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明けない夜に

試験前に、部屋の片付けするみたいに
卒論前に、noteを書く
非効率なんだけど、効率的で、余裕がないのに、余裕が生まれる現象
誰か名前つけて


「明けない夜はない」

誰が最初に言い始めたのだろう。
幾度となく降りかかる困難の渦中にいる多くの人を支える言葉になって、励ませられ、力づけられ、いつかくる夜明けに希望を持つことができる。
使い古されているけど、擦り切れることはなく、むしろ色んな人たちの経験が重なり合って、真理に近づいているようなそんな言葉になっている

今も世界のどこかで一人はこの言葉によって励まし、励まされている気がする…

でも、ふと思った

それって、その人を突き放してない?

きっと、そうやって励ましてくれる人ってとっても優しいんだけど、
言葉自体が優しくないっていうか、なんていうか…


なんで、最近この言葉が気になっているかというと、

卒論で子どもの死について書いてて、幼くして死を避けることのできない病気や障害を抱えた子どもたちに夜明けが来るのはいつ??って思ったから。
それは、神さまのところに行くとき?そんなの悲しすぎる。

最近見たブラジルのドラマでも言ってた。地球の裏側でも言われてるらしい。
箱入り娘の主人公は、お金持ちのお父さんに出資してもらい夫と二人でレストランを開く計画をしていた。開店間近にレストランへ足を運ぶと、何一つ手付かず、、、夫は浮気し、さらにお金を持ち逃げ、蒸発した。
主人公には何も持っていない。旦那がすべてだった。どん底にある主人公は、旦那の持ち物全てを燃やし、部屋ごと燃やそうとしていた。すべて奪われ、どん底だった。
そこで、助けにきた人が言ったのが「明けない夜はないわよ。」だった。

人を励ますときの常套句。
私もたまに使うし、たまに言われる。

確かに、明けない夜はない。
日はまた昇るし、朝が来る。
優しさから出てきた希望の言葉。


でもね、思った
もしかしたらこの言葉、優しくないかもって

「明けない夜はない」ってとっても受動的じゃない??
とりあえず、今は耐えよう。月日が経てば。いつかきっと。って

それで希望が持てるならステキなことではあるんだけど、夜明けまで耐えるって結構大変。

標高3000mにある山小屋で一ヶ月生活してた時、夜に一人で外にいると、本当に闇に飲み込まれそうになったことがある。
星は輝いているけど、美しいだけではなくて、「畏怖」っていう感情がまさにぴったりだった。
米粒みたいな星の光でさえ、私のところまで光を届けているけど、あの星からは私は見えない。自然の中で、無力さと孤独と不安が一気にくる感じ。
それでも、星は綺麗だった。

なんの話だっけ。
そうそう、どんなに星は綺麗でも、夜明けまで耐えるのって難しいって話。
実際、3000mは夏でも寒すぎて、外では寝れない。
(山、おすすめです)


明けない夜に、わたしは。


「夜の闇がね、夕日にシャッターおろすんだよ」

わたしの保育園の頃のつぶやきが、書き残されていた。おぉ、もう戻ることのない清き心。そのまま行けば、詩人になれた。

確かに明けない夜はないのかもしれないけど、
死に直面している子ども、介護してる人、自殺念慮を持っている人…
明けない夜はないって信じること自体が難しいことが往々にしてある。
渦中にいる時には、一瞬が永遠に感じるほど苦しいのだから。

そんな時に、「明けない夜はない」なんて声は届かない。響かない。
あと、どれだけ待てば、耐えれば夜明けが来るのか。それを教えてくれるならきっと耳を貸してくれる。でも、そんなの誰にも分かりっこない。

明けない夜はない。待つしかないのか…
シャッターを自分でこじ開けられたらいいんだけど、それもできないこともある。
そもそも、人間が太陽昇らせることなんてできないし…

だから、わたしは明けない夜はないというくらいなら、

明けない夜には、
懐中電灯を探して君のもとに走っていきたいし
懐中電灯が見つからなかったら、
火を起こして焚き火で一緒にあったまりたいし
それも叶わないなら、
せめて、闇に目が慣れるまで一緒ににいたい

と思った。

さて、

明けない夜に、あなたはどうする??




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