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『迷宮遊覧飛行』山尾悠子②

『迷宮遊覧飛行』山尾悠子② 

 物語の立ち上げそのものはできるだけ短い時間で終えてしまったほうが良い…。ひとつの文章、ひとつの風景から、物語をおこしていきます。
 若くして小説を書きはじめた作家と、読書に耽ったり、批評の目をもったのちに小説を書くようになった作家とでは自ずと、小説家としての感覚や、居ずまいが変わってきます。

 誰が云ったか、ぼくのメモには出典がないままに印象的な言葉が残っている。
メモの二つの文章は、感覚的には少々異和感をもっていたが…『迷宮遊覧飛行』を通読してすっと腑に落ちた。山尾悠子作品にも二つのメモの文章にも。

と、書いたのが迷宮遊覧飛行』山尾悠子①ですが、今は、事情があって削除になっています。

 読書と執筆が不可分のこととして、その関係はいろいろだ。本に読まれると云った須賀敦子は、文章をかきはじめるまでに長い時間を必要とした。山尾悠子は——二十歳のときに代表作『夢の棲む街』を出来している。そしてその作は、何十年経っても色あせることなく、それどころか輝きをましている。若くして小説を書こうとして、それをものにした才能ある作家の、執筆の、その秘密も分かるようにまとめられている。『迷宮遊覧飛行』——書き方を明らかに書いているわけではないが、早くに小説を書くことを念頭に置いて、素早く名作を立ち上げるような作家の読書がどんな傾向があり、どんな読み方をしているのか…手に取るようにわかる。

遊覧飛行

 『迷宮遊覧飛行』は、文章が書かれた順に並んでいない。長い沈黙期の後からの文章からはじまる。そしてそのさらに前に書下ろしの序がある。この序が秀逸で、「天才少女」へのなり方が、後進の少女たちへメッセージで送られている。初期の自作解説もあり、その作たちに敷かれた本の遍歴もあって、谷崎潤一郎の『文章読本』ならぬそれ以上の山尾悠子文章読本になっている。ともすると「分からない」と云いがちな、若い読者たちに最高のガイダンスになっている。
 これほどまでに手の内を明らかにして良いのかとも思うが、メイキングとか、ディレクターズカットとかをこよなく愛する時代でもあるので、ある意味とうぜんなのかもしれないが、ちゃっかり、古い読者も大いなる恩恵を預かることとなった。

 編集者と作家の阿吽の呼吸で、見事に仕上がった、『山尾悠子読本』は、迷宮そのものに入ルのではなく、上空から遊覧飛行して見るという文章行為なのだ。この視点はさらにいまの読者を誘うだろう。
 さて『迷宮遊覧飛行』は、『夜想』山尾悠子特集の時の、実質編集長Tの詳細なリストと、さらに山尾悠子復帰のお膳立てをして、国書刊行会でずっと並走しながら出版を行ってきた礒崎氏との力作で、500頁に及ぶ大著になっていて、網羅の目が行き届いている。
 そしてここに不在のものもあって、本の中で記述されているのは、官能、性…これは山尾本人がこの本でそう語っている。あと、想像してあげつらうと、身体、屍体、エロス、耽美…そしてもしかしたら少女。そしてセクシャルな男。ハゲデブ的な嫌われ男。書かれるとしたら、あらかじめ否定されるために…。
 そして嚆矢なのが人形だ。

 ひとつの文章、ひとつの風景から…風景から起すにしても、できるだけ平面性の高いもの、銅版画はモノトーン、作家が彩色しやすい。銅版画といっても、澁澤龍彦ラブのベルメール『道徳小論』『夜ひらく薔薇』のような作品は、たぶんNGだろう。

不在の存在

 500頁に及ぶエッセイ、読書遍歴に[不在]のものは…山尾作品の血肉にならなかったもの——。[不在]のものの視線で、失われた地点から、世界を見るとより明確な山尾悠子世界が描かれる。そう世界は言葉でできていて、身体や人形や少女や耽美の[実体]からできては[いない]のだ。
 それは、身体を消去させた世界に、あるいは身体から遥か遠くに、[幻想]という世界が成立する現代の文学や短歌であるのだから…そしてもしかして人形も身体を失いつつある… 
 [不在]の冥府から膚をめくり上げてひっくり返すことが可能なほど、僚友はいない。
 中井英夫が「人外」と云ったとき、それは異境であるはぐれた幻想の地であったが、身体は存在した。いま、その魔境はおそらく消散しているだろうが、地理的にそんな場所に、[ハグレ]たものたちは棲息していた。[ハグレ]は、もしかして[ハブ]られた子たちになのかもしれず、彼女たちは、不在のリストの外に位置していた。
 人形は、完成と同時に、ショウイングされ、お迎えと呼ばれる行為によって、持ち主が決められる。作者も観客もディーラーも邂逅はほんの短期、あとはずっと迎者によって支配される。そこに居る。[ハグレ]て飛翔したら記憶のなかに微かに残るのみ。存在も危うい。
 人形をうんだ中川多理によって、今回、全員が招集され、全員のプロファイルの形で写真集となった。[不在]は人外境で現代的ではないかもしれないが、[幻想世界]を構築しようとしている。それがPassageという名をつけた覚悟なのではないかと想像する。
 だいぶに本の話を逸脱してしまった。続きは、中川多理の展覧会で展開される。

中川多理・展覧会②
https://note.com/pkonno/n/n0ade0c261e17

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