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日本社会の「気遣い」よりも、世界では「寛容さ」が求められている

私はよく「マミは日本人じゃないよね」と言われる。「自由で、羨ましい」とも。どういうところが日本人なのか日本人じゃないのか、その人にとっての日本人がどういう人なのか、相手がどういう意図で言っているのか、それは相手に聞いてみないとわからないことだけど、そういうこともどうでもいいと思っている。(あ、こういう「マイペース」なところが自由なのか?)

マイペースなのか、自由なのか、きっとそのようなオーラを出しているのは、私は他人の、自分に対する感情に全く興味が無い。興味が無いから、期待もしない。比較もしない。超絶、冷めている。そのかわり、自分の物差しで相手を図らない。そもそも、自分と相手は異なるもので、「分かり合えない」という前提のもと会話を始める。これは、他人に興味が無いのではなく、自分が相手をどう思うか、自分がその相手と一緒にいてどう感じているのか、すべて自分発信で物事を考えている。自分が居心地が良いと感じるのであれば、何度でも会いたいと思うし、一緒に成長し続けたいし、仕事であればとてつもない結果を出せると信じられる。

今の自分の生活の人間関係は、そんな自分にとってとても居心地が良い。文化や歴史背景や言語が異なるけれど、とても多くを共有できている仲間がいる。日本社会の「気遣い」の必要が無い。「いい人がいない」という言葉が至るところから聞かれる女子会も無い。「20代の女子に何ができるのか?」というおっさんたちの見下した視線も無い。浅い話ばっかりの飲み会も無い。(まぁ、そもそも私は飲むことが嫌いなので、日本でもほとんど参加していなかったけど笑)あるのは、何でもまずは受け入れる、試してみる、行動してみるという「寛容さ」だ。

このベトナムの社会に、生きた空間がある。その空間は、なんというか、例えば物事がうまくいかない日もあるけれど、そんな日にもいつも美味しい食事と満面の笑顔をくれる路面店のお母さんがいる空間とか。自分の帰りを待ってくれている子供がいるとか。「マミはいつも同じ服着てるから笑」って、冗談で言いながら何着もの服をプレゼントしてくれる上司とか。イベント時の飾りつけのフルーツを、飾りながらも密かに食べる同僚とか。すべてを笑いに変えてくれる空間。常に、周りを見る余裕が生まれる。

私は思う。日本社会の「気遣い」よりも、世界では「寛容さ」が求められていると。でも、「寛容さ」っていっても仕事とプライベートでは意味合いが異なってきて、例えば仕事内での約束や期限に関しては、人間関係の信頼構築に関わってくることなので、約束したからには守りとおしたいものはあるし、同僚たちに伝えることもある。そして、歴史的にも「同じ価値観や同質性」がある日本であるがゆえに、成長できた過去があることも事実だ。

きっと、私自身は欧州や米国のグローバル企業で働いていた年数のほうが長いので、考え方も優先順位のつけかたや働き方も、西洋の影響をすごく受けていると思う。

そして、そんな自分が、ベトナムがとても過ごしやすいのには、3つの理由があると思っている。1つ目は、この国自体がとても西洋の影響を受けているということ。「発展途上国」とはいえ、仕事の進め方や人々の考え方、陸続きの他国からの影響など日本社会以上にグローバル企業での仕事の進め方に適応している。そして、ベトナムの面白いところは、西洋の影響を受けつつも、しっかりと自国に対する自信、愛国心、強かさを持っていて、決して屈することはない。2つ目は、上記理由の影響もあり、女性であるがゆえのハンディキャップがほとんどないこと。性別だけではなく、年齢も同様に。もちろん、その分遠慮なしに結果を求められるし、想定外のことが起こる確率のほうが高いし、そこは自分の「寛容さ」が求められるが。しっかり対等な立場で建設的な会話ができ、お互いにとってメリットがある人間関係の構築ができる。3つ目は、タイトルにはほとんど関係ないかもしれないが、とにかくトロピカルな南国の気候が私には合っていて過ごしやすい。1年中、半袖で、服もすぐ乾く。衣替えという無駄な時間をつかわなくて良いし、身軽に行動できる。いや、もしかしたら、この気候も社会の「寛容さ」に大いに関係しているものかもしれない。

先日、ニュージーランドからカントーに旅行に来ていた女性に出会った。その方は、日本に半年間、留学生として住んでいたこともあったらしいのだが、はっきりと「日本では働きたくない」と言っていた。理由は、夜中まで飲み歩いて酔っ払いがたくさんいる光景を見たり、終電まで働いているという周りの人々の会話、マネージャーはいつも中年の男性ばっかりで、自分と同い年くらいの女性はみんな秘書やデスクワーク等でしんどそうだったから、というもの。この感覚って結構大事で、今後いくら日本が「良い労働条件」で労働者を増やそうとしても、正直難しい気がする。そんな中でも、未だ外国人労働者を安い賃金という理由で雇おうとしている会社を見ると、正直うんざりする。

私は、だから日本はダメなのだ、とか生きにくい、とかそういうことを言いたいわけではないが、「自分の性質に合った環境は必ず存在する」「自分の力を発揮できるポジションはある」と日頃から思っていて、誰しもその環境を探すこと、環境を見極める力をつけること、にもっと時間をかけても良いと思っている。それは、日本国内で転職する際も一緒だと思う。何かに挑戦する際に、自分の気持ちを押し殺して「相手が(自分に対して)どう思うだろうか」とか「この選択したら家族はどう思うだろうか」とかいう「気遣い」(なのか、遠慮なのか?自信の無さのあらわれなのか?)はいらないと思っている。誰だって、結構無責任なこと言っているよ?なぜなら、その人にも未来はわからないから。必要なのは、そんな挑戦している人々に対する「寛容さ」であって、相手に対して「寛容」であるためには、何よりも自分自身を大切にできる環境でないと。

ひとつだけ、どこで何をしていようが、礼儀と自尊心だけは忘れないように。そして、最初の一歩には「勇気」が、続けていくのには「根気」が必要だと思う。あとは、「環境がどうにかしてくれる」といえる「環境」に身を置くこと。それだけで、とても楽に、はやく、遠くへ行ける気がする。

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