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天の魚

"本編に登場するおおかたの人達は、今はこの世にない。思い起こせば、かの人々のえも言えぬ優しい眼差しに慰撫されて、立ち上がれない膝を立て、不自由な指を伸ばして書き継いできたと思う。"1972年発表の本書は『苦海浄土』全三部作の完結編、患者自主交流派の1年9ヶ月に及ぶチッソ東京本社座り込みに同行して著された、運動の頂点の輝きにおいて書かれた作品。

個人的には三部作のうち、一部『苦海浄土』二部『神々の村』。水俣の村から熊本市、大阪での株主総会への巡礼を経て、ついに舞台は東京へ。と、まるで著者の歩みに自分を重ねるように読み始めました。

さて、そんな本書は環境庁(原 環境省)発足の1971年、12月。故郷水俣を脱出、離脱し、川本輝夫ら新認定患者たちを主体とする患者自主交流派により始まった東京駅前、チッソ東京本社座り込み(占拠)に同行した著者が、その様子を旧約聖書のモーセが、虐げられていたユダヤ人を率いてエジプトから脱出する物語『出エジプト記』に重ねて描写する一章から始まり【勝訴するまでの1年9ヶ月の『闘争』の様子】を歳月がすぎて最後に完成した二部『神々の村』とは明らかに違う熱量をもって【工場からの露骨な拒否や嫌がらせ、市民の患者への差別、警官の強制排除と孤立させられながらも】団結し、社長と直談判する様子が一文一答、生々しく描かれているわけですが。

加害者であるチッソ側の不誠実さ、デタラメさに対する憤りについては一部『苦海浄土』二部『神々の村』の感想でも何度も書いたのでさておき。本作、第三部から登場する、銀行からではなく『チッソ生え抜きの人』として、座り込みが始まった1971年に社長に就任した嶋田健一。患者の激しい言葉と向き合い続ける彼。『会社人』として発言しつつ、遺されたメモからは『自然人』つまり一個人としては会社が潰れても患者に充分な補償をすべし。と内面は考えていた事を知って【一個人の良心が社長として会社を背負う立場に潰されていた】ことを知ってやるせない気持ちになりました。

また全三部を読み終えて。学校の授業で習うも記憶の片隅で風化していた【水俣病自体を調べ直したり】著者の影響を受けて水俣に移り住んだ舞台俳優の砂田明が役者仲間から『水俣に寄生している』と厳しい非難も浴びながらも『苦海浄土』を原作、脚色を加えた上で【ひとり芝居『天の魚』として死去するまで556回にわたり公演】2006年に弟子の川島宏和が引き継ぎ、復活公演が行われている。と【本以外の形で水俣病が語り継がれている】ことを新たに知ったり。(2019年の関西公演、知っていたら行きたかった!)

最後に。『苦海浄土』三部作を通じた語り。水俣の方言は父親の実家のある熊本の今は亡き、祖父や祖母の懐かしい姿を呼び覚ませてくれ、水俣病の悲惨さとは別に【身近な『村』にあった素朴な優しさ、あたたかさを思い出し】著者の『村』側に寄り添った文書に何度も感情を揺さぶられました。身勝手な気持ちなのは十分に承知しつつ、著者には強く感謝している。

水俣病や公害病、環境問題に関心ある方はもちろん。熊本にゆかりのある方も是非。

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