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インドでサリーを着てみたら

2016年1月下旬、1週間後に出発を控えた世界一周に向け、準備は大詰めを迎えていた。

旅の相棒として選んだメインバッグは、「オスプレイ ソージョン60」というモデル。直径8センチの頑丈なホイール付きで楽に転がせて、いざとなればショルダーベルトを引き出し背負うこともできる優れものだ。

旅の相棒「オスプレイ ソージョン60」

容量は55リットル。もっともかさばるのは「衣類」だった。必要最低限のものだけを選び抜かねばならない。

心強い味方は、天下の "ユニクロ様"。コンパクトなのに保温効果が抜群の「ウルトラライトダウン」や「極暖」、速乾性の高い「エアリズム」など、出発直前の日曜日に母とイオンを訪れ、セールで大量買いした。

ユニクロ購入品

そのほか、Tシャツやジーパン、トレーナー、セーター、ニット、マフラー、下着類などを詰め込んでいくと、オスプレイは爆発寸前。散々悩んで、お気に入りの服を何着も諦めた。

2016年2月6日、亀の甲羅のごとくパンパンに膨れ上がった相棒と共に、関西国際空港から1か国目のメキシコへと旅立った。


旅が始まって2週間。想定外だったのは、ファッションにてんで無頓着な自分が、味気のない料理を食べ続けるように「同じ服を着続ける日々」にうんざりし始めたことだった。

標高が高いメキシコシティは朝晩が冷え込む。黒い「極暖」を仕込み、その上に黒ニットと灰色パーカー。スリや窃盗が身近なメキシコで目立つことを恐れ、影のように地味な格好を意識するようになっていた。

「永遠に続くグレーと黒のローテーション……さすがに飽きたなぁ」

メキシコシティの喧騒から離れ、バスで揺られること7時間。温暖な気候に恵まれたオアハカという街はメキシコの民芸品が有名で、市内には民芸品市場や工房が点在している。

オアハカに点在する工房

ある日、メルカド(市場)を散策中に一目ぼれしたのは、春の花畑のような刺繍が施された白いワンピース。旅生活で初めて服を買った。宿に戻りさっそく身に纏うと、気分がパァっと華やいだ。

一目ぼれしたワンピース

実際、カラフルなコロニアル様式の家々が建ち並ぶ街に、このワンピースは良く映えた。

メキシコ南東チアパス州の都市、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスでお世話になった日本人宿オーナーのたけしさんに、「このワンピで歩いたら危険ですか?」と尋ねると、快活に笑ってこう答えてくれた。

「明るい色の服を着たらポジティブなオーラが出ますねん。そんな人のところに、悪人は近付かんとですよ。みくさんのワンピース、すごく素敵だと思います」




メキシコの南に位置する中米の国、グアテマラ。現地で心を奪われたのは、現地女性が日常的に身に纏うマヤの伝統的貫頭衣、「ウイピル」だった。

かつてマヤ文明が栄えたこの国は、今も国民の約4割がマヤ系の先住民族とされている。ウイピルに施された繊細な刺繍や、「グアテマラ・レインボー」と呼ばれる独特の色使いは艶やかで、見ていて飽きることがない。

市場の風景

2016年4月、グアテマラの湖畔の町「サンペドロ」に辿り着いた。宿のオーナーさんに「ウイピルがかわいすぎて」と話したら、「ウイピル、着てみます? 私の友人が貸せますよ」とご好意で声をかけてくれたのだ。

翌日、グアテマラ人のご友人が「好きな色を選んでね」と、ウイピルを数着並べてくれた。選んだのは、白の布地にカラフルな鳥たちが舞う刺繍入りのウイピルと、ピンクと紫のグラデーションが鮮やかな巻スカート。

ウイピルを試着

着付けを手伝ってくれたご友人の女性が、「Muy Bonito! (すごくかわいい!)」と褒めてくれた。現地の常夏の気候のように、ハートウォーミングな人たちばかりだ。


2016年7月、ポーランドはワルシャワ。気温は24℃くらいと過ごしやすく、澄み切った青空が広がる夏の陽気だった。

日曜日の午後、遠足が待ちきれない小学生のごとく、ソワソワしながら赤いマニキュアを塗り、銀のネックレスを付け、黒のワンピースとサンダルを履いた。

ヒールなんていつぶりだろうか。コツコツと鳴る音に、自然と背筋が伸びる。

貧乏バックパッカーだって、洗練されたヨーロッパの街に溶け込みたい。そう思い、ヨーロッパに渡る前に南米パラグアイの首都アスンシオンにて、格安でワンピとハイヒールを購入していたのだ。

パラグアイで購入したワンピースとサンダル

足取り軽く、パステルカラーの家々が建ち並ぶ旧市街を歩く。私の大好きな作曲家、ショパン生誕の地であるワルシャワの街は、あちこちでピアノや弦楽器の生演奏が行われ、音楽で溢れていた。

ワルシャワの街並み

今日はこれから、「ショパン博物館」に出かける。そのあと、公園で開催される無料のピアノコンサートで、優美で繊細な旋律に酔いしれるんだ。

いざ、「ショパン博物館」へ

スペインは「ビビットカラー」がよく似合う国だと思う。

スペイン南部に位置するアンダルシア州の州都「セビーリャ」のH&Mで、瑞々しいレモンのような色のスカートを見つけ、「スペインっぽい!」と思わず手に取った。

値札を見ると、2000円くらい。貧乏バックパッカーにとってはまあまあの出費だが、思い切って購入した。

セビーリャの公園のベンチにて

フラメンコの本場として有名なセビーリャ。午後7時、レモン色のスカートを履き、小さなバルに出かけた。そこで出会った同世代のシンガポール人とアメリカ人の青年たちと意気投合。3人でタパスをつまみに乾杯してフラメンコを鑑賞し、忘れられない夜を過ごした。

フラメンコを堪能した夜

グラナダは、滅びゆくイスラム国家時代の面影が色濃く残る街だった。滞在先の宿でフラメンコ舞踊の衣装をレンタルできると知り、それを着て街歩きをすることに。水玉模様のフリル付きロング黒スカートを履くと、たっぷりと水分を含んでいるかのようにずっしりと重い。

フラメンコ舞踊の衣装がずらり

白壁の家々に花が咲き乱れ、石畳が敷き詰められた細道を、衣装を着て散策する。京都で着物を着て歩く外国人のような気分だ。道行く人から「あら、とっても素敵ね! 一緒に写真を撮ってくれない?」と声をかけてもらった。

グラナダの風景

西へ西へと進み、ユーラシア大陸最西端の国、ポルトガルに辿り着いた。秋の気配を感じつつ、まだ夏の陽気も残る爽やかな9月のはじめだった。

地中海気候に属するポルトガルは、年間を通じて温暖で過ごしやすい。港町ポルトは、青と白のコントラストが美しい「アズレージョ」という装飾タイルで彩られていた。

アズレージョで彩られたポルトの教会

そんなポルトで出会ったのは、「アズレージョ」を彷彿とする白と青を基調としたワンピース。

ポルトで購入したワンピース

のびやかなカモメの声が響き渡る海岸沿いを歩く。心地よい潮風が吹き抜けて、スカートがふわりと揺れた。

ポルトにて

2016年10月、スペインのアルへシラスからフェリーで大海原を渡り、モロッコの新港タンジェを経由して、青の街「シャウエン」にやってきた。未開の大陸、アフリカの旅が始まる。

青の街「シャウエン」

荷物を増やさないために、「服がひとつ増えたらひとつ手放す」をマイルールとした。ヨーロッパで活躍した服はまとめて、シャウエンの宿オーナーに引き取ってもらうことに。

ふらりと立ち寄ったシャウエンの衣料品店で、男性店員がレースカーテンのようにサラサラしたロイヤルブルーの布を広げて見せてくれた。

「おれたちベルベル人仕様のターバンだよ。きれいだろう?」

ベルベル人仕様の青ターバン

彼に教えてもらいながら巻いてみた。「アラビアン~」な雰囲気を醸し出していて、たしかに素敵。私もベルベル人ごっこがしたい。

「これください」

青ターバンを試着

モロッコの砂漠の街、メルズーガ。青ターバンを巻いた私は、ラクダの背に揺られていた。

夢にまで見たサハラ砂漠。まるでアラビアンナイトの世界に紛れ込んだみたい……。どこまでも続く砂丘は黄金に波打ち、日が傾くにつれて影が長く伸びていった。

サハラ砂漠にて



2016年10月、私はアフリカ東部の国、ウガンダを旅していた。日本を出て、もう9ヶ月が経つ。

現地民が身に纏うファッションはビビッドな色彩に溢れ、彼らの肌色との対比でより一層の鮮やかさを放っていた。オーダーメイドの文化が主流のウガンダで、私もお仕立てに挑戦することに。

ウガンダでお仕立て

30分ほど悩んだ末、深い青×ゴールドの生地と、渦巻き模様がプリントされたクリーム色の生地を選んだ。「スカートに仕立ててください」と依頼すると、店のおばちゃんが頷いた。

2時間後、私は世界でたったひとつのオリジナルスカートを手にしていた。ウエスト部分はゴム製なので調整不要。さっそくスカートを履き、スキップしながら市場に買い出しに出かけた。

完成したスカート
別の店でも店員さんと交流


2016年12月、アフリカから中東を経由し、インドはヴァラナシに辿り着いた。ヒンドゥー教の一大聖地は至る所に牛の糞が転がり、ありとあらゆる臭いが充満し、混沌と喧騒に満ちている。

ヴァラナシ滞在3日目、「インドで伝統衣装のサリーを着る」という夢を実現すべく、サリー専門店を訪れた。

ヴァラナシのサリー専門店

「サリーは赤色」と決めていた。熟れたトマトのような赤オレンジのサリーは、500円くらいと格安。店員のお兄さんがハサミでチョキチョキと布を切断し、光の速さでサリーを仕立ててくれた。

サリーをお仕立て

宿オーナーのインド人マダムにサリーを着付けしてもらい、ヴァラナシの混沌に繰り出す。すると、通り過ぎるインド人の約9割がわざわざ足を止め、「ビューティフォー!」と褒めてくれた。

まるで映画の主人公にでもなったかのような気分(笑)。こんな人気者になれた瞬間は、人生で後にも先にもないだろう。

ガンジス川にて

年が明けた2017年1月、東南アジア周遊の旅がスタート。私の世界一周も、いよいよ終盤に近付いていた。

ミャンマーの古都パガンで、ミャンマー仕様の服と、現地女性のお化粧「タナカ」を手に入れた。ミャンマーでは年齢を問わず多くの女性が、「タナカ」という名前の木をすりつぶし粉状にしたものを顔に塗っている。

ミャンマー人仕様の服と、タアカ

パガンでは電動バイクをレンタルし、爽快な風を切って、寺院が無数に点在する広大な大地を気ままに走り回った。

とあるパゴダで出会ったミャンマー人女性から、「タナカ」の塗り方を伝授してもらうことに。淡いクリーム色のタナカに適量の水を混ぜ、頬と鼻にまぁるく塗ってくれた。タナカはヒヤっと清涼感があり、ほんのり甘い香りがする。

タナカに水を混ぜて練る
頬にぬりぬり

彼女は「似合ってる」と微笑を浮かべた。ありがとう。

ミャンマー仕様の服を着てタナカを塗った私は、現地民から「えぇ、あなた日本人!? ミャンマー人かと思った」と驚かれたのだった(笑)。

異国のファッションに身を包むことは、新たな文化体験や人々との交流をもたらし、私の旅を彩り豊かな冒険へと導いてくれた。

6年経った今、旅の途中で買った服のほとんどを手放してしまったけど、当時の感動や驚きは色褪せることなく私の人生を照らし続けている。



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