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閉ざされた社会主義国、キューバの行く末

「排気ガスの臭い、ヤバすぎません!?」

タオルで口と鼻を覆って顔をしかめる私に、相棒のカナエさんがやはり顔をしかめながら、「ほんと、喉がやられそうだわ」と返す。

ハバナの街並み

2016年3月。メキシコ屈指のビーチリゾート「カンクン」からカリブ海を超え、キューバの首都ハバナへ飛んだ。

社会主義国、カストロ、葉巻……。そんなイメージしかなかった未知の国に辿り着いたのだ。

湿った生ぬるい風が吹くハバナの街は、ノスタルジックな雰囲気に満ちていた。50年代のボロボロなアメ車が、黒い排気ガスを撒き散らしながら現役で走っている。

まるでタイムスリップしたかのようだ。ピンクやブルーの色鮮やかなアメ車を前に、夢中でシャッターを切った。

街のあちこちに朽ちた廃墟が佇む。スペイン・コロニアル時代の面影が色濃く残る旧市街は、世界遺産に登録されている。

手足がすらりと長いスタイル抜群のキューバ人に目が釘付けになった。ビビッドカラーの服が褐色肌によく似合っていて格好いい。

街を歩いていると、多くのキューバ人が屈託のない笑顔で「オラ!(スペイン語でこんにちは)」と挨拶をしてくれる。人懐っこくフレンドリーで、底抜けに明るい。

一方、けっこうな頻度で「チーナ! チーナ!(中国人! 中国人!)」と声をかけられた。彼らはアジア人への呼びかけとして「チーナ」を使っているらしい。

「中国人じゃなくて日本人だよ」と最初はイラつきながら返していたものの、途中から「嫌がらせや差別ではなさそう」と感覚的にわかってきた。

1959年のキューバ革命後、「国民は平等」という社会主義理念の一環として始まった配給制度は今も続いている。

それぞれ決められた日に卵や肉、野菜、米といった基本的な食材が配給されるので、国民はどんなに貧しくても飢えて死ぬようなことはない。問題は、その量が極端に少ないこと。

スーパーに買い出しに行くと陳列棚はガラガラ。「えっ、これだけ……?」と思わず声がもれた。種類も少なく、同じブランドの商品のみがずらりと並んでいる。

当時のキューバは二重通貨制で、商品には2種類の値段シールが貼られていた。観光客用のクックと、現地人用のモネダ。基本的に外国人はクックで支払うが、ローカルの店ではモネダを使うこともできた。

2種類の値段シール

モネダ支払いの安い食事を、日本人の旅人は「モネダ飯」と呼んだ。当時のレート換算で、アイスが12円、ピザ1枚が40円、ポークライスが100円という異常な安さである。

ピザもアイスもちゃんと美味しくて、「天国かな?」と感謝しながら毎日のように食べた。

100円のポークライス

街は賑やかなキューバ音楽で溢れていた。モノや資源が乏しいこの国で、音楽は究極の娯楽になる。路上やレストランで連日のように生演奏があり、人々は陽気に歌と踊りを楽しんでいた。

キューバの旅では、一般家庭が観光客向けに部屋を貸し出す「カサ」という宿泊システムが人気だった。「カサ」は政府公認のサービスで、国の正式な認可が下りた住民のみ営業ができる。

当時私が宿泊したカサは、一泊1500円ほど。朝起きると、おばちゃんがパンやフルーツたっぷりの朝食を用意してくれた。キューバ人の日常生活を垣間見ることができて楽しい。

朝食を前にテンションが上がる筆者

インターネットがほぼ繋がらないキューバ旅で羅針盤になったのは、日本人の人気宿にたいてい置かれている「情報ノート」だ。歴代の旅人が手書きで残した移動ルートや美味しい店、穴場スポットの情報に、どれだけ救われたかわからない。

散策中、公園に大勢の人だかりができていて唖然とした。みんな手にスマホを持ち、真剣に操作をしている。

当時のキューバは公園や高級ホテルのロビーにしかWiFiがなく、限られたWiFiスポットを求めて市民たちが殺到し、海外にいる家族や友人と連絡を取っていたのだ。

「ねぇ、あなたたち日本人?」と道端で声をかけてきたのは、14、15歳くらいのキューバ人女子高生たちだ。「そうだよ」と答えると、「わ~日本人だ!」と大喜び。

ひとりが瞳を輝かせて、「私、日本の漫画やアニメが大好きで、独学で日本語も勉強しているのよ」と話してくれた。みんなかわいくて、びっくりするほど良い子たち。

おしゃれでかわいいキューバ人女子高生たち

せっかくなので、一緒に街歩きをすることに。一緒にアートギャラリーやお土産店を散策し、1枚40円のピザを買って一緒にランチを楽しんだ。

彼女たちに最近の流行りを聞いてみると、ひとりが「K-POPが大人気だよ!」と言って、スマホの待ち受けを見せてくれた。

「この韓国人アイドルが大好きなの」

「夢は女優」と語る女の子

彼女の夢は女優になることらしい。その無限大の可能性に思いを馳せた。

キューバでどうしても成し遂げたい夢があった。「本場でサルサを踊ること」だ。

ラテン音楽に目覚めたのは、社会人2年目のとき。知人に誘われ、地元岡山の駅近くにあるバーでサルサダンスのレッスンを受けた。そこで初めてラテン音楽に触れ、一瞬にして心を奪われた。

ときに陽気で軽快で、ときにしっとり情熱的で、ときに力強くダイナミックで。スペイン語の響きや生命力溢れるリズムが全身を駆け巡り、うっとりと陶酔感に浸った。以来、私はラテン音楽の虜になったのだ。

ハバナに数日滞在したあと、バスで約6時間揺られ、キューバ中央部に位置する古都、トリニダーに移動した。トリニダーは石畳とカラフルな家々が可愛い街。こじんまりとしているので、1日もあれば十分に観光できる。

そこには素朴でのんびりした時間が流れていた。人間観察をしていると、真昼間から玄関前のイスに座ってボーっと外を眺めたり、住民同士で集まって歓談したりする老若男女が多い。

トリニダーの中心地に佇む教会の麓で、毎晩のように野外ライブが開催されていた。入場料1ドルを払えば誰でも入場でき、カクテルを片手にラテン音楽にを楽しむことができる。

カナエさんと一緒に会場へ向かうと、ものすごい賑わい!設置されたステージ上で、大勢の人々が体を揺らし、陽気に踊っている。ぎゃー楽しそう!

「ダンス素人がステージに上がっても良いのだろうか……。いや、こんなチャンス、二度とないよ。ここで夢を叶えるんだ! 私よ、いけー!」

しばらく二の足を踏んでいたが、心を決めてステージへ。ひとりで寂しく突っ立ってるのは恥ずかしすぎるから、お願い、誰か声をかけて……!

すると、スラリと背の高いキューバ人男性が手を差し伸べてきた。これが意味するのはもちろん、"Shall we dance?"。

ラテン音楽の軽快で心地よいリズムに身を任せ、彼のリードでクルクルと回る。リードが上手なおかげで、下手くそなのに何となく踊れている気になってくる。

クルクル回転しすぎてもはや見えない筆者(笑)

あぁ、なんて愉快なんだろう! 全身の細胞が喜んでいるのが分かる。ひたすらずっと笑い、ラテン音楽に溺れ、興奮が冷めやらぬ夜だった。

「もう、我慢の限界なんだよ」

そう語気を強めるのは、トリニダーのレストラン店員の男性だ。ふらりと入った店でカルボナーラを食べ、グラスに残ったオレンジジュースを飲み干しながら、何気なく彼にキューバ生活について尋ねたのだ。

「社会主義の時代なんて、もうとっくに終わっているんだ。いつまでこんな貧しい生活を続けるんだよ。早くアメリカと国交を正常化するべきなんだ」

彼は強い眼差しで、こう続けた。

「今月末にキューバとアメリカのプレジデント同士で会談があるんだ。なにか変わるかもしれない。俺たちはオバマ大統領に期待しているよ」

静寂に包まれたトリニダーの夜道を、喉になにかつっかえたような感情を抱えて帰る。

閉ざされた社会主義国、キューバ。鮮やかなクラシックカー、デジタルな娯楽の代わりに音楽が溢れる街、貧しくても幸せに生きるキューバ人……そんな「キューバらしさ」を求める私たち外国人のエゴが、もしかしたらこの国の発展を妨げているのではないか。

キューバの人々の多くは自由と権利を求めている。たった一週間の滞在ではあったが、キューバが変革の時期を迎えているのをヒシヒシと感じた。

ハバナで出会った女子高生たちの顔が浮かぶ。「彼女たちが、もっと気軽にショッピングや海外旅行が楽しめるような環境に変われば良いな」と、そう思った。

あれから6年。2021年にキューバの二重通貨制度が廃止された。2019年にキューバを訪れた友人によると、以前よりもWiFi環境が整いつつあるらしい。私が現地で見聞きした情報も、すでに過去のものになりつつある。

キューバはこれからどのような未来に進んでいくのだろうか。遠く離れた中米の国に思いを馳せつつ、サルサを踊った熱い夜が恋しくなった。




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