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noteはオットへの長編ラブレター

わたしがnoteをはじめたきっかけ。

それは、難病のオットを支える傍らで
ずっと探している答えを探すためだった。




オットはわたしと結婚する直前に、
免疫介在性壊死性ミオパチーという難病に侵されていることが分かった。
平たく言うと、自分の免疫が、自分の体を攻撃してしまって
筋肉が壊れている状態が続く、というなんとも恐ろしい病気だ。

しかし、
「自分に合った薬と出会い、リハビリを頑張れば日常生活に戻れる」という主治医の言葉を信じて、約3年、二人三脚で頑張ってきた。


そんな3年間の中で、昨年の1年間は
まるで出口のないトンネルを2人でずっとさまよっているような
とても長く、苦しい1年だった。

オットの体調が悪化し、日常生活が難しくなりつつあった。
日に日に、うまく歩けなくなり、
薬の副作用で長く寝れなくなったオット。
今思うと、長く寝すぎてしまうことで体が固まり、
うまく動けなくなるのが怖い、というのも
不眠につながっていたのかもしれない。

けれどもわたしはわたしで、片道2時間の通勤に耐え、
たったひとりで切り盛りしていた課(採用や育成)で
骨身を惜しんで働いていた。
家に帰ると、オットのお世話と、家事全般。
オットのこまぎれ睡眠に合わせて、おトイレの介助。
正直、イライラしてしまうこともあった。
もう、とても、ヘトヘトだった。


お互いに、あと一滴、しずくが垂れたら
コップが溢れてしまいそうな状態だったと思う。


なによりも一番つらかったのが、
オットのメンタルが不安定になっていくことだった。

通信制高校で体育教師をしているオットは
体育大学出身で、もちろん運動神経は抜群だったし、
スポーツトレーナーの資格もあり、
普通の人よりも体の仕組みの知識がある。

そんな人が、毎日毎日、
眠れない中で、日に日にうまく動かなくなる自分のからだと向き合わざるを得ないということは、どんなにか怖かっただろうと思う。
そのうえ、人として本当にできている人なので、
わたしに対して、「当たる」ということを一切しなかった。


そんなオットがある日、
わたしの前で初めておかしくなった。

きっかけは、足に力が入らなくなり、立てなくなったことだった。

いつもなら、私が体を支えて、立ちやすくするところを
オットが強く拒んだ。

「自分で立ちたい。」

そういい、何度も挑戦するけど、
立てない。

オットは何度も何度も、自分の足を叩いた。

「こんな足!なんでっ」と繰り返し繰り返し自分の足を叩く彼に

「足がかわいそうだからやめて!!」と思わず飛びついた。


オットはわんわん泣き始めた。
そして、

「もう死にたい」

とつぶやいた。


わたしはかける言葉がなくて
一緒にわんわん泣いた。


「そんなこと言わないで」「がんばろう」
なんて、言えないくらい
オットはとても頑張っていて、
そんな姿を日々日々見ているわたしは
とてもじゃないけれど、これ以上頑張ってほしいと言えなかった。

そして、東日本大震災で大切なひとを亡くし、
今まで教え子の自死にも向き合ってきた彼が言う「死にたい」は、
簡単に口から出たものじゃない、と思った。

こころの中では、「わたしのために生きてほしい」と思ったけれど、
その時はなんだか、その一言が出なかった。
それはわたしのエゴで、もっとオットを苦しめる気がした。
それくらいオットは、とても追い詰められていた。


だから、「死ぬなら、一緒に死のうね」と言って、
2人でわんわん泣いた。


それが正解かどうか、わからない。
たぶん、日本の倫理や、日本の教育的にはNGだろう。

その日、はじめて、会社をずる休みした。
直感的に、この人を一人にしてはいけない、と思った。

うまい言葉もかけられない。
急激に効く、お薬もあげられない。
わたしにできることは、ただただ横にいることしかなかった。

その日は、彼はリハビリもさぼって
わたしは仕事をさぼって
ひたすらにおいしいものを食べて、昼寝して、ゴロゴロした。

ちょっとずつ、オットが落ち着いていくのがわかって
心底安心した。


歩けなくなるより、立てなくなるより、
オットが「死にたい」と思うことが
わたしは一番怖い。

なんとなく、今まで何人もの「死にたい」気持ちを抱えた教え子と向き合ってきて、受け止めてきたオットは、その対極にいる人だと思っていた。
そんな彼でもチラつく「死」とは、一体なんなのか。
とにかく、一瞬でも手を離したら、もう2度と戻ってこれないと思った。

冷静になった後、
心療内科に行くことも夫婦で検討したけれど、
今まで何回も心療内科に行ってもダメ(むしろ薬に溺れていくよう)な教え子をたくさん見ているから
自分は絶対に行かない、と言ってた。


病気は、主治医が薬を出せば、良くなるかもしれない。
体は、リハビリ病院でリハビリを積めば、良くなるかもしれない。

けれども、「死にたい」
その気持ちは、
本当に誰のそばにもあって、急に飲み込まれてしまうときがあって
とてもこわいことだと、身をもって感じた。

その気持ちは本人と、誰かが一緒にたたかわないと
絶対に乗り越えられないんじゃないかと思う。


あの1日を夫婦でしっかり向き合って、逃げなかったから
あれからオットが死にたいと言うことは1度も無かった。

けれども、これからの人生で、またこの
「死にたい」の気持ちが出てきたら。
わたしには何をしてあげられるんだろう。


それが最初に書いた、「ずっと探している答え」。



病気を理解したい。
障害を乗り越えたい。
できないことに、負けたくない。

世の中の言う、自己犠牲とは違う形で
オットを支えていきたい。

「わたしのために生きてほしい」と言えるような「わたし」になりたい。
オットにとって、生きる希望になりたい。



いつかまた、オットが死にたくなったら、
このnoteをそのまま渡そう。


つまり、このnoteは、わたしからオットへの、
長編ラブレターだ。

サポートありがとうございます。 大好きなオットのために、使わせていただきます🙏