第148回 プールサイド・デイズ


子供の頃の夏は今よりも確実に暑くなかったはずだが、寝苦しい夏の夜の印象が強く残っている。
確かに当時は冷房もなかったので、扇風機とうちわでしのぐしかない。ろくに木陰もなくアスファルトの照り返しがきつい東京の夏の楽しみ、それはプールと海水浴。

体育の授業で水泳があったのは中学校までだったが、小学生の頃泳ぎは苦手だった。
当初は「のし」という横泳ぎしかできず、学校の25mプールを泳ぎきることはできなかった。それではいかんと水泳教室に入れられスパルタで鍛えられたおかげで、クロールで50m泳げるようになった。
平泳ぎや背泳ぎもできるようになって、そこそこ泳ぎが得意な気がしてきた中学生の頃。

夏休みに沖縄に行く機会があった。それまで海といえば東京からほど近い伊豆半島の海であったので、砂浜は黒い。黒いというか、まあ砂色だ。それが沖縄は目にも眩しい白いサンゴ礁の砂浜である。伊豆の海よりも水温が高い分塩分も高いのか、浮力が大きい。簡単に浮けるので、泳ぎやすい。
調子に乗った私は、岸から離れてどんどん沖に泳いで行った。遠浅の砂浜はいつでも足が着けるという安心感があったのも事実だ。しかし実際のところ人工的に整備されたその砂浜は、ある程度までは遠浅だったが、いきなりそれが途切れて深くなる構造であった。
泳ぎ疲れてさてそろそろ休もうかと立つつもりが、丁度その遠浅の終着点、その先からは深くなる海底の断崖のところだったので、底に着いた拍子に足はそのまま断崖の縁を滑り落ちた。さあ、立てない。どこまで深いかもわからない。
おそらく普通ならここでパニックになり、溺れていても不思議ではないと思う。しかし当時からあまり物事に動揺しない性格であった私は、うーむと思いつつも、まあ浮くからいいかとそのまましばらく泳ぎ続け、無事に1km程度を周回して浜に戻ってこられた。

やれやれと岸に上がると、なにやら足が痛い。
見ると片足の親指がぱっくりと切れているではないか。どうやら何度か足を海底に着いた際に、サンゴ礁のかけらか何かで切ったらしい。
とにかく医務室に行ってみたが、威勢の良い女性のドクターに傷口に入った砂をがしがし取られた応急処置だけだった。隣でクラゲに刺された痛みで泣いている男性が、ドクターに大の大人が情けないと怒られていたことをよく覚えている。その傷は痕も残さず治り、遠泳もその時限りとなった。

それにしても最後に泳いだのはいつのことだったか。
昔は水着を選ぶのも楽しかった。幼い頃はワンピース型で腰回りにスカートのようにフリルが付いている水着が流行っていた。紺色のスクール水着は横に置いておくとして、10代20代は夏になるとデパートなどに出現するカラフルな水着の一大コーナーに、わくわくしたものだ。
そういえばこれまでの人生で、一度もビキニは着たことがなかった。露出云々というよりも、単に腹が冷えるのが嫌だったのだろう。ワンピース型の方が、デザインやプリントが映えるものが多いのも、ひとつの理由であったと思う。
水着の生地も日進月歩で進化している。速乾性、耐久性、伸縮性といった3点をポイントに、現在ではスパンデックスが主流だ。スパンデックスは、1959年にデュポン社が開発したポリウレタン弾性繊維の一般名称であり、商標名はライクラである。
水泳選手の水着などは、0.1秒の単位で争うとあって、その表面の抵抗を如何に減らすかを水着メーカーが競っている。サメの体表を模したとか、できるだけ皮膚が露出しないように覆うとか、知恵を絞って開発しているわけだが、もう鰓も付ければいいのではと思ってしまう。

ちなみに私は夏生まれだが、実は夏が苦手である。
いまとなっては泳ぐのにいちいち着替えたりするのも億劫であるし、泳いだ後の脱力感や倦怠感も鬱陶しい。
それでも塩素の匂いを嗅ぐと反射的にプールを思い出して、泳ぎたくなるのが不思議だ。
実際に泳ぐとなると大変なので、ここはひとつ機能性度外視のお洒落な水着を買って、プールサイドに寝そべっているつもりでトロピカルカクテルでも飲もう。
くれぐれも実際はアルコールを飲んで泳がないようにね。


登場した泳法:のし(伸し泳ぎ・熨斗游)
→日本古式泳法水府流の基本泳法である横泳ぎのこと。父親直伝。それほどたいしたことはない。
今回のBGM:「スローなブギにしてくれ(I want you)by 南佳孝
→彼には「プールサイド」という曲もあるが、当時片岡義男を全部読んでいた私としては、やはりこれ。とにかく片岡のあの文体が好きだったのだ。

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