恋と愛の矛盾

恋愛感情ってのは、
その文字とは裏腹に、「愛」から最も遠いものだよなぁ。仏教で言ったら「慈悲」かな?

他の人間関係とか所有関係とかなら、人間ってそこそこ自己コントロールできたりするもんだけど(もちろん人によるが)、
普段そんなでもない人が、恋愛になると人が変わったように執着を見せたりするわけで。精神病の類も恋愛をきっかけに発症することが多いし…

だから「恋愛」の中には、ほかの欲望とは違う困難が、最初から仕込まれているのだね。
そしてそれは「」と「」という二つの文字に、表れている、と。
つまり、
「恋情」は、恋焦がれ、その相手を破壊的に欲する・手に入れることを意味し、
「愛情」は、その相手を慈しんで、己の所有欲・執着から開放してあげる・手放すことを意味している。
「恋愛」てのはこの真逆の二つが、セットで要請されているんだよね。
まるで「手放すために手に入れる」かのようじゃないか…

コレがわからずに、恋愛をただ慈愛の一種だと勘違いしている人たちは、「これは純粋な愛なんだ!」とか言って自己の執着とか依存、時には攻撃性を肯定してしまって、
結果、自己の自律と世界への慈愛を阻むことになるわけだ。恋愛が、破滅的に自己と世界の否定へと向かう事が多いのはそのためだ。

かといって、執着なんてしないようにいつも斜に構えたノリの軽い自由恋愛をしましょうってことじゃないんよな~。自己の執着の中から、偏愛の中から、対極の「慈愛」を拾い上げるとでも言おうか。「ぐぬぬぬ…」ってなりながら握りしめた拳を、その指を一本ずつ開いていく作業というかなんというか…むつかしいな。
でもその中で到達した「慈愛」みたいなんは、それをたたえたひとの姿ってのはとても美しいものになるのだね。

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