自意識なんてアメリカンにして飲み干したい。
知り合いのニートに
傷つけられたくないんだね。
イタイって思われたくないんだね。
って言われました。
聞いてもないのに、私を分析されてムカついたのと同時に、
このムカつく感情は、図星であることを証明しているような気もしました。
ついでに言うとそれは表層の気持ちで、その奥に本当の欲みたいなものが隠れているらしいです。
なんだかそれもまた腑に落ちてしまうのが悔しかったです(-"-)
※でも好きでもない相手に頼んでもないのに分析されるのはこの上なく不愉快だからやめた方がいいと思った。
「傷つきたくない」という気持ちは私の人格に大きく影響しています。
職場や集団の中で打ち解けにくいのも、自分から積極的にコミュニケーションを取らないからで、
それは傷つきたくないからだと思う。
自分の文章を読んでて、自意識みたいなものを感じて気持ち悪いなって思うことがあって、
それも、傷つきたくない気持ちから出てるのかなって思う。
身体は柔軟性が無いだけじゃなくて表皮すら固いし、
それも、そんな性質が影響しているんじゃないかと思ってます。
(ガードが固い)
私は趣味で「演劇」を観たり作ったり演じたりしているのですが、
演劇に興味を持ったのも、「自意識」と大きく関係があります。
傷つきたくない、他人からどう思われてるか気になる、ダサい奴と思われたくない。
演劇はそんな自意識との闘いから始まるものと思っています。
※それが当たり前にできる人はそんなステージをすっ飛ばしているのでしょうが。
「決められたセリフを相手に投げかける」という行為は、
意識が相手に向いてないとできないことです。
人前でそれをやると、
「他人から見られている」とか「こういう風に見せよう」とか
「こういう風に感じてほしい」という感情が湧くとは思うのですが、
それ(自意識)を捨て、
ただただ、セリフを投げかける相手に意識を向けるのが演劇です。
初めて演劇のワークショップに参加した時に、
それが出来ている人と出来ていない人とでは歴然たる違いがありました。
その時に、演劇って面白いなと思いました。
映画や舞台が好きだからとワークショップに参加してみたものの、「演技」そのものにも面白さがあると気付きました。
どうしても、その人の生き様が出ると思いました。
もしかしたらそれは演劇だけでなく、他の創作でも、スポーツでも、何なら仕事でも、同じことがいえるのかもしれません。
他人に意識を向けている会話と、自分に意識が向いている会話は、全然違うし、
魅力的な人って、ちゃんと他人に意識を向けられる人だと思います。
それって「自分」をどこかに置いておくことではなく、
自分がちゃんと心の真ん中にいないとできないことです。
私はこうしたいから、この人にコレを伝えよう
コレを伝えたらこの人はどういう反応をするんだろう。
と、自分主体であることです。
意識が自分に向いていると
この人に嫌われたくないからこう言っておこう。
ヘンなヤツと思われたくないからこうしておこう。
と、心の中には「自分」ではなく、存在しない「他人」が軸になっています。
じゃあどうしたら自分軸になるのだろうと考えたら
自分の目的をはっきりさせることが必要なんじゃないかと思いました。
自分が他人にどう見えるか気にしてしまう時って、自分がそこにいる目的が不明確、もしくは弱いのかなと思いました。
仕事の目的が「クライアント満足」であり、さらにそれが出来るようになった先に「起業」とか「自分のサービスの提供」という確固たる目的があれば
職場で嫌われたくない
とか
好きでも嫌いでもない人にまでも、好かれたい
とか
そんなことあんまり考えないと思うから。
だからちゃんと目的を持って、その目的に合った電車に乗るって大事なことですよね。
なんか急に電車が出てきましたが、
自分と向き合い、手段を選ぶってことです。
それではまたね!
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