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フェミニズムを批判する人たちへ

フェミニズムの主張を耳にすると、
「男の方が差別されている」だの、
「男の意見も聞いてくれ」だの、
反論を発言する人が現れるけど、まさか自分の彼氏からそんな言葉が出てくるとは思いもしなかった。

きっかけは、「82年生まれ、キムジヨン」を読んだ感想を私が彼に話したことだった。
この本は、女性であれば直面する可能性のある理不尽な出来事をかき集めて、1人の女性の半生として描いたものだ。韓国でベストセラーを記録、昨年の12月には日本でも翻訳版が発売開始された。
とてもリアルな女性のあるあるネタが並べ立てられていることが、多くの読者の共感を呼んだらしい。日本でもある国会議員が、みんなにも是非読んで欲しいとのことで、この本を全議員にプレゼントしたという。

私は未読の彼に本の内容をかいつまんで伝え、読んでいくうちに怒りを覚えたことを話した。すると、それを受けた彼はまず、「セクハラって女がする可能性もあるのに、男ばかりが取り上げられているよね?」と言った。
それから、男女差別の起源の話をし始めた。
彼曰く、起源に遡って考えれば、現在まで続いているのは男女差別ではなく、男女の役割の違いなのではないか、とのことだった。それが現在でも続いてしまっているのが問題らしい。
でもこれらの話を受けて、私の中には違和感が芽生えた。いくらその先の話を聞いても、そのつっかえはどうしても取れなかった。その違和感は一言で言えばこうだ。

(なぜ、その話をするの…?)

口達者な彼は、色々な事例や自身の経験を並べ立てて、最後にこう締めた。
「フェミの人たちは自分たち側からの偏った声ばかり取り上げて、男の意見を聞き入れようとしないのがだめだ」

この言葉を聞いて、私は怒り心頭した。
違和感の正体がやっと分かった。
彼は、KKKと同じ主張の仕方をしていたのだ。

白人至上主義、黒人の独立運動に対し、白人の方が逆に差別を受けていると主張する団体である。肌の色だけでなく、特定の信仰や同性愛にも反対を示しているみたいだが。
女性たちの訴えを受け、男性の権利を主張するやり方は、まさにKKKと同じ卑怯なやり方だと思った。

そもそも、女性たちは、かつて奴隷とされ人とさえも見られていなかった黒人たちのように、男性側の意見を聞くという権利さえもなかったのだ。男中心に作られた世界。女は人生のどこかの段階で、容赦なく人権を剥奪されていた。それは時代が変わるにつれて徐々に緩和されてきているとはいえど、現代でもまだまだ根強く蔓延っている問題である。
だから平等な社会への第一段階として、女性たちが声を上げ始めているのが現在のフェミニズムなのではないかと思う。
それなのに、声を上げる時さえ男の顔色を伺わなければいけないのか。一歩身を引いて男を立て、あなたの主張もわかるよ、なんておだててから意見を言えというのか。
もしそうしなければいけないのなら、そこには根本的に男性への服従が内在したまま、男に媚びる形で願いを聞き入れてもらうという構図が出来上がってしまう。そしてそれは真の意味でのフェミニズムではない。

彼の言っていることも、ある意味わかる。例えば違う宗教間では、話し合いをせずお互いの主張を押し付け合うことで、戦争が起きたりする。お互いにお互いを認め合い、相手の話を聞いた上で自分の話をするというのが、平和への一歩であることは間違いない。
でも、フェミニズムに関しては違う。企業間、宗教間、国間には、もうすでにお互いの土台が平等の位置に置かれている。でも、男女差別の問題に関しては、女性の土台は男性より低い位置から始めなければならないのである。

男性たちは、女性たちの悲痛な叫びに耳を塞ぎたくなるのかもしれない。女性たちから悪い悪いと非難し続けられれば傷つくのは当然だし、フェミニズムの主張に反発したくもなるだろう。
そして、「82年生まれ、キムジヨン」を読めばわかるが、いくら心優しい男たちであっても、現在の社会システムではどうにも女性を救えない現状と常識がある。この問題は、あまりに自然に社会に溶け込みすぎて、男女共に簡単には気づけないという点で、実はかなり深刻なのだと思う。
だからこそ、男性たちにはまず女性たちの声に耳を傾けて、一旦聞き入れていただきたい。
私たちは差別の起源ではなく、現在の犯罪者でもなく、未来を見ている。私たちはあなた方を傷つけようとして叫んでいるのではない。私たちが今まで受けてきた膨大な傷を分かってもらいたくて、そんなシステムになってしまったこの世の中を少しでも変えたくて、今の女性たちと娘たちのために叫んでいるのだから。

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