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人を喰う山、ポトシ銀山の鉱山ツアーで見たもの

2016年6月。中南米を縦断中の私は、ボリビアにいた。首都スクレに別れを告げ、年季の入った大型バスに乗り込んだ。

車窓から見えるのは、荒涼とした大地や牛の群れ。雄大な山々をいくつも超えた。

標高が徐々に上がるにつれ、車内の冷え込みもグッと増していく。

4時間後、アンデス山脈中の盆地にひっそりと佇む山岳都市、ポトシに辿り着いた。



ポトシの標高は約4000メートル。人が住む都市としては、世界最高所に位置する。

そこはもう凍える寒さで、慌ててユニクロの極暖とウルトラライトダウンを着込み、マフラーと手袋もつけた。

ポトシは想像以上に美しい街だった。重厚なコロニアル建築の街並みは、時代を重ねた味わいがある。

圧倒的な存在感を放つのが、町外れに聳える赤茶けた巨大な山、「セロ・リコ銀山」。

遡ること1545年。

スペインによるインカ帝国の滅亡から数十年経った頃、ポトシで巨大銀山が発見された。その山はスペイン語で「セロ・リコ」(富の丘)と名付けられた。

スペイン帝国は、ポトシ銀山から生み出される莫大な富で栄華を極めることになる。最盛期のポトシは「鉱山の町」として、中南米一の大都市にまで発展した。

一方、スペイン人は先住民を奴隷として扱い、鉱山労働者として過酷な労働を強いた。一説によると、800万人もの命が犠牲になったという。

「富の丘」はいつしか、「人を喰う山」として恐れられるようになった。

19世紀になると、銀の産出量は激減。スペイン人は富を吸い尽くし、荒廃した大地を残して去っていった。

銀がすっかり枯渇したあげく、世界から忘れ去られたポトシ。

1987年、「セロ・リコ」を含めたポトシ市街地は、ユネスコ世界文化遺産に登録された。奴隷制度や抑圧されたラテンアメリカの象徴として、負の遺産に数えられている。

私がポトシを訪れたのは、現役で稼働する「セル・リコ」の鉱山ツアーに参加するためだった。実際に坑道に入り、鉱山労働の実態が学べるという。

実はこのツアー、かなり過酷で「脱落者も絶えない」という噂。でも、高校の世界史でポトシ銀山に興味を抱いた私は、どうしても自分の目で現状を知りたかった。


当日のツアー参加者は、私を含めて9名。私以外はみな欧米人だった。現地をガイドしてくれるのは、もともと鉱山労働者だったというボリビア人男性。

まずは着替えから。鉱山労働者と同じ作業着を着て、軍手や長靴、ヘッドライトを装着した。私はサイズが合わず、ダボダボ。

坑道の中は空気が悪いため、持参したバンダナで口や鼻を覆う。

マイクロバスに乗り込んで、まず向かったのは、鉱山の麓にある坑夫ご用達の売店。参加者でお金を出し合い、坑夫への差し入れを購入した。ジュース、アルコール度数96度の酒、そしてダイナマイト。

ダイナマイトはひとつ150円ほど。坑道の奥で着火して、鉱石を粉砕するらしい。

ポン! 

ガイドの男性が、冗談で私の頭をダイナマイトで叩いてきて、「ひゃぁ!」と思わず声が出た。

「ハハハ、ジョークだよ」と笑うガイド。いやいや、全然笑えんから。

次に向かったのは、銀の精製工場。銀山で採掘した石から銀を抽出する作業が行われている。ほとんどがゴミだが、なかにキラリと光る銀がひそんでいる。

バスが走り出す。
赤茶色のセロ・リコが迫るにつれ、胸がザワザワしてきた。

セロ・リコの坑道入口に到着した。いよいよ、入山。

内部の坑道は、蟻の巣のように入り組んでいた。狭くて薄暗く、ヘッドライトの明かりなしでは前へ進めない。

天井が低いため、身長148センチの私ですら、腰をかがめなければ頭をぶつけてしまう。この体勢を保つのはかなりキツい。

あたり一面に埃が充満して、むせ返りそうになる。バンダナで鼻と口を覆わないと、まともに息が吸えない。

坑道内にはパイプが通り、外から酸素が送り込まれていた。だが、奥の方に進むに従って気温と湿度が上昇。じっとり汗ばんでくる。

歩くだけで体力を消耗し、息が上がる。

岩のあちこちに、グロテスクな物体が付着していた。異臭もする。

ガイドによると、アスベストなどの有害物質が発生する日もあるのだとか。

ガタガタガタガタ! 

手押しのトロッコが、坑道内には敷かれたレールの上を、猛スピードで通過していく。

ツアーといえど、参加者にも相当な危険が伴う。底の深い穴にかかる橋の上を渡ったり、不安定なはしごを登り下りしたり、ほふく前進のような姿勢で進んだり。

日本だと確実にアウトだろう。

途中、電動ドリルで岩盤を削る作業を見せてもらった。私も大きな岩をよじ登り、その作業を隣で見物しようとした、その瞬間……

ブワァァァァァァァアア!!!!凄まじい量の粉塵が舞い上がった! 
視界が真っ白になり、息が止まる。必死で目をつぶった。

こんな過酷な作業を何時間も続けているなんて……
粉塵で胸を悪くし、早死にする人も少なくないらしい。

「彼らは基本的に、3交代で8時間ずつ働いています」とガイド。
鉱山内には食べ物を持ち込まない習慣があるそうで、彼らは昼食もとらずに黙々と働き続けている。

にも関わらず、日給はたったの3ドル程度(※2016年当時)。さらに、健康保険や事故の保証制度は整っておらず、なにかあっても自己責任だという。

坑夫たちに差し入れを渡した。彼らの口は、なにかがいっぱい詰まって膨らんでいる。

コカの葉だ。疲労や眠気、空腹を紛らわす効果があるらしい。

若い坑夫も多く見かけた。13、14歳くらいから鉱山に入り、経験を積んでいくのだそう。その表情には、疲労が滲んでいた。

坑道の奥には、「ティオ」と呼ばれる鉱山の守り神が鎮座していた。植民地支配でカトリック信仰を強要されるなか、ティオは心の拠り所だったそう。

鉱夫たちは毎日、ティオに挨拶をして、酒やタバコなどを供えて安全を祈願している。



入山して2時間半。ようやく出口の光が見えてきた!参加者全員、無事に帰還することができた。

「ふぅ……」
山の上からポトシの街並みを、ぼんやりと見渡す。クタクタに疲れ切っていた。想像を絶する世界だった。

解散後、宿に戻ってシャワーを浴び、たくさん考えごとをした。粉塵で顔を真っ黒にした鉱夫たちと、気ままに旅をする自分。そのギャップにクラクラする。

「世界は残酷で理不尽だ」
そう思わざるを得ない。

現在もポトシでは、多くの鉱山労働者が命を削って働いている。採掘された資源が、ボリビア経済を支えているという事実もある。

一方、経済的に豊かで、多様な生き方が選べる日本。この国に生まれた私は、間違いなく運が良い。でも、その運に甘んじずに生きられているだろうか……

私は私の人生を、精一杯全うしよう。
そう誓い、次の目的地に向かうのだった。


ボリビアを去って3ヶ月、私は南米からヨーロッパに渡り、ポルトガルのリスボンに滞在していた。

輝かしい大航海時代、コロンブスの偉業、栄華を極めたスペインとポルトガル……。大海原を眺めながら、栄枯盛衰を感じる。

同時に、ポトシの坑夫たちの真っ黒な顔を思い出していた。

植民地支配された中南米の国々には、今でも深い爪痕が残っている。歴史はずっと続いているんだ。

点と点が繋がった瞬間、魂が震える。

「だから私は、旅をする」

のびやかに鳴くカモメが、頭上を飛んだ。








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