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我輩は猫になりたい

私は意図して人を傷つけようと思うことはあまりないけど、言葉を発した後に、あ、今相手を傷つけてしまったな、とか、自分本位の言い方になってしまったなとか気づいて、しばらく落ち込む、ということがある。
そんな時、謝れる場合は後日でも、謝るようにはしている。
でも、自分では思わぬ一言で相手を傷つけてしまうこともきっとたくさんあったと思う。その場合、私は相手に謝ることができていない。

きっとこういうことは日常の中にたくさん潜んでいて、今もどこかで悪意のない傷つけ合いが、ぽこぽこ発生していると思う。
そんな時、自分だけの解釈で相手の言葉の意図を決めつけ、悪意で返すことはさらなる傷つきの連鎖を生むだけなのでやめたほうがいい。でも、どうしても合わないな、この人といると上手く話せないな、など感じる場合は、距離をとって構わない。
それは、その人と考え方や感性が合わないということだと思うし、無理して不幸になる必要はない。

個性は大事だし、人と違っていたいし、周りに流されない自分を大切にしたいと思うけど、それは他人を貶めることと決してイコールではない。だからといって、極端に自分を卑下する必要もない。この社会では人は人と自分を見比べがち、評価されがちだけど、そこに見えてくる階級みたいなものは、実は全て妄想に過ぎない。
地位なんて作為的なものだし、人間関係なんてボタンの掛け違えによって成り立っているようなもの。最低限の礼節を保っていれば、あとは好きに生きていいんじゃないかと思う。

その点、猫は偉大である。
好きなものはとことん好きだし、嫌なものは嫌と言う。遊びたきゃ遊ぶ、寝たきゃ寝る。他人のことは御構い無し。
猫は、生き辛さを抱える人間たちの心の師匠なのかもしれない。

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