全身全霊の依存?!

仏教の教えなど知らない子供の頃からカタチは自ずとやって来ていたと。

【帰依】

私は自然と「すがった」わけだね。

教わらずにソレを、家族にもそんな人はいなくて。でも「やる」と言うのは、視えない力のハタラキか、前世の続きか。

持ち出さないと埋まんないなぁ。。。

そして、それが自分のストーリーになる。

自分ヒストリー。

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と、先週メモしていたのだけども、ストーリーへは中々着手できなくて。

頭の中では大分「線」が濃くなってきているけども、どのように繋ぐかは、ゆっくりと考えてみたらいいのかな、と思うし、一つに絞らなくてもいいかな?とも思う、自分ヒストリー。

7/22の日記の一部には、調べた事を書き留めている。

右手(仏の世界)は仏の象徴。清らかなものや知恵を表す。
左手(現世)は衆生、自分自身。不浄さを持っているが行動力の象徴。
両手を合わせることにより、仏への帰依を示す。2つの世界を合わせ一緒にする。(帰依:拠り所にする。全身全霊を持って依存する…信仰)

「神さま」と言う言葉を知ったから、「神さまへ手を合わせる」という事を行い続けた。神も仏も同じという解釈を、私はここでは採用したい。

手を合わせ続け、今の自分のベースになっている事、右手が好きだから(大切だから守りたいので)左手を使う習慣。後にバスケで少しでも有利になるように、左手を使う事を強化…左手で箸を使うようにするなど。


左手を使う機会が増えるという事は、右脳に刺激があったはず…、と考えると、自然と右脳が働きやすい”環境”になっていた、と考えられて、考え方もちょっと人と違うという事も必然的になってくる。

鶏が先か卵が・・・の話になってしまうけど、そうなるべくしてなっているというのが「自分」というもの、と言う感じもする。

私が精神世界(スピ含む)に関心があって、変に偏らなかったのも、叔父の”統合失調症”の症状を観て「外から見ると似ている」と思う部分があったからで、とても用心した。家族にいなければ、解らなかった事。


重ねて、自分自身も神経系の病気に罹る事が多く、「視えない所」に関しては、興味を持つ反面、恐い部分があると、両面を観る事も出来た。

両親が子供の頃に離婚してくれているお蔭で私に起きた影響と、起こらずに済んだ”影響”があり、これも「良かった」と思っている部分が結構ある。

逆に離れていても、ホントに血縁て凄いなぁ…と思う事もあり、そんなこんなの「点」を色々観ていると、もう、

「”そう”、だったんだろうなぁ」

と、今までの人生を冷静にしか見れなくなる。

だって当たり前だけど、全部自分で経験して、そこから学んでいるんだもの。そういう事が判ってくると、人生は受け容れやすく、生き易くなるよね。


そうなるまでは、文句だって言いたい、「誰かはあんなに良くて、何で私が?」とやっかみたい。始めからそれが分かってたら、ココに降りる必要なんてないよ(*^^*)

それが、視えない世界の表現で言う、「運命・決めてきた事」と捉える事が出来たとしても、この世ではとにかく生きて学ばなくちゃ、隠れている部分は顕現しない。


付け加えるなら、「表現出来て、”理解”できる事」は、まだ「隠れているモノがある」という事。どんどん言葉が減れば、少し近づくかもしれない。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!