240回 夢芝居


先日十数年ぶりに演劇を観に行った。
演劇を観ることについては、わざわざ「観劇」という言葉がある程なので、ちょっと特別な雰囲気があるように思う。演劇自体、劇を演じるという意味であり、この劇は芝居と言い換えてもいいだろう。
本当に前がいつか思い出せないほど久しぶりだったので、あらためて演劇というものについて考えるよい機会になった。

10代の頃は、歌舞伎と宝塚に足繁く通っていた。因みにこちらも演劇と言えるだろうが、通常の現代劇とはカテゴリが異なる気がする。その時代はちょうど小劇場の演劇が盛んになり始めた頃であったが、たまたまそちらにはあまり縁がなかった。
ただ唯一、強烈に印象に残っている観劇体験がある。
劇団 夢の遊眠社による「贋作 桜の森の満開の下」、1989年初演の舞台である。坂口安吾の原作「桜の森の満開の下」と「夜長姫と耳男」を下敷きに、大幅にリミックスしたこの作品。原作に格段の思い入れのある私にとっても、その大胆な演出と構成に舌を巻いたものである。
物語の終盤、主人公の耳男を演じる野田秀樹が、少し高いところに登っている場面があった。梯子のようなものだったかもしれない。そこから彼は足を踏み外して下まで転落したのだ。一瞬それが演出なのか事故なのかわからなかった。彼自身はもちろん周囲の出演者も動じる様子はなく、物語はそのまま最後まで滞りなく続いて終演した。
あとになってそれが本当に事故であり、野田秀樹は脇腹を強打して腎臓打撲で血尿が出るほどであったことを知った。
演劇というのは、目の前の舞台の上で生身の役者が演じているのだということを、痛烈に感じた体験だった。

寺山修司の「毛皮のマリー」を美輪明宏と及川光博が演じた舞台は、3日に一度は劇場にいるというくらい通い詰めた。
前のPARCO劇場は客席が500席弱だったが、そのあらゆる場所から観るという貴重な経験ができたのは感慨深い。観劇は、観る場所によって印象が異なるのはもちろんのこと、隣に座る人やその時の自分の体調によっても、印象は変わる。
そしてそれは演者にも言えることだろう。同じ舞台は二度とない。セリフや動きが全く同じであっても、役者の演技は毎回微妙に異なる。客席の雰囲気によっても、演技は影響を受けるのかもしれない。
規格品のように全く同じクオリティで毎回演じられるのが良い芝居とは、私は思わない。役者は、試行錯誤を繰り返し自分自身に問いつつ、劇自体と共に進化してゆく。観客もまたその空間に参加することで、劇の一部として飲み込まれる。それをグルーヴということもできるだろう。
その両方が組み合わさって、その時しかあり得ないライヴが生まれるのだ。

いまライヴと書いたが、音楽と演劇との違いを実感したことがある。
以前知人から聞いた話だ。その人は子供の学校行事だかで「屋根の上のバイオリン弾き」のミュージカルを観に行ったそうである。それまで演劇もミュージカルも観たことはなかったらしい。彼女曰く「なにがなんだかわっぱりわからなかった」と。なんで舞台に斜めになった構造物(屋根!)があって、その上でバイオリンを弾くのか、なぜいきなり歌い出すのか(ミュージカルあるある)、などなど。
これを聞いたとき、演劇というものを鑑賞するには、ある程度の知識と経験が必要なのだなと実感した。
舞台の上に本物の建物や道路を持ち込むわけにはいかない。そうした場合、大道具小道具を駆使して「見立て」をするのである。この「見立て」によって、単なる背景の板組みが、宮殿にも廃屋にもなり得るのだ。回り舞台のように場面転換ができる会場以外では、こうした大道具を上手に使うことで、一瞬にして場末の酒場が王宮に転換する。
ミュージカルにしろオペラにしろ、物語の中に歌が登場するのは当然のことなのだ。そういうものなのだから。歌う必然があるわけではない。そのような構造を持った劇であるというお約束の上に成り立っているものであり、それを言うならバレエなど立つ瀬がなくなってしまう。

音楽なら、歌詞の意味がわからなくても、音それ自体を聴くだけで誰でも楽しむことができる。
それに対して演劇は、楽しむためには観客の方にも一段段差を越えることが求められるのだ。その段差はもしかしたら、ひとによって高さが異なるのかもしれない。しかしそれを越えれば、ステージの限られた空間の中で路地から宇宙まで自由自在に行き来する、極上のフィクションを体験することができる。
古代ギリシアの悲劇喜劇の数々は、今に至るまで人気の演目だ。シェイクスピアも、近松門左衛門も、イプセンもベケットも、舞台背景や演出を変えて上演され続けている。

どんな演目でもいい。
機会があればぜひ劇場に足を運んでみてほしい。
現実と地続きの非現実に身を委ねるひとときが、あなたを待っている。


登場した言葉:セリフ
→これまでで一番驚愕したのは、ユージン・オニール作「喪服の似合うエレクトラ」の舞台。主役の大竹しのぶと堺雅人は、それぞれ文庫本1冊分くらいの膨大なセリフを、弾丸のように淀みなく繰り出す。凄まじかった。
今回のBGM:「METAL MACBETH」by 劇団☆新感線
→宮藤官九郎が劇団☆新感線とタッグを組んだかの有名なシェイクスピア劇、滅茶苦茶面白かった。CD買いました。


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