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ノット・ブラッシュアップ(仮)


店員さんのマニュアル通りの言葉にひとつひとつ返事をし、最後には必ず「ありがとうございます」と言い添える。
ドアが閉じてしまわないように押さえ、後ろの人の通行をスムーズにする。
階段を前に躊躇しているベビーカーを押す人や、荷物の多いお年寄りに声をかける。


「人と関わりたい」
という、私個人の寂しさを紛らわせるための行為。
私はこの行為の先に生まれるほんの少しの会話をも恋しく、必要とするほどに寂しく感じることがある。
だから私は、これらの行為の後に相手からの反応がほしい。なんの反応もないと損をしたと思う。気分が悪い。他人のためではなく自分のためにやっているから徳でもない。
「見返りは求めない」
そんなにやさしくはなれない。



人が大好きで、人と話すことで相手の世界を感じることも大好きだけれど、それ以上に大好きに嫌われるのは怖くて、忘れられない。
やさしさにつけ込み、人のためにというテイをとって自身を守る。意図せずに身につけてしまった自己防衛方法。



暖かな昼の匂いが光る電車、ドアが開いて目の前に現れたベビーカーからの視線を感じた。
義務かのように私は彼女へ微笑みかけたが、彼女からは何の反応もなかった。
こちらを向いている大きく深い黒の瞳に私は映っていなかった。
きっと見透かされていた。



ベランダにしゃがみ込む。
なにか変われるのではないかと思い買ったタバコには火がつけられなかった。
左耳からセックスをする音が聞こえた。
あぁそういえば、自分の帰る場所が消えてはいないかと確認した帰り道、外から見えた301号室は窓が開いていたな。
「愛、と 勇気だけ、が 友達さ」
と、ワンフレーズ、原曲に全くそぐわない調子で歌った。
冷たい空気が次々と私を貫通していくなか、いつまでも長さの変わることのないタバコを咥えていた。
選曲に特に意味はなかった。



華金。労働力と引き換えに金を得る作業。
予約席でマドラーをカラカラといじる女性。
「なんか芸人でぇ、関西出身だからか、すごいケチ?なんだよねぇ〜」
甲高い笑い声は嫌いだ。耳を突き刺して頭の中で響く、痛い。今の自分を馬鹿にされているような感じがする。
その女性の店員に対する態度は悪かった。
だから私も無愛想に接した。


簡単にはやさしくはなれないから。

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