日記を記すことの重要性

最近ふと思ったのが、日々自分の考えていることをアウトプットすることの重要性です。

その時その瞬間に考えていること、感じたことを、文章なり音声なり映像なりで言語化し、記録する(状態として不特定多数への公開/非公開は問わない)。

それを何十年と積み重ねること。

これが今後の個人所有デジタルツイン時代にはとても大切な気がしてきました。

理由は?

簡単に言うと、未来の自分(または子孫)が、自分のデジタルツインを作る際に、自分の個人情報をどれだけ積み上げられるかが作成する人格のクオリティの決め手になることは必然で、これは今のうちからのアウトプット行動の積み重ねが唯一のクオリティアップにつながる方法だよねー、っていう感じです。

おそらく未来では、ベースとなるLLM(AGI/ASIのような超知能ではなく安価なやつでよくて、GPT-17くらいのやつ)に個人の情報をFine Tuningで食わせて自分と同じ人格のAI(デジタルツイン)をカジュアルに持つのが当たり前の時代になると仮定して、そうなるとその学習する個人データは一体何を用意すればいいのかと。

その時代の科学テクノロジーがどうなっているかはわかりませんが、例えば脳のスキャンができるとして、脳に記憶されている情報を画像で引っ張り出すことは可能になる可能性はありますが、その画像から本人が考えていることを類推できるのか?が疑問で、画像と併せて好き嫌いみたいな分類は扁桃体を解析すればできるのかもしれませんが、思想とか思い出とか、エピソード記憶的なものを脳スキャンでは簡単に取り出せない気がします。

であれば、例えば定点カメラを家中に設置して日常生活をすべて録画・録音し、スマートメガネの映像もすべてクラウドのストレージサービスに保存(4k画質で録画するとして、年間何PBになるのやら)しておき、数十年分の動画データを食わせるやり方もあるとは思うのですが、それでもやっぱり、映像だけでは発声し音声で拾えたことしか学習できないし、客観的な事実としての記録は残せると思うんですけど、内面の考え事、感想、悩み、感情の動きはやはり手に入らないのではないかと。

そうなると、やっぱり現在のLLMがそうしているように、当の本人が綴った質の高い、そこそこの分量の文章が必要になると想像していて、しかもXのポスト(旧twitterのツイート)みたいな質の低いつぶやきをいくら学習させてもバカAIにしかならないのは自明なので、ある程度まとまった文章で日記を書いておくことが大切なのではないかと。

もちろん未来のことはわからないので、もしかしたら謎のオーバーテクノロジーで強引に解決されるのかもしれませんが、今のところ文章がベストなのかなーって最近思ったりしてます。


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