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ママになったら、「ぱぱとままになるまえに」の活動に遠慮がうまれた話。

1:「ぱぱとままになるまえに」という活動をしていましたが、ママになりました。

2011年、23歳のときに「ぱぱとままになるまえに」(通称:「ぱぱまま」)という活動をはじめました。
その後、まぁいろんなことがありました…が。2016年、私はめでたく母になりました。

『ついにママだね!』
『これからは、ママになった“あとに”だね!』

なぁんて、いろんな人に言われながらも、それでも私は、自分の立場が、「なったあと」へ変化しても、「ぱぱまま」の活動は、やっぱり「なるまえ」の人たちのために、と思っていました。

「なるまえ」の私が抱えていた、不安や疑問や迷いや葛藤・違和感は、消えてなくなるわけじゃない。

「なるまえ」の私は、もう“過去”のことなんだけれど、でも…。
今でも、私の一部のような、地続き、みたいな感じに思ってる。

だから、「なるまえ」のときの気持ちも、今の私に、まだ同居しています。

「なるまえ」の感覚が残っているからこそ、やっぱり「なるまえに」って大事だな、って思うから、(ママに“なったあと”だけれど)このまま「ぱぱとままになるまえに」って活動を続けるぞ!と、思っていました。

2:「ぱぱとままに“なるまえに”」の人たちのために、と思うものの…。

けど、活動を続けながら、だんだん、葛藤が濃くなってきました。

それは、私だけではなく、“私たち”という単位で、活動を共にするメンバーの中にも、結婚していたり、子育てをするメンバーが増えてきたことも、関係していたかもしれません。

「なるまえ」だった頃の私が、一番イヤだったタイプの「なったあと」に、私たちはなっていないだろうか?ということが気になりはじめたのです。


23歳で「ぱぱまま」をはじめた私は、当時、珍しがられました。

  若いのに、何で?
  若いのに、えらいわね!

  ぜひ、若い人たちに伝えてね!
  あなたみたいな若い人たちにこそ、知ってほしいのよ!


性教育に関わる人。命って素晴らしい!みたいな活動をする人もいたし、少子化対策や、産後の大変さを広める活動をしている人…。

いろんな人たちが、いろんな想いを持って、活動をしていました。

が、強い想いを持っている分、「押しが強いな‥」と感じていました。(失礼を承知で…すみません。。)

しかも、それらの活動をしている人たちは、ご自身の産後や子育てがはじまったことや、パートナーとの衝突など、不具合や困りごとなどのきっかけがあったからこそ活動をはじめた、という方が多く、たいていの方がパパやママでした。

だから私は、
  
  若いのに、何で?
  若いのに、えらいわね!

  ぜひ、若い人たちに伝えてね!
  あなたみたいな若い人たちにこそ、知ってほしいのよ!

って言われる度に、「あなたたちには、私たちの気持ちなんて、わからんですよね」って内心思ってました!!!
(いや〜…改めて文字にすると、ほんと嫌な小娘ですみません…。。。)

3:ママになったら、「ぱぱまま」の活動に、「遠慮」がうまれた理由を考えてみた。

(TOPの写真は「ぱぱまま」の活動に遠慮なんて全くなかった頃の私。w)

「ぱぱまま」が大事にしてきたことは、いくつかあるけれど、その中のひとつに、対話がある。

対話とは?という正確な定義とは違うかもしれないけれど、私の中では、「対等に、話せること」が、対話だと思ってやってきた。

「ぱぱまま」では、妊婦さんがゲストスピーカーになることが多かったけれど、妊婦さんは偉い、みたいな接し方はしなかったし、妊婦さんが“講師”だとか、そういう扱いではなかった。

・「妊婦さん」である前に、◯◯◯◯さん、という固有名詞がある
そこに一番の魅力があって、妊婦さんじゃなくても、その人の話を聞かせたい!って思ったかどうかが、超重要だった。

・矢印は、【なったあと→なるまえ】という一方向的だけではない。
互いに行き来していたり【⇄】
別の方向へ【↖️ ↗️】に向いていたり、
はたまた、【自分から→自分へ】向いていたりする。

・「私はね」・「私は」で、語ってきた。
私自身の話し方についても、いつも気をつけようと思っていて、「私はね」・「私は」で話そう、と意識していました。

だから、全然考えや価値観が違う参加者の人とも、対話ができていたな、って思う。

「私はね」・「私は」で話せば、相手も、「俺は」・「自分は…」で話してくれて、互いに、肯定や否定の意味をつけず、それぞれの土俵で起こったり、感じたりしている「出来事」や「事実」として受け止め合えた

「私はね」・「私は」で対話してきたのに、結婚し、妊娠し、出産し、産後を経て…子育てしている“私”は、もう私からは切り離せないものになっていて、そんな“私”が、「私はね」・「私は」と語ったら、意図してないし、私が語る内容に意味を含ませたくなくても、意味や意図をはらみ、押し付けがましくなってしまうのではないか?ということが気になって、遠慮がうまれて、活動が縮小傾向にあった。

4:「なるまえ」のときの気持ちが同居してる、と言いながらも、どうしたって「なったあと」な、私にできることって…。

でも、活動縮小期間を経て、これから「ぱぱまま」では、【ごちゃまぜお話会】をやっていこう!と決めました。

初回は、2023年9月30日(土)
参加費は無料
で、これから毎月一回開催していこうと思っています。
(次回は、10月22日の予定です!)

いつ、どのタイミングでもOK!お気軽にご参加お待ちしております!

「ごちゃまぜお話会とは、なんぞや?」は、下記リンクをご覧ください(^^)

告知文を書きあげ、他の理事メンバー2人とも、あーだこーだと言葉を書き合いながら、「ぱぱまま」の活動の焦点が定まっていったような感覚がありました。

結局、私が「ぱぱまま」の活動を通して打破したいのは、「なるまえ」と「なったあと」の間にある分厚い壁

何であるのかわからないし、見えないけれど、でも、確かに、なんか…存在しますよね?って分断がある。

パパ・ママに「なったあと」の世界って、「なるまえ」の人たちからすると、遠慮もあるし、未知で、タブーで、よりつきにくいもの。

だからこそ、余計にわからないし、勝手なイメージや思い込みも生じやすい。

結婚し、妊娠し、出産し、産後を経て…子育てしている“私”は、もう私からは切り離せないものになっていて、そんな“私”が、「私はね」・「私の場合はね」で、語ったとしても、意図してないし、意味を含ませたくなくても、(「ぱぱまま」の活動で言えば、パパ・ママになろうよ!という活動ではないのに、そういう団体なのか?と受け取られやすいこと等)意味や意図をはらんでしまうのは、ここに原因がある、と思いました。

▼でも、だからこそ、こういう本が話題になるんだとも感じるのです。

結婚していても、していなくても。結婚“したい”のに、“できない”立場の人も。
子どもがいても、いなくても。子どもがほしいのに、できない人も。
子どもが1人いても、2人目はいない人などなど…。

それ以外にも、いろんな「なるまえ」がある、と思っています。

いろんな「なるまえに」があり、そのことの、声の大小や、人数の多い少ないは関係なく、そのまま大事にされるといい・そのまま大事にしたい、とも思っています。

「ぱぱまま」は、「なるまえ」と「なったあと」の分断をなくし、それぞれが、あたりまえにごちゃまぜでいられる世界になったらいいな、と望みます。

その願いを【ごちゃまぜお話会】という形で、小さく叶え続けながら、何で分断があるのか。見えないけれど“存在する”分断を見える化する、というのも裏テーマです。

ぜひぜひ、いろんな方のご参加をお待ちしております。

申し込みは、こちらから。

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