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【カンボジア地雷処理】高山良二さんに3日間の同行をして(前編)~ バッタンバン州タサエン村~

2017年1月。日本を出発して中南米、ヨーロッパ、アフリカ、中東、アジアと東回りで旅した世界一周も、そろそろ終盤に差し掛っていた。

私はひとりの日本人男性に会うべく、カンボジアのシェムリアップから、タイとの国境に程近い小さな村に辿り着いた。

「よく来てくれましたね」

快活な笑顔で出迎えてくれたのは、高山良二さん(当時70歳)。今日から3日間、ここタサエン村の宿舎を拠点に、高山さんの活動に同行させてもらう。

宿舎で犬と戯れる高山さん

高山さんは現在、カンボジアで地雷撤去処理の第一線として働いている。

1970年から22年続いたカンボジア内戦では、多くの命が犠牲になっただけでなく、240万個以上の不発弾と、推定600万個もの地雷が広大な大地に残された。

タサエン村はポルポト軍が最後の砦とした場所だった。地雷に汚染された村は復興が遅れ、人々は貧困に苦しんでいた。

そんなタサエンに救いの手を差し伸べたのが、高山さんだった。村を自立復興させるべく、20年以上も現地の地雷撤去処理に携わっている。

1947年生まれ、愛媛県出身。高山さんは陸上自衛隊として36年従事し、1992年にはPKO(国連平和維持活動)で半年間カンボジアに派遣された。

現地では、地雷処理専門部隊の隊長補佐として、約80名の隊員を率いていた。

出典:フジテレビ「奇跡体験アンビリバボー」

その任務中に、不発弾に接触した少年が爆死する瞬間を目撃してしまう。PKO活動は、高山さんの人生観や価値観を根底から変えるものだった。

「地雷処理の方法を知っているのに、今の立場ではできない。悔しい。いつか絶対ここに戻ってきて、自分にできることをやるんだ」

決心が揺らぐことはなかった。10年後の2002年、高山さんは55歳で自衛官を定年退官し、そのわずか3日後には、カンボジアの地に降り立っていた。

高山さんはその後、タサエン村を拠点に地雷や不発弾処理活動に尽力することになる。2011年には、NPO法人「IMCCD」(国際地雷処理・地域復興支援の会)を設立。

出典:READYFOR

地道な活動は着実に実を結んでいった。2022年1月の報告によると、東京ドーム77個分の土地の安全が確保されたのだそう。

生まれ変わった土地には種が蒔かれ、農作物が育ち、子供たちが笑顔で走り回るようになった。

高山さんとのご縁を繋げてくれたのは、アフリカのウガンダで出会ったヨウコちゃんだった。同い年の彼女とは宿で出会って意気投合。

ヨウコちゃんは真剣な顔で言った。

「私ね、みくちゃんにぜひ会ってほしい人がいるの。私もカンボジアでお世話になった、高山さんという方。めちゃくちゃ尊敬しているすごい方なの」

ヨウコちゃんが連絡してくれたおかげで、私は高山さんにお会いすることができたのである。

宿舎の部屋の壁には、高山さんが人生の師匠として尊敬する坂本龍馬の写真が飾られていた。困難が立ちはだかったとき、何度も龍馬に救われたのだそう。

サインを書いてくれる高山さん

「良かったら読んでみて」と、高山さんの著書『地雷処理という仕事』をプレゼントしてくれた。サインをお願いすると、「がんばるな!楽しめ!」というメッセージが。

「座右の銘です。私を英雄のように讃えてくれる人もいるけど、結局はこの活動やカンボジアが好きで、やりたいからやっているんです。自分が楽しむことが一番大切。でなけりゃ、こんなに長いことカンボジアにいれないよ」と笑う。

「がんばるな!楽しめ!」

高山さんは、タサエンの人々から親愛を込めて「ター」と呼ばれている。「ター」とはクメール語で「おじいさん」という意味。

でも高山さんとお話していると、すごくチャーミングで若々しく、むしろ「少年みたいな方だ」と感じる。

ある日、私も地雷撤去処理の様子を見学させてもらうことになった。

地雷撤去の処理作業をする人のことを「デマイナー」(地雷探知員)と呼ぶ。一般的にデマイナーは専門のプロの仕事だが、タサエン村では村人からデマイナーを募集し、育成を行っている。

村人を雇用することで貧困を解消し、自立復興に繋げようとしているのだ。高山さんが構築したこの仕組みは「住民参加型の地雷撤去処理活動」と呼ばれ、前代未聞の挑戦だった。

「ゴールはタサエン村の自立復興です。いずれ彼らは、自分たちで平和を構築していかねばならんのです」

デマイナーの朝礼

デマイナーの1日は朝礼から始まる。現場に向かう前に、私も防護服とヘルメットを渡してもらった。ヘルメットは分厚いガラスが装着され、ズッシリと重い。

地雷撤去作業は基本的に2人ペアで行う。まずひとりが地面ギリギリまで除草する。除草が終わると、後ろで待機していたもうひとりが金属探知機で調べていく。

神経をすり減らす作業で、わずか40センチの距離で1時間かかることもあるという。

炎天下で、重量のある防護服やヘルメットを装着しての作業は重労働だ。しかしみな黙々と作業を進めていく。彼らのあいだに確固たる信頼関係が築かれているのを感じる。

突然、金属を探知した音が鳴り響いた!緊張が走る。地雷なのか、そうじゃないのかを慎重に調べる。もっとも危険な瞬間だ。

今回は地雷ではなく手榴弾だった。「危険はない」とのことで、ホッと胸をなでおろす。

手榴弾

撤去済みの地雷を見せてもらった。「Danger!Mines!(危険!地雷!)」と書かれた赤いドクロマークの旗の下に埋まっているのが、地雷だ。

地雷を見せてくれる高山さん

この地雷を爆破処理する。着火してから爆発までの時間は3分。それまでに安全な場所へ避難せねばならない。

私は離れた場所から固唾を飲んで見守る。プロ集団とはいえ、とても心配だ。

そして……ドッカーン!!爆音が鳴り、黒い煙がモクモクと立ち込める。無事に処理が成功したのだ。

地雷を爆破処理

地面にビニールシートをひいて、みなさんと昼食もご一緒させてもらうことに。

平和なランチタイム

「スイカもどうぞ」と切り分けてもらうと、高山さんから耳を疑う言葉が。

「カンボジアではスイカと魚と一緒に食べるんだよ。みくちゃんもせっかくだから食べてみなさい」

人生初のスイカと白身魚の組み合わせ。私は眉間に皺を寄せながら、なんとかゴクリと飲み込んだ(笑)。

人生初、スイカと魚の組み合わせ

平和で楽しいランチタイム。しかしこの周辺にも、地雷が埋まっている可能性がある。


2007年1月、高山さんにとって人生でもっとも辛い出来事が起こった。高山さんが現場を離れていたある日、デマイナー7名が対戦車地雷の爆発事故により亡くなってしまったのだ。

知らせを聞いた高山さんは現場に駆け付け、散乱した遺体を収集した。トラウマで眠れない遺族の自宅に毎日通ったという。

地雷処理活動の継続は、もはや困難かと思われた。だが残されたデマイナーで「やめたい」と去るものは、誰ひとりいなかった。

出典:READYFOR

「自分を信じてくれる彼らと一緒に、必ずカンボジアの復興をする」と、高山さんは心に固く誓った。

「7人の死を “かわいそう” で終わらせてはいけない。100年先も彼らのことを活動の根幹におこう」

そんな思いを込めて慰霊塔を建てた。

私がタサエン村を訪れた2017年は、事故が起きてからちょうど10年目の年だった。「殉職デマイナー10周年の慰霊祭」に、私も参加させてもらうことに。

会場に到着すると、設営準備の真っ最中。高山さんは次々と指示を出しつつ、「もっと自分たちで能動的に動いてくれよ〜」とぼやく。

慰霊祭が始まり、高山さんがスピーチをした。

「事故の責任はすべて私にあります。心よりお詫び申し上げます。死ぬまでタサエンの復興に携わり、少しでも皆さんの生活を豊かにするお手伝いをすることで、彼らの供養ができればと思っています」

涙が込み上げる。ご遺族は真っ直ぐな目で高山さんを見つめている。娘を亡くした男性は、遠方からはるばる慰霊祭に参加していた。

ご遺族の方々

慰霊塔に飾られている殉職者7名の遺影の左端に、ひとりぶんのスペースが空けてある。ここには高山さん自身が入るつもりだという。

左端に空けてあるスペース

「いつかタサエンの土地がすべて生まれ変わったら、その平和の礎に犠牲となった7人がいることを、慰霊塔がずっと伝え続けてくれる。慰霊塔を守り抜くことが、彼らの供養になると信じています」

慰霊塔の前で記念撮影(2020年に慰霊塔は新しく生まれ変わりました!)

現地のサポートを続けるなかで、高山さんは「地雷処理は復興の一助にはなるが、それだけでは難しいのではないか……」という考えに至る。

経済的な自立を目指し、地場産業を興せないかと考案したのが、主産物のキャッサバを原料とした芋焼酎だった。

カンボジアの元地雷原から生まれた、キャッサバ焼酎「ソラークマエ」。酒造りの経験のないところから試行錯誤を重ね、風味豊かで味わい深い酒が誕生した。

出典:ソラークマエ「平和な大地に乾杯を」

日本企業からの評価は高く、2023年1月には、フランス・パリで開催された国際見本市にも出店するまでに。

ソラークマエの成功を受け、無農薬で栽培したモリンガやパパイヤ、バナナやアボカドのドライフルーツなどの加工品を始め、次々と商品開発に取り組んでいる。

高山さんは強い眼差しで語る。

「一度銃の引き金を引くと、後世に大きな負の遺産を残してしまうのです。現場からこの事実を、国際社会に訴え続ける必要があります」

そして続けた。

「人間が犯した罪を、後世に残すわけにはいきません。しかし、“戦争反対”と訴えるだけでは、平和はこない。現実を直視して、現実的に活動しながら、現実的な平和構築をみんなでやらねばなりません」

▶後編に続く


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