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不登校の彼女とクラスに馴染めなかった私


中学2.3年のクラスが最悪で、担任までわたしを理解しようとしてくれず、救いようのない中を耐え忍んだ時期があった。
クラスメイトのほとんどと馬が合わず、わたしは絶賛中二病をこじらせていた。

この人たちと生きる世界が違うのだけははっきりわかる。そしてこの人たちの文化に迎合したくないのもはっきりわかる。でも、自分が分からない。何をしたいのかも、どんなポリシーがあるのかも、自分が正しいのか正しくないのかも全てごちゃごちゃしていた。

圧倒的に孤独だった。それでもわたしはさみしいと素直に言えなかった。だから遠回しに救いを求めたのがよくなかったのかもしれない。それを、担任はわたしが優等生ぶっている態度とみなしていた。その1つが、不登校の子に手紙を送るという行為だった。

わたしは心の拠り所が欲しかった。そのクラスにはずっと教室に来てない子がいた。そしてその子は吹奏楽部の先輩の妹だった。
たったそれだけの情報で、わたしは彼女ならわたしと気があうかもしれない、と妄想を膨らませた。吹奏楽部には、気心の知れた優しい友達がいっぱいいたから。
わたしは手紙に、教室に来て欲しいという旨を書いた。ドラマなんかでよくあるような、学校楽しいよって誘う文句というよりは、寂しいから友達になって欲しい、みたいな懇願の内容だったと思う。送り先がわからないので、わたしはそれを担任に託した。

一向に手紙の返事は戻ってこなかったし、その子も教室に来なかった。気が進まなかったが、やきもきして担任にその後どうなったか聞いたら、「なに、返事が欲しいの?」とだけ返された。その言葉がショックだった。
しかしその後、実はその子から随分前に手紙が届いていたことが分かった。

ようやく手に入れた手紙をわたしは読んだ。
とても優しい人だった。わたしのことを気遣いつつ、でもその子は今が幸せだと言った。わたしは悲しいというよりも、自分がしたことの身勝手さを恥じた。わたしは人に救いを求めるのではなく、自分の場所で自分で踏ん張らなきゃいけないことを思い知らされた。

誰かに認めて欲しいとばかり思っていた。まず自分自身が自分を肯定する必要があったのに。そのために、悩みを人に打ち明けるとか、親に相談するとか、素直にちゃんとすればよかったのかもしれない。でもその時のわたしは強がって、クラスメイトを見下していた。わたしのことなんか彼らは理解できないと思った。担任にも嫌われている気がしたけど、わたしの方も担任を嫌っていたのだから仕方がない。殻に閉じこもるせいで敵を作る、みたいな状況を自分で生み出していたのだ。
幸いなことに、わたしは音楽と部活の友達に救われていた。だから学校には辛くても通えた。中学校って悪いイメージを残しがちだけど、ちゃんと詳細を紐解いてみれば、希望の光もちゃんとあったのだということを忘れないようにしておきたい。


実はその後、吹部の友達が、その不登校の子と小学生の頃仲が良かったと聞いたので、連れてってもらって家に遊びに行ったことがあった。
不登校の彼女は、旧友とともに突然訪問してきたわたしを快く出迎えてくれた。柔らかな笑顔が可愛らしい子だった。
彼女はいわゆるオタクで、たくさんの漫画やキャラクターのぬいぐるみを持っていた。パソコンも使いこなしていた。
3人でお茶の入ったコップとお菓子を開けておしゃべりした。オススメの漫画を教えてもらった。色々詳しくて、わたしが読んだ数少ない漫画のことも知ってくれていて、わたしは終始心をときめかせていた。手紙のこともその時謝ったけど、彼女は全然気にしてない、むしろ嬉しかったというふうに言ってくれた。
放課後、日が沈むまでのたった数時間だったけど、なんだかまったりしていて、居心地が良くて、わたしはとっても幸せな時間を過ごした。それは、その子自身が自分で充実していたからこそ、作ってくれた時間なのだと思う。学校に行けないというよりは、自分の判断で行かないように思えた。不登校というイメージが合わないくらいよく笑っていたし、とっても楽しそうだった。堂々とした彼女の態度が、わたしをも肯定してくれているように感じられた。その日確かに、わたしは彼女と本当の友達になれた。



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