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【建築屋】アラフォールーキーの爽快3《青年時代》

 最初の就職は、現嫁と付き合う前より内定を貰っていた、横浜に本社を置く電機系製造会社で、入社後2年間は本社勤務となると初めから伝えられていた。よって我々は付き合ってから半年ほどで、遠距離恋愛に突入した。

(今考えると、これはタイミング的に良かったのかもしれない。倦怠期を迎える前に強制的に距離を置くかたちになったから…)

 希望していた機械系の設計部門に配属となり、慣れない地での社会人生活が始まった。機械系の設計業務を希望したのは、高専での学科が機械工学科で絵を描くのが好きで得意という単純な理由からで、その会社を選んだのは地元新潟に営業所と子会社があったからである。もともとは新潟採用だった。

 入社してすぐに先輩達から「4年以内に新潟配属になった奴はいない」と言われた。私は入社早々にして、2年後に新潟へ戻してもらえなかったら辞めるという覚悟を決め、仕事に励んだ。で、その会社は超が付くほどのブラックぶりだった。

 そして仕事にもだいぶ慣れた2年目の夏の終りに、直属の上司に、2年が経過する翌年の春には新潟配属を希望することと、賃金が低すぎることを訴えた。結果、どちらも棄却された。なので、その夜に地元にて鉄道系の会社でおえらいさんをしてるお父さんを持つ小中の同級生に連絡し、新潟で設計業務をしたい旨を伝え、就活をはじめたのだった。その翌日に履歴書を送り、翌月に面接を受けた。会社にはその事を伝えた。そして、予定通り翌年の春には地元に戻ることができた。会社は替わることとなったが…

 無事、地元で働くことができ、しかも転職した先は仕事量は多かったが、オフホワイトな会社だった。万々歳である。友人の父親のコネというプレッシャーもあり、ガムシャラに働いた。残業時間は月に100時間ほどになることもしばしあったが、希望した設計業務に携われたので、さほど苦労とは思わなかったし、やった分はしっかり手当も支払って貰えたので、文句もなかった。

 ひと通り仕事の流れを掴み、こなせる仕事も徐々に増えた転職2年目。私は彼女を妊娠させてしまった…。彼女も就職して2年目。これからというときである。当然彼女は混乱した。私は全面的に責任を取ることを告げ、子供を産んでくれるようお願いした。彼女はなんとかそれを承諾してくれ、そして二人は急ぎで結婚し家族となった。今現在私の隣で白髪抜きに余念なく没頭している嫁である。

 そうして、想定外ではあったが、妻と長男をほぼ同時期に得ることとなり、24歳で夫と父親となった。さらに翌年には、これまた想定外に長女も加わった。

 20代の青年時代は、バタバタと仕事に追われる毎日と、これまたバタバタしてばかりの子育てに奮闘しながら、慌ただしく過ぎ去ったのだった。

 

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