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自分の能力を一番分かっているのは本人

10月 高校の進路相談で、娘が医学部には行きたくない、医療関係も全く興味がないと言いました。

親の希望に背くのが辛かったのでしょうか?泣きながら進路懇談で担任を前に私に告白しました。

私は幼児の頃から利発だった娘には医者になるのがBESTだと思い、それをずっとずっと言葉の端々に込めて話していたようです。

でも最後の最後に娘は力を振り絞って自分の未来を選択しました。

今だから言える事ですが、

懸命に訴える娘の涙を見た後も、しばらくは自分の教育方針が間違っていたのだろうか?医学部を志望されたお子様の親御さんが羨ましくも思え、娘の決断を素直に受け入れる事ができませんでした。

子供の将来は子供の物、ママの出る幕はすでに終わっていたのですね。

娘は模試の志望校判定で大阪大学の理系学部を選んでいました。A判定でした。その中に医学部は一校も入っていませんでした。

 高3にもなると、先生、先輩方のアドバイスを受けながら、子供達は自分の能力を知り、進路決めているのですね。

今となっては、「いらない事言ってごめんね」と言いたいくらいです。

この時、娘は思いもよらず志望校を京大に変える、と担任の先生に相談を持ち掛けていました。担任の先生は仰いました。

 「私達は基本的に現役で合格させるように導きたいと思っています。希望は高く持って挑んでも、試験に落ちて悲しむ姿を見たくないので、    じっくりと考えてから志望校を決めましょう」

娘は懇談の帰り道に私に言いました。

「大きなお世話や。」

 私も少しは思いました。

「ほんまや、浪人してもいいから、がんばり」

と励ましたつもりでしたが

「ママ!私が落ちると思ってるの!?」と娘はご立腹

「いやいや、そういう意味ではなく、、だって京大やろ?」と私

「ほら、私には無理やと思ってるの?」

「そ、そういう意味ではなく、、、」

今だから言える事でですが、

娘は先生の弱気なアドバイスさえも要らなかった様子でした。

 私と夫は娘が京都大学を受けるなんて考えた事もなかったので、    その週末、早速、受験前日の宿探しに京都に出かけました。

秋の行楽シーズンで京都は賑わっていました。さらに当時はインバウンドで海外からの観光客で混みあっていました。

その時初めて、京大受験の宿が全く無い事に驚きました。

京大を他県から受験される方のほとんどは、夏までに、宿舎を押さえているのですね。そんな事になっているとは知らずに秋も深まってからではもう手遅れかー!!と本当に焦りました。たまたま百万遍に程近い宿を見つけ、下見まで出来て、即、予約しました。ほっと一安心したものです。

 誰の受験や、と思いますよね。子供の為ですもの。。?        娘には全く頼まれてはいませんでしたが。。。。パパとママ、ほとんど自分の趣味、ライフワークみたいになってました。過干渉で心配性な親でね。、、、娘には薄々ばれていましたが、「ありがとう」は言ってくれました。

京大受験が決まってる方は前年の受験が終わったらすぐ、宿舎の予約する事をお忘れなく。志望校変更でキャンセルも可能です。

それから私と夫は、子供達の京大受験にまた、伴走する事になりました。 娘からは頼まれてもいませんし、むしろ迷惑そうな様子でしたが、、   

今だから言えますが、親子でテーマパークに行った時の記憶の様にハラハラドキドキの日々を過ごさせてもらっていました。

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