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犯罪者を生かすべきか、生かさないべきか。

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本日1月29日早朝、数日前から話題になっていた指名手配犯・桐島聡を名乗る男が、警視庁が本人確認を進める最中に息を引き取った。

報道によると既に癌によって重篤な状態と聞いていたので、もしかすると桜が見れるくらいが寿命かなと思っていたが、まさか本当にすぐに亡くなるとは。

事実は小説よりも奇なりと言うが、指名手配犯が今際の際に「自白」という形のダイイングメッセージを遺したならば、世紀を揺るがす大事件だ。

男が桐島だとすれば70歳。
今の時代では比較的若すぎる死だ。

もしも自白して罪を償う選択をしていたならば、刑務所や拘置所からでも早期のうちから癌の治療ができて、もう少し生きられたかもしれないのにと思う。

法治国家である日本で身元を隠して数十年もの間潜伏生活していたとするならば、一体どれ程に不便だっただろうか。

身分を明かす仕事はできず、病院に行きたくても身分が明かせないから保険診療はできない。銀行口座も作ることができない。

外部との接触もほぼ遮断しながら生活していたのだと思うと、彼の人生はかなり制限されたものだったろう。一体何を思いながら生きていたのだろうか。

逃亡生活をするうちに、犯した罪への呵責や人の優しさに触れて僅かなりとも改心した部分はあったのだろうか。

だが、犯した罪への同情は一切できない。

あの世があるか分からないし、あったとしても当たり前に地獄行きだが、死人に口なしだ。
被害者やその遺族もまだご存命の人もいるので、生きているうちに罪を償って欲しかった。
当時の事件の共謀者で逮捕された者は次々と死刑や懲役刑になったのに、寿命で死ぬとは、言葉は悪いがまるで死に得だ。

犯罪者を生かすことの是非については、京アニ放火事件での例が新しいだろう。

36人が犠牲となり他数十人が負傷した本事件は、今月25日に行われた京都地裁での裁判員裁判において、被告人に対して死刑という判決が下った。

青葉真司被告は最先端の医療を受けさせられ、致死率90%以上のやけど状態から奇跡の回復をした後に逮捕されることとなった。

当時の世論については「こんな奴生かさずに殺してしまえ」という意見も多かった一方で「犯した罪を償うために死なせてはいけない」とする意見もあった。

私自身もつい最近まで前者寄りの考えだった。何の罪もない人が最先端の医療を受けられない中、何故凶悪な犯罪者であるこいつ(青葉)は特別待遇なのかと。
しかし、青葉被告を瀕死の状態から命を救った上田医師の話を聞いて、完全に納得はできないが、考えさせられるものがあった。

上田医師は、火傷医療に精通した医師である。
今回の件に関しても「救命の意味はあった」とし、青葉被告に対して「(事件に)正面から向き合って、決して逃げないこと」と言ったと言う。

勿論上田医師以外にも青葉被告の命を繋げるために沢山の医療従事者が必死だったはずだ。
個人的感情を抜きにして命を救うために粉骨砕身尽力してくれた医療従事者の方々のおかげで、青葉被告は自らの耳で遺族や後遺症を負った被害者の声を聞くことができたのだ。
その意義は非常に大切なものだと思う。

青葉被告の命を救った上田敬博医師

青葉被告には生きながらえた命で起こした事件の重大さに真摯に向き合って反省してもらいたいが、犠牲となった人の規模といい、身勝手な妄想も未だに消えていないため、残念ながら生きる形での罪の償いは厳しいと思う。

死刑に関しては様々な議論がなされているが、極刑は犯罪の抑止力でもあり、被害者やその遺族の感情を考えれば、未だになくてはならない制度だと感じる。

罪を償うという形で命を終える。
死刑という刑罰の存在は残酷かもしれないが、犠牲者が味わった死の苦しみよりもはるかに苦痛が少ない。
桐島だって生きて法の裁きを受けたならば、死刑か無期刑のいずれかは避けられなかっただろう。

罪を償わずに病気で死ぬなんて後味の悪い逃亡劇はもう見ていて辛い。

死人には罪を償うことができない。死んでしまってはもう、遺族や心のやり場に困るのだ。

誰が見ても死んで当然な存在でも、犯行の動機が明らかになること、そして被害者側の声を加害者側に届けることは、犯した罪の重大さを自覚させることに繋がり、その全てに意味がある。

桐島の件といい、青葉の件といい、犯罪者が生きているうちに罪を償わせることの大切さを、再考するきっかけになってほしいと切に願う。

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