人間関係リセット症候群──人を拒絶し続けた女の末路
人付き合いというのは煩わしい。
昔も今もそう感じてやまない。
今はSNSが発達してLINEやInstagramなどで繋がる人の方も多い。
私はSNS上で何度もアカウントを消しては作りを繰り返し、Facebookに至ってはリアルの人たちとの精神的成長の具合を比べてしまう悪癖故に、既に3年ほど放置している。
それは昔からある年初めの挨拶、年賀状も例外ではない。
今は12月も半ばだが、来年の年賀状を準備している方々も多いだろう。
「毎年仕事関係や親戚から届くから付き合いの一環として送っている」という人も居れば、10年、20年前より数は少なくなったのではないだろうか。
令和になってデジタル化が進んで久しい。
特に年賀状に関しては、14年連続で総数が減っているのだそうだ。
私が去年受け取った年賀状は、保険会社からの1通のみだった。
高校生の頃、クラスで仲良くなったかつての友人達に住所を聞いて年賀状を送っていた時期もあったけども、未だに交流が続いている人は誰一人いない。
頂いた年賀状もスペースを取るので、昨年の大掃除で全て捨ててしまった。
当時の友人達には申し訳ないけど、躊躇はなかった。
思えば、私は人付き合いをあまり大切にしない人間だった。
小学校の時に流行ったプロフィールカードを「これ書いてね!」と言われて渡されたけど、気づけばどこかに失くしてしまったし、謝ることもなかった。
そして「あの子はいつまでもプロフィールカードを書いてくれない」と陰口を言われたものだ。
虐められるまではいかなかったけど、恐らく友達認定されなくなって、以降あまり話しかけられなくなった。
今思えば、それに関しては言われるのも当たり前だと思う。完全に悪いのは私の方だ。
だってね、書かないどころか、書くことさえ忘れてしまうくらいだから。
こんな最低な自分には友人関係を続けるのは難しい。
人間関係リセット症候群なんて言葉が囁かれているが、リセットどころか交流を続ける意思のようなものが消えかかっている。昔も、今も。
人との付き合いを拒絶して、拒絶して今に至る。
高校時代から10年以上続いた友人達とも、もはや年単位で連絡を取らなくなってしまった。
きっかけとしては、私が精神疾患を患ったり、生活環境が一変して精神的に余裕がなくなり、そのうちの1人にキツい態度をとってしまったことが原因である。
すぐさま謝罪をしたけれど、それからはギクシャクしてしまったように思う。自業自得だと思うし、私から連絡を取ったところで今更何?という感じだろう。
きっと今更声をかけたところで向こうは戸惑うだろうし、もう以前のような関係性には二度と戻れないと確信している。
毎年送っていた誕生日LINEも意を決して今年は送らなかった。
あの人たちには、私のことなんて忘れて知らないところで幸せに生きてほしい。
今もLINEの友人グループにも入ってはいるけど、抜ける勇気がない。
今度携帯番号を変える予定なのでLINE自体やめようかとも思っている。
それを機に、これまでの人間関係を全て切ることも検討している。
人間関係をフェードアウトするという表現があるが、私は距離どころか「もはやいないものとして扱って欲しい」と感じるのである。
私が彼らと付き合いを切りたいというより、彼らの幸せを考えて切った方が良いだろうという考えが近い。
そんな性格が災いをしたから、きっと前のnoteのアカウントも予告なく消してしまったのだろうと思う。
このように、まめな人付き合いができない人間には、今後もまともな人間関係を築くのは難しいのかもしれない。
今の若い人たちはあまり群れずに1人が好きな人も多いけども、友人や恋人の1人でもいた方が寂しくないよというのは言っておきたい。
数ではなく質だし、たった1人でもいい。
ただ依存しすぎないことだ。
かつてこちらから依存しすぎて離れた元友人や元恋人もいたし、逆に拒絶して私から切った友人も沢山居た。
人間関係の失敗は後悔の連続だ。
人と話すことが、関わることが年々怖くなっていく自分が、この先楽しい人生を送れるとは思えない。
周りが結婚したり友人や家族と楽しく過ごす人が多い。
焦る。焦るよ。
でも自分はまだその段階にはいけない。
今の私が再び友人を作ろうとするときっと同じことの繰り返しだから、せめて自分を労われるようになりたい。
誰かとの付き合いを大切にできないというのは、即ち自分の気持ちも大切にできてないことと同義だと思う。
周りとの和を大切にする前に自分を大切にし、己の気持ちに正直になりたい。
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