見出し画像

広島原爆の日

おはようございます、ぴろろです。

今から79年前、広島県に原子爆弾が投下されました。日本人にとって決して忘れてはいけない日です。

戦争を伝える話や、平和を考える話が教科書に1つは入っていたと思います。
私たちの世代だと「ちいちゃんのかげおくり」などの作品が有名です。

もう亡くなった私の祖父母は、1945年当時は祖母は10代、祖父も20代前半の若者でした。両者共に爆心地から離れた場所に居たため被爆はしませんでした。

しかし、戦争の話となると祖母は口をつぐみ、祖父は「とにかく大変な時代だった」と言っていたことを思い出します。祖父は徴兵されてシベリア抑留も経験したらしいのですが、詳しい話を本人から聞くことは叶いませんでした。

自分たちが子供の頃は、戦時中の話をしに夏になると講演に来て下さるお年寄りが居ました。

部活で老人ホームに慰労訪問をすると、突然戦時中の話を思い出し、人が変わったかのように興奮して話すお爺さんも居たのです。

しかし今は既に高齢化が進み、既に戦争を経験した世代も亡くなっている方が大半。語り部も当時よりかなり少なくなりました。
今生きている後期高齢者も、戦後生まれか戦時中は赤ちゃん〜子供だった人ばかりです。

原爆投下から80年近くの年月が過ぎる中、海外では原爆を揶揄したTシャツやPVを出すグループが居たり、「頭がピ◯◯ンでやられてるんじゃないの?」と言うとんでもない元友人に出会すなどしました。

こうした明らかに揶揄する言動は論外ですが、今の労働者層、高齢者層共に戦争の怖さや恐ろしさを知らない世代ばかりであることは、危機感を持たねばなりません。

未曾有の災害でも凄惨な事故でも戦争でも同じですが、リアルに経験した世代が居なくなることは風化の懸念があります。

「戦争を知らない世代にも戦争とは何だったかを知ってほしい」そんな家族の想いもあり、私自身は幼少期に、何度か広島平和記念公園および資料館に連れて行ってもらったことがあります。

大人になってからは足が遠のき、一度も行ってません。

当時はまだ小学校低学年とかで「戦争って大変だったんだな」くらいの未熟な感想しか持つことができませんでした。

被爆資料(焼け爛れた衣服)や、被爆者のビデオなどの生々しい展示が多い中で実感が湧きづらかったのかもしれません。

しかし、近くにいた女性客がショックのせいかその場で倒れたことは鮮明に覚えています。
平和ではなかった時代を伝える展示なので、ある程度の覚悟をもって展示を見なければなりません。

後に千羽鶴を折って現地に行き、寄贈もしました。「千羽鶴はゴミ」という意見もある中、もしかすると場所をとって迷惑だったかもしれませんね。
しかし「戦争はダメだ」そう思った当時の自分ができることはこれしか思いつきませんでした。

原爆投下から79年。
今も世界各地で戦争や紛争が起き、決して平和とは言えない世界です。

同じ過ちを繰り返さないために、私たちができることは何なのだろうか。

戦争は多くのものを失い、互いを傷つけ合う最も悲しい対立です。
日常の中に平和に想いを馳せる日にしたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?