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映画「僕たちは世界を変えることができない」にみるボランティアの限界と可能性

 私は、大学生の時に、カンボジアへ体育を教えるボランティアに1週間ほど参加しました。行こうと思ったきっかけは、高校生の時に見た「行列のできる法律相談所」で、芸能人の絵をオークションで売り、そのお金でカンボジアに小学校を建てる企画に感銘を受けたからです。当時、島田紳助さんの言葉に感動して、番組の感想はテレビ局に送るものということを知らずに、直接ファンレターを送ったのが懐かしいです(笑) ご本人から頂いたお返事のハガキは今でも大切にしています^^

「僕たちは世界を変えることができない」(2011年公開)
出演:向井理、松坂桃李、柄本佑、窪田正孝
主人公の田中甲太は医大生2年であり、気楽なイベントサークルで日々過ごしていたが、ある時ボランティア募金のパンフレットを見て、150万円を集めることができればカンボジアに学校を建てることができることを知る。主人公は仲間を募り、チャリティーイベントに精を出す。普通の医大生たちがカンボジアに小学校を建てるまでの奮闘記である。(wikipediaより)

 この映画には、共感できる部分もたくさんあるのですが、「映画」という観賞用の媒体にカンボジアやボランティアが収まってしまっていることがとても残念でした。ほんの短期間ではありますが、実体験を踏まえた上で大学生によるボランティア活動の限界と可能性を考えてみました。(NGOなどの本格的な活動ではなく、あくまで、様々な旅行会社で開催されているような海外ボランティア体験を指しています。)

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 まず、限界について、最大の問題は「大学生の現地理解が足りないこと」ではないかと考えます。ボランティアをするとは言え、自分の人生探し・経験のためにやる人はたくさんいます。それ自体が悪いことではないと思いますが、一歩間違えば「善意の押し売り」になりかねません。現地理解がきちんとなされていなければ、人々のニーズにあった本当の支援はできないことでしょう。映画の中でも、“「熱いことをやる」=ボランティア”“学校建築=カンボジア”の印象を強める描写がたくさんありました。しかし、実際のカンボジアでは学校不足というよりは教員不足の方が問題になっています。日本は目に見える建築支援ばかりをやりたがり、アフターケアは二の次という部分も正直あると思います。社会がそのような姿勢だと、知らず知らずのうちに私たちの中にもそういったイメージが構築されているのではないでしょうか。時間はあってもリアルな海外の状況を学ぶ機会が少ない大学生が不正確なイメージの元でボランティアを行うことに限界を感じました。

 一方、きちんと現状を知ることができれば、誰よりも時間を作れるのが大学生の強みでもあります。海外でボランティアを必要とする人々を知り、実際に会って力になる経験は日本のどこにいてもできません。私自身、活動前と活動後で自己の考え方やものの見方が確実に変わりました。自分のことでいっぱいいっぱいになりがちな大学生が、ボランティアを通して外国にいる相手のことを思い、考え、感じることで、真の国際社会に近づけるのではないかと感じました。
 近頃、“大学生でボランティア=意識が高い人”と言われているのを耳にすることがありますが、ボランティアをすることが偉いのではなく、活動を通して学んだことをいかに今後の人生に還元させるかが重要だと思います。

 ひとつ言えることは、本作のような映画に出会ったことがきっかけとなり、ボランティアや途上国に興味をもつ人が増えると嬉しいなと思いました。
偽善だろうと何だろうと、その時その瞬間のキラキラした思い出はお互いの中に何かしらの形で残ると信じています!

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