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白タイツを捨てたアラサーは、人を傷つけるだけの自己主張を決してするまいと決めた。

最近ヘアピンにハマっています。
なんだろう、小さいのを2つつけて、小さいツインテールっぽくするみたいなやつにハマっています。
(伝えるのめっちゃ難しいな…デスノートのミサミサみたいな感じですかね、歌舞伎町でスト缶ストローで吸ってる女の子とかみたいな感じですかね、伝わりますかね…)

えっ
て思った方、絶対いると思います。
お前何歳だっけ?アラサーっていつも行ってるけどさすがにやばくない?痛すぎん?と思った方、絶対いると思います。
(決めつける)

最近寒くなってきまして、タイツを履く季節になってきたなあという感じなのですが(冬の服が無い(あるけど無い)ので買わないと!!!)2年くらい前まで白タイツ履いてました。

えっ
て思った方、絶対いると思います。
アラサーで白タイツってあんた…って思った方いると思います。

転勤で初めて関東を離れ、名古屋で迎えた初めての冬、通年通り白タイツを引っ張り出して履いて外に出たら、どう考えても周囲の目がおかしかったことがあります。
え?みたいな顔で女の子たちが見てきて、めちゃくちゃ恥ずかしかったのを覚えています。
(私のファッションに口出すなんて100万年早いんじゃボケアホ(あっすみません))
個性的な格好だと思われたのか、その年でその格好かよと思われたのかは謎なのですが、
あまりの恥ずかしさに私はその冬に、それまで一番お気に入りで大切にしていて、お母さんにも毎年可愛いねと褒めてもらっていたヴィヴィアンウエストウッドの白いタイツを躊躇なく捨てました。
今思えばなんであんなに素敵なタイツをそんなことで諦めたんだろうと思うのですが、当時は初めて自分に向けられた好奇と非難が混じった目と、あまりの恥ずかしさに、迷う余地もありませんでした。


別に、私のことを痛いだとか、ダサいとか、若作りだとか思うのは全然いいんです。
ただ、黙ってなさいよ?と思うのです。
(誰も言葉は発していない)
これ、YouTuberのkemioさんも同じことを言ってたんですよね。
kemioさんの恋愛対象は男性だそうなのですが、それを気持ち悪いとか思う人がいるらしく、きもいみたいな頭の悪い発言をkemioさんご自身にわざわざ謎に伝えてくる人もいるらしく、そういった人たちに対して、思うのは自由、でも黙ってなさいよって仰っていたんですよね。
(ちょっとまたファッションの話とはずれてしまうのですが)

道を歩いていたら、自分の理解出来ない他人もそりゃいます、普通に。
(自分という人間は一人だけだもの)
その人に対して「キモい」だの「ダサい」だの「痛い」だの思うことは自由ですが、それをその人に伝えて傷つけること、そこであなたの謎の価値観を押し付けてくるような行為こそダサくて悲しくない?と思うのです。


地方都市に住んでみて、ファッションについて考えさせられる機会が意外にもとても増えたんですよね。
というか、私の中学生までの学生時代の頃の悔しさを思い出したんです。
私は茨城のど田舎の町に生まれながら、隣町のゲオでひたすらティーン向けの洋画を借りてアメリカやロンドンのティーンガールにどこまでも憧れていたんですよね。
でもそんな映画に出てくる女の子の真似っこなんて、この町でしたらバカにされるのが目に見えていて、(お小遣いも全然もらえてなかったし)おしゃれを諦めていました。
でも、東京に出て、皆自由にファッションを楽しんでいて、「ああ、私は好きなものを着ていいんだ!おしゃれしていいんだ!」と、今までの諦めから解放されて嬉しかったのを覚えています。
いい意味でも悪い意味でも、肩がぶつかっても謝りもしない、目が合っても知らん顔、そんな環境でどんな奇抜な格好をしていようが誰も気にしない、そんな環境がどこまでも心地よかったのです。
(その結果この俗に言う痛いアラサーが生まれたというわけです。)
地方都市で生活する今、その頃の気持ちを思い出します。
思い切りおしゃれをした日や、少し思い切った格好をすると「え?」みたいな顔で見てくる人は必ずいるし、いやでも人の目を感じます。
(もちろん東京でもそういう顔で見てくる人はいますが、同時にダサかろうが古かろうが、自分なりのオシャレを楽しんでいる人が沢山いたので気にならなかったです)


なので、私は絶対に人のオシャレを非難しないぞと決めたのです。
(すみませんただの決意表明です)
そして私もそんな非難に負けないぞと決めたのです。
これから年を重ねても、
キッズの服は着るし、ヘアピンはつけるし、リボンで髪の毛結ぶし、ケアベアは一生好きだし、フリルもレースも一生身につけますぞ、だって私の幸せだもの。
自分の意見に正直になるのも結構、何を思っても結構、でも自分の発言で誰かのハッピーな気持ちを害したり、傷つけることって何もプラスを生まないんですよね。
オシャレだけに関わらず、自分の素敵だけでなく、人が思う素敵を、一緒に素敵だなと思える自分でいたいと思います。
そして、理解ができなかった時、決して人に対して人を傷つけるだけの自己主張だけはするまい、と思うのです。

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