292回 頭痛肩こり龍之介


いわゆる頭痛持ちというやつである。
今でこそなんとか鎮痛剤を飲まなくてもやり過ごせることも多いが、若い頃は日常生活に支障をきたす程の痛みがしょっちゅうあったため、頭痛さえなければどんなに楽かと恨めしく思っていた。月の半分くらい、程度の差はあれど頭が痛いというのは、結構しんどいものだ。酷い時には起き上がれず、嘔気があるので食べる気にもなれない。寝ていても痛いのだが、起きて頭を動かすともっと痛くなるので、どちらにせよ辛い。
あらゆる痛みがそうだが、その痛みを経験したことが無い人には、なかなかその辛さを理解してもらえないところがある。頭痛は、怪我をして痛くて手足が動かないというようなわかりやすい痛みではない。傷の痛みなら大抵の人がある程度経験があるだろうから、想像がし易い。だが頭痛に関しては、経験した人にしかわからない辛さがあるのだ。

ひとくちに頭痛と言っても、いくつかの種類に分けられる。
その中でも一番危険なのが、くも膜下出血を発症した時に出現する頭痛である。「いきなりバットで殴られたような」(バットで殴られた経験がある人は少ないと思うが)という形容で表されるこの激烈な頭痛は、あまりの痛さに思わず時計を見ると言われている。そのため発症した時間を覚えている人が多いのだが、どうして時計を見るのかはよくわからない。あまりの痛みに嘔吐する場合もあるが、とにかくそれまで経験したことのない頭痛が突然起こったとしたら、躊躇なく救急車を呼ぼう。頭痛の後ほどなく意識を失ってしまうことも多いので、近くにいる人に「救急車・・」と告げて倒れるという場合も多い。
くも膜下出血の原因となるのは、8~9割が脳動脈瘤の破裂である。発症すると3割がそのまま亡くなってしまうという非常に致死率の高い恐ろしい病気である。助かったとしても重篤な後遺症が残る場合も多く、発症前の状態に復帰できる確率は4人に1人だそうだ。CT検査で迅速に診断して、クリッピング術やコイル塞栓術といった緊急手術を行う必要がある。
医者になって間もなく、バイトに行っていた当直先の病院で、夜中に呼び出された。患者ではなく夜勤の看護師の体調が悪いというので急いでナースステーションに行って状態を聞いたら、なんと突然酷い頭痛が起きて嘔吐失禁したとのこと。いくら医者になったばかりとはいえ、これは典型的なくも膜下出血ではなかろうかと思いつき、すぐさま救急車を呼んで脳外科に運んだ。予想通りの診断ですぐに緊急手術となったが、診断が遅れていたら命に関わっていただろう。その後その看護師は日常生活に復帰できる程に回復したと聞いて、あの時ほど他人の命を救ったという感慨を覚えたことはない。

くも膜下出血の頭痛に比べればマシではあるが、厄介なのが片頭痛である。
ズキンズキンという拍動を伴って頭の片側(両側の場合もある)に出現するこの頭痛は、光や音に過敏になって嘔気嘔吐をもよおすことも多い。日本人の有病率は8.4%であり約840万人が苦しんでいるというこの片頭痛、女性は男性の4倍と多く、20代から40代にかけて酷くなる傾向がある。
原因としては、なんらかのきっかけで脳の血管が急激に拡張することにより引き起こされると言われている。様々な要因で三叉神経が刺激され、神経末端から炎症物質が放出されることで、血管が拡張する。要因となるのは、ストレス、気圧や天候の変化、環境の変化、生活リズムの変化、女性の場合は月経周期による女性ホルモンの変化などが関係している。
片頭痛発作と言われるように、痛みは4~72時間持続し、その間はできるだけ刺激を避けて暗くて静かな場所で寝ている方が楽に感じる。発作が出る前に、2割の人には「閃輝暗点」という前兆が現れる。視界の真ん中にキラキラしたギザギザの光点が出現し、次第にそれが大きくなって視界の全体を覆うようになる。それが20~30分持続した後、頭痛が始まるのだ。
片頭痛に悩んだ人の中には、ルイス・キャロル、フレデリック・ショパン、パブロ・ピカソ、バージニア・ウルフ、シモーヌ・ヴェイユ、樋口一葉、芥川龍之介といった錚々たるメンバーが並んでいる。片頭痛と才能を結びつける言説も沢山あるが、有病率が高いことから考えるとたまたまのような気もしないでもない。ただ脳が刺激に対して過敏であることは確かなので、やはり関係はあるのかもしれない。
今はかなり有効な薬剤が開発されているので、現在進行形で片頭痛に悩んでいる人は、積極的に頭痛外来を受診することをお勧めする。

頭痛の中で最も頻度が高いのは、筋緊張性頭痛である。
孫悟空の頭に嵌っている輪っか「緊箍児(きんこじ)」にも例えられるこの頭痛、頭全体が締め付けられるような圧迫感を感じる非拍動性のタイプで、片頭痛に比べれば程度は軽度から中等度ではあるが、慢性的に続くことも多くこれはこれで辛い。
我々の後頭部から背部にかけては、僧帽筋という大きな筋肉がある。スマホやパソコンに集中してずっと同じ姿勢を取っていると、この僧帽筋が緊張し続けることになるので、血流が悪くなり痛みが出る。原因は僧帽筋だけではないが、首や肩が常に凝っていて頭痛があるという人は、よくストレッチをしてこの僧帽筋をほぐすと良い。
精神的なストレスがずっとかかっている場合にも、この筋緊張性頭痛は起こる。また眼を酷使して眼精疲労になってもこの頭痛は発現するので、とにかく身体的にも精神的にも緊張するのがいけないというのはわかる。わかるのだが、このただでさえストレスの多いこの現代に於いて、ストレスを無くすことはかなり困難である。だからこの筋緊張性頭痛に悩んでいる人は多いだろう。片頭痛の発作と異なり、この頭痛はダラダラと常にどこかに存在しているため、慢性的な不調がある場合、この頭痛が原因の可能性が高いと思われる。
ある種の現代病ともいえる筋緊張性頭痛だが、意識してストレッチをしたり、同じ姿勢を取らないようにしたりして、できるだけ筋肉の緊張を無くすようにしたい。

若い頃は、月経周期に関係する片頭痛と眼精疲労に依る筋緊張性頭痛に悩まされてきたが、体質に合った漢方薬を内服するようになってからは、それまでの頭痛が嘘のように軽減して楽になった。一時はPMSの浮腫みが原因だと思い利尿剤を飲み過ぎて脱水になったりと、極端なことをしてかえって悪化させたりしたが、要はバランスなのだろう。辛いからと鎮痛剤を常用し過ぎると薬剤誘発性の頭痛が生じたりするので、何事も程々にしなければならない。
通常の生活では頭痛は少なくなったが、信州に長く住むようになってから上京する度に頭痛が出るようになった。何故だろうと考えて思い当たったのが、気圧の変化である。気圧が下がると頭痛が出るという人が多いが、私の場合は気圧が高くなると頭が痛くなる。標高が100m上がると気圧は10hPa下がるそうだ。そうすると今住んでいるところの標高は約600mなので、0mの東京に行くと60hPaも上がることになる。もちろんそう簡単なことではないと思うが、数時間のうちに急激に気圧が上がることには変わりないだろうから、それで頭が痛くなるのかと得心が行った。

原因が判明することで頭痛が亡くなるわけではないとは言え、理由がわかれば対策も取れる。
今は若い頃に比べればかなり頭痛の頻度も減少し、頭が痛くて寝込むことも滅多に無くなった。
それでもいまだに完全に無くなったわけではないので、頭痛がない日はそれだけでとても楽だ。
頭痛がなければなんでも出来るような気がする。気がするだけだが。
どうか明日も頭痛がありませんように。
頭痛持ちの全ての人に心から祈りを捧げる。


登場した病気:片頭痛
→南北戦争の北軍の司令官だったユリシーズ・グラント将軍も、片頭痛持ちだった。南郡のグラント・リー将軍が降伏してきた時、グラント将軍は片頭痛発作の真っ最中だったそうだ。もう一刻も早く横になりたかったグラント将軍は、細々した降伏の条件を議論せず受け入れたので、南軍側はずいぶん救われたことだろう。
今回のBGM:「ピアノソナタ第2番」フレデリック・ショパン作曲 ピアノ演奏マウリツィオ・ポリーニ
→シューマンにボロクソに言われたこの楽曲、ショパンが自身の片頭痛発作の様子を描いたという説も。「葬送ソナタ」と言われるように陰鬱な印象があるが、もし本当に片頭痛が創作の動機だとしたら、見事に昇華させたものである。


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