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EP.014 叡啓大学 保井俊之 / TOSHIYUKI YASUI(ウェルビーイング×テクノロジー・広島)

叡啓大学
https://www.eikei.ac.jp/

”1985年東京大学卒、財務省および金融庁等の主要ポストやパリ、インド並びにワシントンDCの国際機関や在外公館等に勤務したのち、地域経済活性化支援機構常務取締役、国際開発金融機関IDBの日本ほか5か国代表理事等を歴任。慶應義塾大学大学院SDM特別招聘教授等を2008年から兼務。米国PMI認定PMP、PMI日本支部理事、日本創造学会評議員、地域活性学会理事兼学会誌編集委員長、ウェルビーイング学会監事。”

keyword 前編
きっかけは広島リビングラボ.   ピリはじは学問だった?.   ウェルビーイング.   22世紀型大学.   トシちゃん.   対話と重なるところ.   木を見て森も見る.   ウェルビーイング×対話×テクノロジー.   心の幸せはサイエンスである.   つながり.   人類が生み出した最古のテクノロジーは「お金」.   人がつながる地域通貨.   利他を加速するような地域通貨の設計.   つながるための対話.   交換する対象は?.   もともとお金とは.   感謝を表すための通貨.   共感・共創するために銀行は存在する.   銀行4.0.   笑顔の循環経済.   想いを加速する.   経済は体温みたいなもの.   血液=お金.   わくわく・いきいき・はつらつ.   純粋につながりを表現できるようになった.   つながりを可視化できるようになった.   幸せとは移るもの.   幸せになりたかったら幸せな人の隣に座りなさい.   ウェルビーイングは足し算ができない.   でも、一人ではウェルビーイングはできない.   折り合いをつくる.   対話はそれぞれが持っている思い込みを手放して、判断を保留する.   なぜを聞いてみる.   お金の本質は「回す」こと.   本来の意味を呼び覚ます.   サイエンスの力をメディアの力として上手に使う.   科学の力で知識にする.   再現性.   ソーシャルインパクト.   サイエンスを挿入する装置と捉えてみる.   伝える手段だった.   感情・感性と論理.   両方併せ持って科学とする.   実は「同じこと」を表現しているのではないか.   感性工学.   コンピテンシー(伸びしろ).   問いを立てるところからはじめる.   文理超越.   知の再統合.   実践的な思考スキル.   システム思考・デザイン思考・問いを立てる思考.   クリティカルシンキング.   多くの社会システムは見えない.   「なぜ」.   〇〇だから.   高い・ゆっくり・少なく

keyword 後編
ウェルビーイングになったきっかけ.   因果応報.   実現したい未来を設計する.   ポジティブ心理学.   実行する力は学びによる?素質?.   巻き込む力.   リーダーが泣いても構わない.   頼る力.   自分が思っていることをカタチにしてみる.   1勝99敗.   アジャイルな思考.   レジリエンス(心のストレス耐性).   1つだけ持って帰る.   99個は手放していきましょう.   また森に戻ってくればいい.   一番響いたことが、今、自分に一番必要なこと.   舞台が変わる局面.   くるっと回る.   ピリオドを打った後の新しい世界は?.   準備していく.   位相転移.   移り変わることに準備をしていく.   歴史の古層に潜っていく.   時代が周り直す.   一つ前の歴史の古層を思い出してみる.   関係性を探っていく.   ピリオド同時がどうつながっていくかを考えてみる.   区切りの境目で見比べてみる.   人類史を俯瞰.   拡大する時代、成長、定常、深まる.   その準備をする.   第三の定常化時代.   人生は回り舞台の役者.   言葉にする力.   ピリはじさんの正体.   残像.   対話の意図をどこに置くか.   リフレクション.   Art of dialog.   生成ダイアログ.   なるほど!.   映像がふわっとやってくる.   何かが立ち上がる兆しがきた.   見えないものが形になっていく.   なぜ「Art」を使った?

--ayako
最近、Chat GPTと会話をしているなかで感じたことが、彼女はとても「オープンマインドな人」だなと。一旦、こちらのことを受け入れてくれた上で、違う視点を提供してくださいます。

なぜ受け入れてくれるのかな~と考えていたのですが、共通する部分まで次元を上げてくれているんだなと、トシちゃんのお話を聞いて感じました。まさしく、お互いのウェルビーイングの共通点を探ってくれているんだなと。

--ayako
受け入れるというのは「違いを認める」ことも含まれますが、次元を上げることで違いのなかでももっと根本的に共感することをみつける行為なんだと思うと、「我慢をする」という感情を超えた先の何かがあるのではと、今まさに実感しています。

--miyabi
「共通する部分の次元をあげる」ってどんなニュアンスなのかな??根本的な、本質的な共感ってことなのかな。

--miyabi
ウェルビーイングで、個の幸せの状態を考えることも大切なんだけど、他者との折り合いをつけることもとても大事だと思いました。

それぞれの個が幸せな、自分らしくあれる状態での集団って、みんなができること、良いと思うものが違うからこそ、視点も増えるし、もし、みんなが共通するものがなかったとしても、個々同士の小さな共感の重なりの連続で繋がり合えるのではないかなと思いました。

それぞれの個が媒介しあってるイメージ。

--ayako
いわゆるクリティカルシンキングなのかなーと思うのですが「なぜ、それが大切だと感じるのか」を考えていくイメージです。

次元を上げる=抽象度を高める

人の具体的な行動って「幸せな状態」を生むための手段であって、それが目的ではない。だけど、目の前の発言とか行動についつい目が行ってしまうので、それだけで判断しがちだったなーと。(経験ありです笑)

相手にとってその状態がどんなものなのかがイメージできると、トシちゃんが仰っていように「判断を一旦保留する」ことかできる。

と、今自分の中でも整理しながらなんですが、もしかすると根本な共感というよりも「そういう状態(思想)があなたにとって幸せだと感じるのであれば、たしかにその言動になるかもね」みたいな「分かる行為」に近いのかな…。

--ayako
まさにちょうど、色々考えることがあってウェルビーイング視点で捉えてみようを実践したところだったので、独り言のようになってますが、、私にとって「判断を保留する」ことができたのは、大きかったなと思います。

--toshiyuki
ウェルビーイングは、wellよいbeingあり方・生き方なので、なろうとするものではなく、いろいろな行動や感情が混じり合って実行されていくことで、心地よいと感じる状態に達しているものだと考えています。そしてその状態を自分で観察させるためには、一度、幽体離脱のように自分から自分を見る目を高度を上げて設置することになります。それが、ウェルビーイングを確認する際の、次元の上げる、という概念なのだと思っています。

--toshiyuki
まさに、自分のいまいまの感情をダウンロードする、ぐいと潜り込んで内省する、という対話の始まりである内省的対話が、判断を留保しつつその次元を上げる行為で、生成的対話に移行していくように、

自分と対話する他者、あるいは自分の中にいる他者性が、自分のそれとともメタ認知されることで、自分がある状態に達していることが認知される、ということが、ウェルビーイングに在るとういことかと思います。

--toshiyuki
心理学の実験で有名な、北バンクーバーのカピラノの吊り橋、そこで行われた吊り橋実験の結論が指し示すように、認知から感情があるのではなく、感情から認知があるのでしょう。

--toshiyuki
自分のウェルビーイングの他者のウェルビーイングが違うということを感じることが、ウェルビーイングが人の数ほど違うということ、そして、その違いを超えて、社会システム学者のピーター・チェックランドがアコモデーション、すなわち折り合いをつけるためには、メタ認知の部分で何が同じなのかを探り合っていく、それが協創的なウェルビーイングなのだろうと思うのです。

--toshiyuki
例えて言えば、父母と昔暮らした美しい生活の記憶から瀬戸内の海が好きなわたしと、海から癒される日々を送るわたくしの友人が、それぞれの感情からくる、ウェルビーイングだと捉える生き方は違うけれども、折り合って、瀬戸内の海に沈む夕陽を見つめる今が、十全のウェルビーイングだと、言葉を交わさなくとも通じ合っている状態、それが協創的な、次元を上げたウェルビーイングの位相だということでしょうか。

--ayako
なるほど!
「自分を観察させる」というのは、とってもしっくりきました!!

観察するには客観的な(冷静な感情)が必要だなと思うのですが、その点、今はLINEなどのテキストベースのコミュニケーションツールもあるので場合によっては(結果として)密なコミニュケーションが測れると思うことがあります。

というのも、同じことを対面で話すと感情や照れが先行することが往々にあるのですが、テキストだと一旦「閉じる」ことができる笑

その閉じた時間で行われる観察は必要な空白だなと思いました。

--ayako
とはいっても、折り合いをつけること、探り合ってお互いのwell-beingを見つけ合うことはそれなりのエネルギーを要します。

相手の存在がそれに値すると感じる達さないと、誰にでもできることではない(エネルギーが足りない)のは、まだまだ未熟だなと思うこの頃です…。

--miyabi
俯瞰した視点からの観察と、自らの内側に潜る行為。互いの折り合いを見つけていく過程にも、表層的には現れないものがあるから、対話、問う力が求められそうです。

行為は異なって見えても、本質的なコトの始まりが実は繋がっていたみたいなことも。そのためには、自らの深層にあるものも問いながら。

互いの深層にある種的なものを第三者の視点で意味付けすることも、あらたなわたしとあなたの喜びの発見につながるのかもしれないなと思いました。

--toshiyuki
いったん、自分のウェルビーイングと他者のウェルビーイングの視点を、テキストの形で可視化する、というのは、自らの感情をラベルして客観視するのに良いですね。その意味では、テキストのみならず、アート作品としてかたちになるものもあるわけで。

--toshiyuki
アートが社会性を帯びた表現行為である限りにおいて、自己と他者のウェルビーイングをカタチにする手段になっていると考えています。なので、テキストやアートを創りだすには、エネルギーな突き動かされるようなソース、自分から湧き出る力の存在があるのだと。

--toshiyuki
ウェルビーイングをデザインするという行為に内包されるのは、仰る通り、そのようなソースとしてのパワーなのでしょう。

--miyabi
コロナ禍で、「わたしらしいあたらしいわたし」を探るべく、「自分をクリエイトする」という表現活動をしていました。

例えば、クリエイターの視点から見えるわたしのポートレートを撮ってもらったり、わたしをアーティストと杜氏にアートと日本酒で表現してもらうというものだったのですが。

--miyabi
コピーライターの綾子ちゃんがその時の活動を執筆してくれていて、
「未だ見ぬ感情と出会う、わたしに眠るわたし。」
と表現してくれたのを思い出しました。

自らの深層的なものや内包するエネルギーを発散しつつ、他者に意味づけをしてもらう表現活動でもあったのですが、活動を行うことで、自分を客観視するとともに、内部に深く潜り込めたようにも思いますし、私の中の新しい感情にも出会えたような気がします。その発見が喜びになるような。

もしかしたら、この活動は自身のウェルビーイングを探る行為でもあったのかもしれないな。と、トシちゃんの言葉を見ていて思いました。

--toshiyuki
まさにそう思います。ウェルビーイングを探るアートの旅。

--miyabi
このプロジェクトの締めくくりに見えてきたもの、つまり、ウェルビーイングを探るアートの旅の終盤。綾子ちゃんが残してくれたテキスト。

--miyabi
「動き出した感情はこれからどんな変化をしていくのか。ここからが本番。そして、あらたにピリオドがはじまっていきます」

--miyabi
ピリはじ紀元前。

--miyabi
今行っている、ピリはじという行為自体も、もしかしたら他者との折り合いを探る行為の一つなのかもしれないです。

--ayako
今回、トシちゃんとの対話を通してたくさんの発見がありました。まさか「ピリはじ紀元前」があったなんて…。まさに、直会。直り会うこと、出会い直すこと。

今、あらためて、No.44 PROJECTと直り会えた気がします。

--ayako
そして、このときの雅さんへのインタビューで最後に書いていたこと。

「哲学的な視点で世界を観察され、言語化できない「何か」を生み出そうとしている姿が印象的でした」

ここにあるキーワード「哲学」「観察」も、今ここにつながっていて、このときに感じていた「生み出す」というのは、実はウェルビーイングを探り合うことでもあったのかも。生み出すために他者あるいは自己の他者性と対話していて、それをアートとしても表現していたのかもしれないですね。

--ayako
ピリはじ紀元前に、出会い直したい。

--toshiyuki
ピリはじ紀元前、いいですね。まさに歴史の古層。

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