る方からしたら、なかなか難しい科目ですよね。ジュエリー関連だけを学ぼうとしているだろうからあまり面白くないと感じられたかもしれないですね。

暁:確かに、「オレは造ることにしか興味が無い」と言われたりもしました。でも卒業後に「あのときの意味が分かった」「記憶に残る授業だった」と言われ、報われる思いでした。

私自身、現場で挫けた体験談を交えた、実況中継のような授業内容でしたので、現場で実際に体験したことに沿って、いいこと辛かったことをお伝えできたのかもしれません。

また、自分自身がちょっと変わっているところがあると思っている人なので、こじらせた人のやる気スイッチがどこにあるかを探すのが好きなんですよね。

構:そうなんですね。相手のことをよく見ていいところを伸ばすことができる、暁さんはそういった感性の持ち主なんですね!今も教室をされているとのことですが、そのころから教育者としての素質を発揮されていたのでしょうね。

暁:大学時、教育実習をした時には、自分の実力不足を知り、絶対に先生にはならない、なれないと思ったはずなんですけどね。たりないところがあるからこそ寄り添えることがあるのかも、と思えるようになり、学校では転機が訪れるまで、11年勤めました。

私のうっかり度合いを知る友達には、随分心配されました。教えるほどのスキルや経験があるわけではないので、生徒に伴走するというのが私にはしっくり来ます。

並行してフリーランスとして、ジュエリーデザイナーをしていて、企業でのブランド開発や、映画や歌手の装飾品を担当しました。

構:え?!有名人の方で暁さんがデザインしたジュエリーを纏ったり、その方に実際にお会いしたりしたのですか?

暁:しましたよ。どのクライアントさんのお仕事も徹夜続きのハードな現場で、ボツも数多く経験しました。大変でしたが、映画やコンサートで、自分の手で創り上げたものが使われているのを観るのは面白かったですね。

構:有名人に出会えてうらやましいですね。どういった経緯なんですか?

暁:学校で働いていると募集情報を多く知ることができ、採用試験をクリアしてといった感じです。その頃に、何度でもオーディションに挑戦できるという、物怖じしない耐性が付いたように思います。

何足ものわらじで仕事詰めだったのですが、出産を機にペースを緩め、その頃に、子連れでニューヨークに短期留学しました。FITというファッションの大学の夏期講習で、誰でも試験も無く取れる講座でした。

ニューヨークにいた頃の作品

そこでは各国の人の発想力に驚かされ、毎日が衝撃的でした。超絶技巧のミクロの細工を施すインドの人、人魚姫のリングと言って、手の何倍もある、ファンタジーリングを作るアメリカ人。人物クロッキーで、排水溝の蓋を描き『僕にとっての彼女のイメージ』。ジャズバンドが居て、お酒を飲みながらの、ヌードクロッキー。

長いこと課題を作る側にいてずっと追われていましたから、課題を与えられる受け身の立場の学生、やらなきゃいけないことがあるって、なんて幸せなんだろうって思いましたね。

しかし、授業に邁進しているうちに、当時3歳の子どもの気持ちが分からなくなってきてしまいました。私は元々、こどもが好きで、不妊治療を超えてやっと授かった子なんですが、他の子どもには人気があるのに、自分の子どもとは通じ合えず、悩んでいました。

帰国後のジュエリー関連の資格取得の講座を探している内に、「チャイルドセラピスト」という資格を見つけました。

今は、自分のことよりこちらが重要だ、と頭の中で警告ランプが回っているのを感じたので、そちらを選択しました。

そこから、ガラッと方向転換して、アートセラピーに打ち込みました。チャイルドセラピー講座の中にアートセラピーという科目があり、自分の感情を絵にしてみるという課題がありました。

その当時、私はこどもの気持ちが分からず、一日の99%をイライラとした感情でいました。そして、1%だけ私と子供の意識がピッタリ合うような幸せなタイミングがあり、その1%があると、99%のイライラとした感情がチャラになるから、子育てってずるいよなぁ、という絵を描きました。

帰宅してその絵を、子どもに見せると、イライラ絵は、くしゃくしゃに丸めてポイッと捨てられました。子供の意識とぴったり合う幸せな感情の絵を見ると、床にコロンと転がり、丸くなって、”ママのおなかの中”と言いました。

ボキャブラリーの少ない子どもだったので、なぜそんな言葉を知っているのか、とても驚きました。それからというもの、子どもが、不安になると、私の服の中に入ってきて、ハグすると落ち着くようになりました。

子どもにとっては、やっと私のことを、母親だ、大事な人だと実感できたのかもしれません。ボタンのかけ違いを解消してうまく噛み合っていき、徐々に、通じ合っている実感を持て、子どもとの日々が楽しくなっていきました。

もし私のように子どもとの関係に悩んでいる方がいらっしゃるなら、こんないい知恵は広めていかないと!と思いました。

子どもの幼稚園やイベントでアートセラピーワークショップをするようになり、導入に手作り絵本を作りました。その中で、アートセラピー仲間から「ブランケットが鍵なんだね」と言われました。

なるほど、意識的ではなかったのですが、子どもとの経験から胎内回帰がテーマになっていたんです。そして、2014年に、民間発達支援教室の中で、アートセラピールームを開室しました。生きづらさを抱える子どもの為の教室で、今も続けています。

アートセラピールームは、アートの技術を教える場ではなく、ありのままの自分を表現しやすくする遊び、安全地帯の場といった感じです。様々な場面で、傷つき、自信を無くした子どもが、アートセラピーを通じて、自分の本当の気持ちに気づいたり、それを表現する場に立ち会えることは感動が大きいです。

アートセラピーを知ってもらう為に、ワークショップに使っていた絵本を出版したいと思い、イタリアのボローニャ国際絵本見本市に行きました。世界の絵本のライセンスの売買がされているブックフェアです。

構:いきなり世界に打って出て、イタリアにまで行ったのですか?すごい行動力ですね。確かにその見本市は世界絵本作家の登竜門的な位置づけとはお聞きしましたが。

暁:絵本を出そうと思った次年の3月にはボローニャに行っていました。勢いで行ったので、うまくいかず、木っ端微塵の玉砕でした。

構:そうは簡単にうまくいかなかったのですか。流れ的にはいけるのかと思っちゃいましたが。

暁:ボローニャで様々なブースに売り込み、玉砕が続いた後、日本人の著名な作家の方のブースに、藁をもすがる思いでたどり着いたのですが、
「これ見なきゃいけないの?勉強させられるみたい。説教くさいし押し付けがましい。」
と言われてしまいました。

その瞬間、涙がポロポロ、ブースを出た後は号泣で、長い間泣き止めず、中庭の石のベンチの冷たさを覚えています。辛かったですね。ですが今思えば、全部ズバリ図星だったのです。

「絵本は見せられるものではない。ワークショップはやらされるものではない。誰かが読んでいたり、遊んでいたら、思わず覗きたきたくなるような、そんなものであるべきだ。」

そこで言われた言葉は、今でも大切にしています。自分の浅はかさ、未熟さを思い知り、それから2年くらいは絵本を諦めていました。でも、その方が大病を患われて、それでも発信されているのを見て、できることをしてみようと、もう一度ボローニャにも行きました。

そこで売り込んだことが切っ掛けで、絵の出展オファーがあったんです。なんとアラブ首長国連邦からでした。

構:もはやワールドワイドですね。オファーがあったんですか!

暁:私の作風はトルコ、台湾、ドバイなどに受け入れられたようです。ヨーロッパ各国では全くダメでした。

その後、勤めていたセラピーの学校の先生方や、様々な方にご協力頂き、絵本の草案をブラッシュアップしていき、ワークショップを重ね、学校のテキストを出版していた出版社から、念願のアートセラピー絵本「海を飛ぶたね」(メディアイランド)を出版することことができました。

アートセラピー絵本「海を飛ぶたね」(メディアイランド)

アラブ首長国連邦でのブックフェアでの絵の出展の後には、「海を飛ぶたね」絵本を使ったワークショップ講師としてのオファーも頂きました。

ドバイの隣の首長国、シャルジャ国際ブックフェアに招待され、飛行機も、食事付き豪華ホテルも無料で10日程滞在できる、とてつもないスケールのお話でした。

構:アラブ首長国連邦ではたくさんのお金持ちの方が来場されるんですよね!

暁:来場数223万人。 周辺諸国の方々が海外旅行として本を買いに押し寄せるんです。

構:桁違いですね。

暁:内戦や宗教上の問題などで書籍を手に入れるのが難しいそうで、ドレスアップした方々が、買い物カート一杯に、一年分の本をどっさりと買っていかれるのです。

大人は購入が目的。子どもはワークショップブース遊びに来ます。私のアートセラピーブースにも毎日子供たちがたくさん来てくれました。私は浴衣を着ていたのですが、海外の方からすれば珍しいようで写真を撮る列ができたほどです。

Sharjah International Book Fair ワークショッププレゼンターとして招聘される (U.A.E)

シリア、レバノン、パキスタン、アルジェリア、などなど、皆、それぞれ違う言語を話す子ども達が、アートという共通言語で、一緒に遊べることが嬉しく、政情の複雑な国の子どもたちが、共に笑い遊んでいる姿に心震える思いでした。

表現されるアートも、小さな子でも、深刻なテーマを描く子も多く、考えさせられました。

構:中東の文化は日本からすれば変わったように見えるのと同じように、中東の人からしたら日本の文化もまた真新しく見えるのでしょうね。アートセラピーは海外でも受け入れられているようで大成功ですね。

暁: ですが、アートセラピーイベントをニューヨークで開催しようとしたら、違法行為になるとメールをもらいました。アートセラピーはアメリカでは医療行為とみなされるのです。

営利では無いイベントだったので、問題無く実施できたのですが、改めて勉強して知識を深めることにしました。

欧米諸国では、アートセラピーは、大学院を出て医療チームと連携して行われ、医療行為に近いものとしての位置づけになります。ですので、国際資格を取ろうと思い、日本でカナダのクリニカルアートセラピーを学べる学校に入学しました。

実習は医療現場やデイケアなど多岐に渡り、難しさと可能性をより実感しています。

数年前に、糸掛け曼荼羅というものに出会い、その癒しの効果を実感し、セラピーの現場でも実施し、自分でも作品づくりに没頭するようになりました。HEXAでも出品している作品です。

今では、様々な場所で、こどもからシニアまでワークショップをしているのですが、糸掛け曼荼羅はアートが苦手な方でも容易に、驚くような美しいデザインを描き出せるのです。

褒められる場面の少なかった子どもたちが、自由研究で大絶賛されて帰ってきて喜びの報告をしてくれたり、シニアの方が、糸の色に人生を投影して、様々な想い出話を語ってくださったり。脳の活性化や、瞑想状態を促すこと、色の効果、様々な作用を感じています。

構:そういった感情のフォローも含めアートセラピーなのですね。医療行為であるという海外の位置づけも納得できるような気がします。

暁:私自身、糸掛けでアート作品を創ると、制作そのものが楽しいんです。

絵は、納得のいく作品が描けず、評価されないこともあり、今の私には辛いことが多いんです。糸掛けにより、上手い下手の評価から自由になり、こどもの頃に感じていた、無我夢中でアートを創る喜びを感じています。

現在は、糸掛け作家、ITOXITO いとかけいと、というユニットでも活動しています。作家それぞれの得意分野が違うので、日々新しい発明が生まれ、今までに無かったようなインスタレーションを作成しています。

2022年12月に国立新美術館で、大きなインスタレーション展示(展示空間を含めた全体を作品とみなす手法)が予定されていて、和紙を使った糸掛け作品制作に取り組んでいます。

「くゆり~Inextinguishable flames~」5m×7m インスタレーション

糸掛け曼荼羅のテキストやキットもネットショップで販売しており、小田急百貨店よりオファーを頂き、店頭でも扱ってもらえる予定です。

構:すばらしいですね、現在の状況をお聴きしていると糸掛け曼荼羅が今のメインなのですか?

暁:作品制作が私自身にとってのセラピーなのかもしれません。アートセラピーを軸として、絵本もジュエリーも、糸掛けも、作って行きたいと考えています。

自分自身が、アートセラピーに救われた思いがあるので、絵本やアートが、何か困りごとが好転するきっかけになったらなぁという願いがあります。

※暁さんは絵本についてのインタビューを受けられています、記事はコチラ

構:先ほどもありましたが、@HEXANFTでもNFTを販売されていますよね。今後どのように展開していきたいですか?

暁:糸掛けの糸を掛けていく手順が楽しいんですよ。動画にしたNFTを販売していきたいなと思います。できていく過程を見てもらって挑戦してみようかなと思う方が現れたら素敵だなって思います。アートが苦手な人にも、是非ともやってみてほしいです。

気分に合わせて選べるような作品を展開したり、その方のためだけのオーダーメイド作品をご提案できるようになりたいですね。人の心の琴線に触れる作品を作れたら嬉しいです。

構:なるほど、ただ絵を制作するよりも、コレクターさんに対して効果のある作品ができればいいですよね。

現在心の閉塞感を感じる人が多いと思いますので、気持ちが晴れたり、和らげるような作品ができたら嬉しいですし、また、ご自分でアートを作ってみようと思えるようになったら世界が広がりそうですよね。

これからの展開に期待いたしております。本日はお話しいただきまして誠にありがとうございました。

暁:こちらこそありがとうございました!


暁さんは、人のために!というお気持ちがとても強い方だなと思いました。教室で先生をされるときも人の立場に立ってご説明されておられましたし、アートセラピーによりご自分の気持ちが救われた経験から、辛い思いをされている方の気持ちが少しでも前向きになれば、という願いから精力的に活動されていますね。

お話しいただいているときも、アートセラピーってとても楽しいよ!という雰囲気がすごく伝わってきました。こういった先生に教えてもらえたら楽しいんだろうということはすぐに想像できました。

これからも応援いたします、よろしくお願いします。


アートワークセラピスト
アートセラピー絵本作家
暁さんプロフィール

Twitter
@akatsukitonttu

暁さんホームページ

暁さんInstagram

絵本『海を飛ぶたね』インタビュー記事



今回は以上となります。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

@HEXANFT:NFTマーケットプレイス

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