見出し画像

そして彼女は動けなくなった。ごめんねオカン(私のオカンは毒親か?#3)


とにかくオカンは悶え苦しんだ。


2年前、オカンが81才になる年に。

え?もうお正月が過ぎて1ヶ月も経ったの?と中年らしく驚いていた頃、オカンがまず「肩こり」にもんどり打ち始めた。それを娘の私はさらっと流した。

その後、いまのうちに心地よい陽射しを浴びておかないとセロトニンが枯渇するぞ、と更年期間近で焦る初夏、今度は「膝が痛い」と泣き出した。

オカンは80才を迎える頃から「あとは死ぬだけやから」と開き直り、好きな物を好きなだけ食べ、20年間泳ぎ続けていた水泳も行かなくなり、それまで維持していた体重をどんどん増加させていた。

そら見たことか、太ったせいだ、運動不足だ、あれやこれやと言って私は相手にしなかった。でも、高齢の年寄りが目の前で痛い痛いと毎日苦しむ姿を見ているのも辛いものがある。私は泳ぎに行くよう促し、歩くように励ました。そしてダイエットするように厳しく言った。

時々、家族にめっぽう評判の良いゴッドハンドでマッサージもしてあげた。けれどもオカンは頑なに言うことを聞かず、寝てばかりいる。注意をしても厳しく言っても穏やかに説得しても、食欲をコントロールせず食べたいものを食べ、寝たい時に寝ていた。

すると肩こりと両膝の痛みは「右太もも」「左太もも」「胸」「背中」へと全身に広がっていき、ついには「首のうしろ」が痛くて身体が動かないと大泣きし出した。歩くことさえままならん状態になった。

それでも愚かな私は運動不足と決めつけ、全身を伸ばすストレッチを無理やりやらせたのである。

画像1


容赦なくのばした。

叫ぼうがもんどり打とうが苦悶の表情をしようが、私は伸ばしに伸ばした。のたうち回る高齢の年寄りを目の前にしても、私はここまでやってやる自分に満足していたくらいだった。

ところが、である。時々帰って来る兄がオカンを見て言うたのである。

「病院行ったんか?」

ほほう、その手があったか。いや、本当である。本心である。私は私の判断を少しも疑っていなかったのである。その期間なんと、オカンが苦しみ出してから半年、悶絶し出してから2カ月にも及んでいた。

こうしてやっとよれよれのオカンを整形外科へ連れて行き、血液検査をしてもらった。そして1週間後の結果発表。「すぐに市民病院へ行って精密検査を受けて下さい、多分自己免疫系の病気です」と言われた。

やだ~運動不足ではなかったのね~とのん気笑いはやめて、私は急いでオカンを市民病院へ連れて行った。診察室に入るや否や、発せられた一言目が「今すぐ入院して下さい」だった。

ふっ。

私の頭の中は真っ白にはならず、息子、仕事、遊びの予定が駆け巡り、とうとうきたか、とうなだれた。でも、まだである。ここからなのだ。

ここから怒涛の宣告が下された。


画像2

てっきり身体の痛みで入院かと思ったのだが、即入院の理由が糖尿病だったのである。その数値がなんとHbA1cが9.6(基準範囲5.5以下)血糖値が300近くあった。フツー健康なら100以下である。完全にアウト。私の予定など関係なく即入院だ。

身体の痛みよりも、糖尿病がえらいこっちゃになっていたのである。そして糖尿病の説明が一通り終わると続けて身体の痛みの診断が下された。

「リウマチ性多発筋痛症」だって。初めて聞いた。これがリウマチ性とは言うがリウマチとは違うんだと。なんのこっちゃ。と疑問いっぱいの顔を先生に向けると、先生がオカンの首を触りながら言った。

「首の後ろが特に痛いんだよね~これはめちゃくちゃ痛かったでしょ、全身痛むのよ。かわいそーに」と。

画像3

だって運動不足と思っていたんだもん。

ヤバい・・・。私はオカンの顔をそっとのぞいた。オカンは理解出来ていなかった。なになに?私入院せなあかんの?まさか。どっこも悪くないもん。とぶつぶつと言うていた。・・・セーフ。

先生と私はひとまずオカンをスルーして、入院の手続きやらを進め、そして診察室を後にして、会計を待つ間ゆっくりとオカンに説明したのだ。糖尿病で入院すること、身体の痛みは運動不足ではなく、多発筋痛症という完治するかしないか人によってまちまちな、原因もよく分かっていない病気だということ。

するとオカンは言った。手を合わせて涙目で言った。            「ごめんな、あんたに迷惑ばかりかけて」

私の心は波打った。これだから私はオカンを毒親とは認められないでいる。オカンは私を責めるでもなく謝ってきたのである。謝るのは私の方なのに。もっと早くに病院へ連れていれば、痛みをもっと重く受け止めていれば、あんなに体を伸ばさなければ。後悔でいっぱい。ごめんね。

ナチュラル暴言なくせに、私を責めないんだから、困っちゃうよ。


そして退院後、認知症の宣告。


最後のダメ出しをされた。そうか。そうだったのか。「死ぬだけやから」と謎の開き直りは認知症からくるものだった。ようやく納得できた。水泳をやめたのも寝てばかりいたのも糖尿病を引き起こした暴飲暴食も、全ては認知症の症状だったのだ。

画像4

突然、全てのやる気をなくしてしまったオカン。そこで気づくべきだった。今回は完全に私が悪い。

まさしく3重苦になってしまった。先生から教えられた。欲望や欲求をコントロールできなくなる、それが認知症ですと。


じゃあ、やっぱり筋トレだよね。



そこで筋トレである。病気になってからも水泳に行け、運動しろ、しっかり歩けと、ことある事に言っていたが辛うじて歩くことしかしなかった。歩く=買い物だから、リュックいっぱいにパンやお菓子を買って来る。

私はようやく重い腰を上げ、毎朝オカンに筋トレをさせることにした。まずは王道のスクワット。素晴らしいトレーニングだ。足を広げ椅子の背を持ちゆっくり5秒かけて腰を落とす。これを3セット。これは痛い。かなりしんどい。実際オカンは体中がぶるぶると震え100メートルダッシュをしたかのような息の上がりようで、ハアハアと座りこんだ。

でもそんな状態でも続けていれば、2週間目で奇跡のような効果があらわれた。何とオカンは自分から水泳を再開させたのである。あれだけめんどくさいと言っていたのに、ほぼ毎日ジムに通い泳いでいる。


言うだけではダメ。つき合うしかない。


息子の勉強もそうだが「やれ」だけではダメなのだ。息子が勉強する時は、テレビを消して親も仕事や家事をする。私もパーソナルトレーナーさまがアメとムチを使い分け、追い込んでくれるからこそ筋トレを続けられている。オカンもそうだ。一人では頑張れないのだ。仲間が必要なのだ。

同じ失敗を繰り返すところだった。あぶなかった。オカンと向き合うと言いつつ、言葉だけになるところだった。筋トレも一カ月が過ぎ、種目も増やし震えることもなくなった。泳ぐ距離ものびている。

オカンの筋肉はきっちり成長している。あきらめてはいけない。

画像5

私のストレス発散にもなる。おススメです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?