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今日があって明日が来る。平成があって令和が来る。

私は平成元年生まれだ。今年で30歳になる。

平成とともに生まれ、30歳になる年で平成が終わる。なんだかとても区切りがよくて、嬉しくなる。なんでもないはずなのに、自分は特別なんじゃないかという気さえする。

新しい元号は「令和」に決まった。

テレビの前で今か、今かと発表を待った。

令和と聞いた瞬間、規律正しい美しい着物の女性の姿が目に浮かんだ。私は令和という文字に良い印象を感じた。

新元号になるにあたって、決意や抱負、目標を定める人も多いと思う。けど私は特にそういうものは決めないでおこうかな、と思っている。

目標はいつだって自分を高みに連れて行ってくれる1つの要素ではあると思うけど、今の私にとっては、何とか地に足をつけていることが一番大事で、難しいことだからだ。

実際、新年度が始まる今日「4月1日」を自宅で過ごした。1週間前から体調不良で休みを取っていた。思ったように体調は回復してはくれないし、なぜ自分はこんなのだろうか、とすごくマイナスな気持ちになるけど、でもそれも含めて自分だし、自分が一番自分のことをわかっているわけではないから、まぁ仕方ないかなと思っている。

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昨日、天気がよかったから家の周りの散歩をした。

普段は駅と自宅の往復で、同じ道しか使わないから、駅とは真逆の方へ歩くことにした。

こんな風景があったのか、と逐一驚いた。中でも一番驚いたのが、自宅から目と鼻の先に知らない中学校があったことだ。

中学校ぐらいどこにでもあるし、不思議なものではないのだけれど、私の日常生活でその中学校に通う生徒は一人も見たことがなかったのだ。
私の自宅はどうやら、校区の境目だったらしい。ほんの1本道を隔てただけで、中学校が違う。10年以上今の家に住んでいるのに、全く知らなかった。
人間って、ほんとに見たいものしか目に入らないんだなぁと実感した。

まだ学校は春休み中だけど、新学期がはじまったら、またそっちの方面に散歩に行ってみたいと思っている。

年を重ねるごとに、どんどん新しい発見がなくなって、人生に対して新鮮味がなくなっていくような気がしていたけど、新鮮さってこういうことでも充分なんじゃないかな、と思えた。

学校が変わったり、職場が変わったり、結婚をしたり、子どもを産んだり。
そういうことって、とてもわかりやすい変化ではあるけど、私はそれらをとてもリスクに感じる性格なので、純粋には楽しめない。

けど、毎日が面白くなくて、なんのために生きてるんだろうか、刺激が欲しいと思ってしまう。そんなときだから、小さい新鮮を大事にしていきたいな、と思えた出来事だった。

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時間は連続だ。
明日は突然来ない。
焦る気持ちはあるけど、残りの平成の時間も大事にしたいな。

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