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箱男

"ぼくは今、この記録を箱のなかで書きはじめている。頭からかぶると、すっぽり、ちょうど腰の辺まで届くダンボールの箱の中だ。つまり、今のところは、箱男はこのぼく自身だということでもある。"1973年発刊の本書は登録・匿名、見る、見られるといったSNS社会を予見するかのような実験小説。

個人的には、WEB記事などで作中の箱男を再現した人の写真をちらほら見かけていた事から興味を持って手にとりました。

さて、そんな本書はストーリーラインにそって素直に読んでいくと【誰が誰だかわからなくなったり】なかなか難解な構成になっていて。一応の筋としては"箱男が、箱の中で、箱男の記録をつけている"として、箱の作り方の説明から始まり、他の箱男Aの話をした後で、自身の箱を『5万円で買いとる』という女と待ち合わせしている場面から物語が展開していくのですが。

まず、浮浪者とは違い、完全な匿名性が約束されている(らしい)『箱男』の魅力とはなんなのか。といった部分に惹きつけられたのですが。様々な公的な番号で登録されたり、SNSを利用する為に自ら情報を登録したりする時代に『箱男』は、そういった登録社会から【自らの意思で完全に逸脱した存在】といった事なのだろうか。と解釈し、実際にしている行為自体は『単なる覗き』とはいえ【現代社会で生きる以上、登録を避けるのは実質的には不可能】だからこそ、何となく逆説的に惹かれてしまう部分がありました。

また本書では『視線』が"見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある"と、看護婦や贋箱男との関係や、挿入されるエピソードとしてD少年と女教師など繰り返し【見る・見られる】が対照的であったり、立場がいれ変わったたりしながら繰り返し描かれているのですが、こちらについては、せっかく『箱』や『カメラ』『アングルスコープ』といった一方的に見ることが出来る立場を得ても、結局は【見られてしまう事で意思に反して登録、つまり社会に組み込まれてしまう】といった事を暗示しているのだろうか。とか考えてしまいました。(実験的な作品。解釈は読み手それぞれに委ねられているのかもしれませんが。。)

よし、私も『箱男』になってみようか。そう思い立ってしまった人にマニュアルとして(笑)また、登録・匿名、見る、見られるといったSNS社会に疲れた人や、実験的な不条理小説好きな人にオススメ。

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