この地球に「生かされている」と思う時間が長いと、より心が豊かになる
ベトナムから「一時帰国」して、もう5か月が経った。早かったのか、遅かったのか、時間的感覚はあまりないけれど、ひとつだけ。「何も、後悔はしていない」、ということ。周りの人々や環境のせいにするのは簡単だけれど、すぐに将来のことに対して不安になる世の中だけれど、私には、その次元の話よりも、好きな事、価値を創造し続けたいもの、生きたい社会、解決したい課題、今までの全ての人生ひっくるめて、前に進めたいものがありすぎて、探求心が凄まじい。
「マミは、自分のやりたいこと、好きなことを自分で知っていて、それを愚直にやり続けていることが凄い」
と言われた。いつからか、「幸せ」に対する自分の中のハードルが低くなったのもあるのかもしれない。とにかく、情熱を注げるものだけに集中してエネルギーを注ぎたい。
約5か月ぶりに、電車に乗って、山を登った。7月、8月は大雨の日々が続いていたから、ようやく。
山に登ったのは、一時帰国直前の、ベトナムのアンザン省にあるカム山以来。ベトナム南部のメコンデルタ地域は、平地が続く。地元の20代の子たちは、ホーチミンやダナンにある高層ビルやテーマパーク、ベトナム北部にある山岳地帯の山々の光景に憧れているが、「そんなん言っても、毎日テーマパーク行くわけじゃないし、毎日山登るわけちゃうやん」と、ベトナム語で突っ込む。
別に山でなくても良い。メコンデルタの雄大な川を見たときも思ったことがある。それは、当たり前だけれど、自分が「この地球に生かされている」と思える時間が長いと、心が豊かになると思った瞬間が、何度もあった。
生い茂る草木と苔。
汗びっしょりの体に染み込む天然水。
誰が置いて行ったのかわからない、大木に括りつけられた扇子。
一応、登山ルートはしっかり整備はされているけれど、所々で足場が悪くなる。
ロープが緩みすぎていて、自分の手と足のみで登ったほうが安全。
鮮やかな色。
オーストラリアのパロネラ・パークを思い出した、浸食された岩々と木々。
新設されたのか、新しい階段は、とても急で結局回り道をする。
寄付された救急箱。中には、バンドエイドや消毒液などが。
途中、すれ違う人々がいると、必ず挨拶をする「山ルール」。小学校の登下校のようだ。小鳥の鳴き声が響き渡る。時々、セミ。かと思えば、頂上では蜻蛉が近くの岩に止まった。
「あ、そうか」と思い出した。しんどいし、汗だくになるし、「まだ頂上着かへんのー!」と叫びたくなるし、何度も「もう2度とやらない」なんて思ったりもするけれど、なんだかいつも、その先にはメコンデルタのみんなが待っているような気がする。
「マミが走るなら、私も走るよ」と、ベトナムで出会った女性に言われた。それまで、ランナーチームにいたのは30代の男性が中心で、常にタイムを競っていたけれど、「私が走っているのなら、走れそうだ」と思ってくれたみたいで、一緒に挑戦してくれた。何より、私にとっての新たな挑戦は、早起き(朝の4時半)だったので、その方に起こしてもらいながら、助け合い?で走り続けている。
山に登っているとき。走っているとき。雄大な川を見たとき。動物の鳴き声を聞いたとき。大地に張り巡る草木。大自然の中の静けさと、一気に視界に開ける景色。この瞬間、また少し、心が豊かになる。
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