見出し画像

エブリ・ブリリアント・シングの音楽⑤サムとの思い出編

興味を持ってくださりありがとうございます。エブリ・ブリリアント・シング(以下EBT)の考察⑤「音楽・サムとの思い出編」です。


前置きとして、EBTの没入感の仕掛けの考察や感想などを(ネタバレなしで)別にまとめていますので、よろしければそちらもご覧ください。

ここから下はがっつりネタバレしますので、ネタバレが苦手な方やまだ観ていない方はご注意くださいね。

以下のリンクはイングランドのTheatre By The Lake(以下Lake版)が公開しているEBTの脚本です。このスクリプトを中心に、日本版EBTと参照して考察しています。
Every Brilliant Thing by Duncan MacMillan - Theatre by the Lake


当日配布されたパンフレット



この曲からいきましょう。

Etta James の At Last

"At Last" は初めヴォーカルなしで1941年の映画に使用され、1942年の映画「オーケストラの妻たち」でキャストのヴォーカル入りで発表されたものです。

2006年にビヨンセが映画「ドリームガールズ」でカバーし、2009年にはその曲でオバマ元大統領夫妻がファーストダンスを披露したというエピソードのある「At Last」は、欧米ではウェディングソングの定番です。

EBTで使用されたのは、1960年にエタ・ジェイムズがカバーしたもの。

この曲についての背景の解説と日本語訳で興味深い記事をみつけたのでリンクしておきます。
お時間のある方はぜひ読んでみてください。

この記事を書かれたabbie kさんは『この曲における「At Last」とは、辛かった時期を経た先にやっと掴んだ幸せ、というニュアンスが込められた「at last=ついに」なのだ』と解説しています。

また映画「オーケストラの妻たち」では、この曲が演奏される中で出会ったふたりが結婚し、やがて喧嘩別れをしてしまったあと、街角でこの曲を耳にした女性が彼への愛を思い出す鍵になっています。

この曲がウエディングソングとして人気なのは、映画のストーリーや歌詞のニュアンスなどから、紆余曲折あっても最後には結ばれる運命の2人というイメージがあるからかもしれませんね。

 

そんなふうに眺めてみると、原作者たちがこの曲を選んだ背景に「僕」の抱えてきた孤独からの救いや、運命の変化を象徴する意図があるのかもと感じます。

原作から10年以上かけてEBTを育てたDuncan Macmillanのインタビュー記事を読んでいると、さまざまな立場におかれて不安になりやすい人たち(その周囲の人も含めてまるごと)を美化したり抽象化で誤魔化すのではなく、現実的な救いについて演劇で示す方法を模索してきたことが伝わってきます。

EBTを観ているとその想いが随所に溢れていることに気づかされ、その仕掛けに何度でも胸が熱くなります。

Daniel K. Isaac with an audience member | Photo: Isaak Berliner




さて次は、サムのリストを受け取ったあとに流れた曲です。

Move on Up:カーティス・メイフィールド

カーティスの1970年のアルバムで発表され、1971年にシングルカットされた曲で、差別や周囲の人々の無理解に屈したり惑わされることなく、希望を抱き、信じる道を行けばいいと若者の背中を押す賛歌(アンセム)とされています。


お母さんの力になることに挫折を感じていた「僕」は、リスト作りそのものを「愚かで幼稚なリスト」「遺伝による鬱病(注1)に対して、Brilliant Listで立ち向かえると考えるなんて純真すぎて恥ずかしい」と否定的に捉えるようになっていました。

しかし、そのリストにサムは感銘を受け、賛同の姿勢を示し、そんな「僕」を愛しく想い、ふたりの関係を進めるために勇気を出すことにしたと1000~1005のリストで伝えています。

それを3時間も眺め、サムの気持ちを確信した「僕」は、勇気を得て今度こそ1000個のリストを書きあげます。

そしてその後、夢のように楽しい日々を駆け抜ける間も、カーティスの曲が「僕」の背中を押してくれるのです。

1007:時々、いまの気持ちにぴったりの音楽があること
Music begins: ‘Move On Up’ by Curtis Mayfield.
The NARRATOR moves quickly around the room.

1008:こっそり部屋で踊ること
1009:人前で大胆に踊ること
1010:その人の感じていることを的確に表現しているものを読むこと

中略

9995:恋に落ちること
9996: Sex
9997:料理を作ってもらうこと
9998:好きな映画を観ている人を見ること
9999:夜更かししてするおしゃべり
10000:恋人とお昼まで寝ること

Lake版

1008、1009では、嬉しくてはしゃいだ夜、リストを書きあげるためにコーヒーを入れようと部屋を出て、廊下ですれ違う人に驚かれるくらい飛び跳ねてる「僕」が目に浮かんできます。

1010は、サムのリストに感銘を受けて書き加えたものに感じられます。気持ちが嬉しかっただけでなく、彼女の聡明で機知あふれる返し方にも心が響いたのではないでしょうか。

9997は、Lake版では「being cooked for」と書かれているだけなのですが、サムが料理を作ってくれている隣で、幸せをかみ締めながらその場で書いてる感が伝わる、素敵な表現になっています。

ハムなしハムマヨサンドを作って食べていた夜を思い出すと、涙が出そうになってしまうくらい本当に素敵なリストたち。

Photos courtesy of The Illuminated Stage



では「僕」の恋を励ました Move on Up の歌詞をみていきましょう。以下、意訳です。

******************

Hush now child and don’t you cry
Your folks might understand you by and by
Just move on up towards your destination
Though you may find from time to time complications
もうぐずぐず泣くんじゃない
お前の親もじきに理解してくれるはずだ
迷いを断ち切って先へとすすめ
ただお前の信じる道へ
時には困難なことにも出くわすだろうが

Bite your lip and take a trip
Though there may be wet road ahead
And you cannot slip
Just move on up for peace you will find
Into the steeple of beautiful people where there’s only one kind
唇を噛み締めて旅に出るんだ
足を取られやすく注意が必要な道もあるだろうが
お前ならきっとやれるはずだ
不安を断ち切ってまっすぐに進んでいけばいい
お前にとってのpeaceへと向かって
差別などの隔てのない
気高い人々だけがたどり着く先へと向かって

So hush now child and don’t you cry
Your folks might understand you by and by
Move on up and keep on wishing
Remember your dream is your only scheme
so keep on pushing
だから少年よ、もう泣くんじゃない
家族だってじきにわかってくれるはずだ
迷いを断ち切ってとにかく前へ進め
そして願い続けろ
お前の抱く夢や願いこそが
お前自身を成す根幹であることを忘れるな
諦めずに追い求めろ

Take nothing less than the supreme best
Do not obey for most people say ’cause you can past the test
Just move on up to a greater day
With just a little faith
If you put your mind to it you can surely do it
安易に妥協をするな
多くの人が簡単な方法を示してくるだろうが
惑わされずにもっともっと上へと進め
やり遂げるという信念さえあれば
必ず成し遂げることができる

Just move on up, Move on up
But move on up
Oh child, but just move on up
But move on up, Move on up
迷うことなく進め、もっと上を目指して
前に進む以外に道はない
少年よ、信じた道を行くだけだ
高みを目指して進め
振り向かずに進んでいけ

******************

© ArtsATL

カーティス・メイフィールドがソロ・デビュー作『Curtis』でこの曲を発表した1970年の背景には、1950-80年にわたって展開していったアフリカ系アメリカ人の公民権運動や人種差別撤廃運動があります。

彼のかっこよさは、真っ向からガチガチに対立する立場をとらず、社会悪を風刺しながらも人間に対する希望を歌って鼓舞させるような、慈愛に満ちているところだと多くの人が語っています。清濁併せ吞むように眺めることは妥協ではなく、真の強さのために最初に乗り越えるべき壁だと示しているようにも感じます。

黒人問題を考える時に、総括的に(例えば暴動やキング牧師の演説や法律の改正など抽象的なイメージで)捉えてしまうと、私たち日本人にはこの曲がそれほど強くは響かないかもしれません。

この曲を翻訳していて思い浮かべたのは、リトルロック高校の事件でした。

ウェルテル効果に限らず、社会とは群衆の思潮にのまれやすいのです。一つの出来事が波紋を呼び、うねりに巻き込まれることで社会が大きく変化することを「時代」と呼ぶのだとおもいます。

現在、過去と比べて良くなったと思えることの多くは、特定の人や集団を批判する声の力だけではなく、困難なその道を切り開いた勇気ある人たちの勝利としてあることを、改めて気づかせてくれる曲でもありますね。


「僕」がサポートグループのセッションで「本当に話しにくいことほど、誰かに話す必要がある」と語るシーンがあります。それは誰かとの対話が、困難を乗り越える当人の助けになるという意味ですが、自身の経験を他者と共有することによって、いつか誰かの道を照らし勇気づけることに役立つという一面もあるとおもいます。

偉業を成し遂げようと奮闘する人たちだけでなく、目線をぐっと下げた世界のあちこちにいる、日常の暮らしの中で唇を噛みしめる誰かの処にも、ささやくようなMove on Upが届くといいですよね。


©INREVIEW: Photo: Matt Byrne


興味があれば、リトルロック高校の事件についての動画をぜひご覧になってみてください。関連する映画として「ミシシッピーバーニング」などでも問題の複雑さと困難さを知る手掛かりが得られます。Move on Upを「僕」たちがどんな風に聴いているのかにも、理解が深まるとおもいます。




注1)原作のまま書きましたが、ここで言う鬱病とは双極性障害(旧  躁うつ病)を指しているとおもわれます。双生児研究によって現段階では遺伝との相関があるといわれていますが、研究によって今後見解が変わる可能性も否定できません。





2005:Chicago の I'm A Man


劇中では流れていないとおもうのですが(曖昧)、リストの2005にあげていた曲です。おもわず見出しにも書いてしまいましたw

佐藤隆太さんの息の弾むような「2005、シカゴの I'm a Man !」がいまも耳に残ってる、という方も多いのではないでしょうか。

カーティスのMove on UpのアルバムVer.のドラムブレイクがかっこいいという話の流れで「ほかにも同じようにかっこいい曲があるんだ、I'm a Manって聴いたことある?」と紹介してくれています。

もとはイギリスのThe Spencer Davis Groupが1967年にリリースした曲で、1969年にシカゴがカバーしたものです。

以下は The Spencer Davis Group についての記事になりますが、歌い手のテンションをそのままユニークに和訳したものを発見したので貼っておきます。リンク先では彼らのVer.の動画も観られます。聞き比べてみるのもおもしろいかも。シカゴよりもイギリスっぽさが強い気がします(気のせい?)。




そしてこちら。

Some Things Last a Long Time : ダニエル・ジョンストン

この曲は1990年に発表されたアルバムに収録され、彼のドキュメンタリー映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』(2005)のテーマソングになっています。今回初めてこの映画を観ました。彼に関する記事を読むと双極性障害と説明されているものが多かったのですが、もう少し複雑そうな印象を受けました。

EBTでは直接言及されませんが、お母さんは単なるうつ病ではなく双極性障害だとおもわせる台詞があります。「僕」がハイタッチをして走り回った後「母さんもそうだった。いつもはしゃぎすぎたり、気持ちの波が大きかった」とつぶやく場面です。

その後に続く「幼少期には考えすぎず素直に喜べたけど(成長してからは)嬉しさの後にくる落胆が怖くて、純粋に幸せを味わえなくなった」という語りから、お母さんの気分の波に振り回されたことが想像できます。

また、双極性障害は遺伝的な要素が強いといわれてきたので、お母さんとの類似点に「僕」が感じる不安も窺い知ることができます。

一般的な心の仕組みとして、喜びのあとに苦痛な体験がしつこく繰り返されると、体が無自覚のうちに警戒反応とセットで記憶し、不安を生じさせる身体反応を獲得します。やがてその不安が自覚できるようになると、不快な状況を避けるために喜びをもたらしそうな場面から距離を置くようになります。

当然、幸せな体験の機会も極端に減ることになります。そしてストレスには敏感になっていき、自律神経失調状態などの体の不調が生じやすくなります。

これは健康な人でも状況によっては容易に起こります。卑屈さや斜に構えた態度などは本人の性格によるものと捉えられがちですが、動物に備えられた防衛機能によって後天的に身についただけなのですよね。

人の行動はその人の気質が環境によって育てられた結果なのです。つまり、遺伝的な要素でさえ必ずしも発現するとはいえないことになります。

「僕」のように、不安な心が少しずつほぐれていくことで、本来の自分よりも深みのある人間に成長することができます。これもまた環境からの影響に左右されていくのです。人の脳には可塑性があるので、時間がかかったとしても希望を失う必要はないとおもいます。

その経験をしない方がよかったのか、経験により得たものに目を向けるかについては、そういえば最後に「僕」も語っていました。その経験をしない「もしも」の世界が一点の曇りもない素晴らしいものになった可能性もあるけれど、本当のことはその環境に身を置いてみなければわかりません。



© 2023 The Esplanade Co Ltd PHOTO:Tuckys Photography


D・ジョンストンのこの曲をEBTに起用したのは偶然ではないですよね、たぶん。彼が世に出たきっかけはテキサス州オースティンで1980年代に自作のカセットテープをあらゆる人にあらゆる所で配ったことにあり、一般人にも知名度があがったのは1992~1993年にニルヴァーナのカート・コバーンが彼への支持を表明したことにありました。

「僕」とサムは同年齢か同世代で、この曲がリリースされたのは1990年で、ふたりが出会ったのは1998年です。当時「僕」はこの曲を知らなかったと言っているので、音楽に精通しているか、流行に敏感か、コアなファンか、ニルヴァーナに関心のある状態でなければ、知らないような曲だったと想像できます。「僕」が非社交的で、テレビよりは既にあるレコードを聴く生活だったせいもあるかもしれませんが。

D・ジョンストンは幼少期からユニークな子どもでしたが、宗教的に厳しい家庭で育っていて、彼の個性は母親から許容も受容もされませんでした。1985年に偶然MTVの番組に出演したことでプロへの道が開けると、業界との関わりから薬物に手を出し、双極性障害の発症のきっかけを作ってしまいます。彼の才能に惚れ込んだ人たちがチャンスを与えようと奔走するのですが、症状は悪化して次々に問題を起こし、1990年には大変な事故を起こして精神病院に長期入院することに。

入院中、精神を病む偉大な才能の持ち主というセンセーショナルさに惹かれたのか、レコード会社が争奪戦を繰り広げています。その後1996年に発表したアルバムはレコード会社の期待した売り上げにならず、契約は破棄されました。

最初のファンは純粋に彼の音楽性に惹かれたはずですが、それを利用して儲けようとする人たちは美化したり誇張することで売り上げを伸ばそうとしますよね。映画によるとD・ジョンストンは、ライブ前の数週間は薬を飲まずに準備するようになっていました。結果を出したかったからです。双極性障害は治療が滞るほど悪化するといわれています。彼の問題は、悪魔が存在すると信じるあまりに妄想が暴走し、奇行を繰り返してしまうことでした。最後は自殺ではなく心臓発作による自然死を迎えています。

ここからは想像ですが、D・ジョンストンの怯えていた悪魔は、抑制しなければという強迫観念により姿を変えられた彼自身にみえました。なんらかの欲求を自覚した時、同時に、厳格な宗教観によって拒絶の感情が生じ、脳の機能が混乱してしまったのではないかと。お母さんや宗教を糾弾したいのではありません。恐ろしい狂気などではなく、双極性障害に抗おうとした結果なのだとしたら、彼の生育環境にあったのがその一面のみだったことが本当に残念におもうのです。


話を戻します。

双極性障害は、躁と鬱の波が分かりやすく大きいものと、日のうちでもその波が変化するなど判別が難しいものと2つに区分されています。心の弱さの問題ではなく脳の機能が障害されている状態で、薬に頼る必要があります。躁状態が落ち着くと当人に大きな罪悪感が生じるため、自殺に繋がる危険が生じます。

お母さんのケースはD・ジョンストンと同じ状態だったと感じられる明確なエピソードはありませんが、当人の苦悩を見守るだけでも家族は大変な辛さだとおもいます。

Copyright © Nicholas Drashner


この曲は、サムがはじめて「僕」の実家に遊びに来てくれた日に歌ってくれた歌でした。

サムは、「僕」の世界を広げてくれた存在でした。どんな教科書よりも学ぶことが多かったと語られています。

We’d swap books and discuss them over coffee.
I read things I would never have encountered otherwise.
I probably learned more from the books Sam gave me than from any of my course texts.

Lake版

子どもから大人へ変わっていく時期に、友達でも恋人でも誰かを特別に好きになって親密な関係を築くことの素晴らしさは、幸せな気持ちを味わうこと以上に成長することが大きいとおもいます。

機能不全家族で育ったことを誰にも悟られないように生きてきて自己開示が難しくなった子どもにとっては特に、人生を変える出会いです。青年期の恋愛はアイデンティティを補強するためのものといわれていて、相手との対話を通して自分を承認できるようになると考えられています。お互いに大切な存在として支え合い、成長していくのです。

サムのリストの1004番目に「シャイで拒絶されたくないふたりが」と書いていることから、彼女も内気で遠慮がちで臆病な面を持っていることがわかります。

しかし彼女は「僕」から本を借り(リスト:1000)、挟んであったリストをみつけたことで、そこから何かを察し(1001)、そういう「僕」の一面を発見して感銘を受け(1002)、人生で初めて、四六時中誰かのことばかり考えてしまう経験をし(1003)、怖いけれど勇気をだして自らが言葉にしようと決意した(1004)、と書いています。



Copyright Studio Theatre



ちなみに、「僕」の本に挟んであってサムが眺めたものは17歳のときに書いたリストです。たぶん824番以降で、読み上げられたものでいうと992~999まで。

リストの824の直前をさかのぼると【324:ニーナ・シモンの声(バゲットにステンシル)】、【761:年をとっても木登りをやめない覚悟】、【823:素っ裸で泳ぐこと】と連続で読み上げたあと「大学に出発する1週間前を迎えた」と語られるからです。季節が夏だったことが窺えます。

それ以降に読み上げられたリストです。

992:野生動物保護区でカワウソに会うコツを知っていること
993:デザートをコースのメインにすること
994:いうことを聞いてくれる美容師
995:プチプチ
996:本当に美味しいオレンジ

ここでナレーションが入り、お母さんがもうお父さんを愛していないんじゃないかと思い悩み、それを打ち消すためにリスト作りに集中したと語られます。

リストの995からは、プチプチを潰しながら荷造りをしている様子が窺えます。大人になっても、なぜかやりたくなりますよねw

997:自転車で坂道を下ること
998:中華味噌をつけて食べる北京ダック
999:太陽の光

目的は1000だ!と直前まで言っていたのに、最後のひとつは書かずに郵送しています。理由は明かされていませんが、お母さんから返事が来るか、愉しいクリスマスを過ごしたら加えようとしていたのかもしれません。
願掛けのようなものだったのかも。


サムに(告白する)勇気を与えたリストとして眺めてみると、992~999だけではないようにも感じます。読み上げられていない824~991にはどんなことが書いてあったんでしょうね。(原作にまつわる記事には、Facebookで実際に公募してリストを作っていたことが書かれています)

注:このFacebookがそのページなのかは不明です。


以下意訳。


Some Thing Last a Long Time 
 :Daniel Johnston


Your picture is still on my wall, on my wall
The colors are bright, bright as ever
The red is strong
The blue is pure
Something’s last a long time
君の写真がまだ壁にかかっている
色あせることなく輝いてる
前よりもずっと
赤は力強くて、青は澄んでいる
ずっと変わらないものもあるんだ

Your picture is still on my wall, on my wall
I think about you often, often
I won’t forget the things we did
Something’s last a long time
君の写真がいまも部屋にあるんだ
君のことを考えるんだ 何度も何度も
ぼくらの思い出を忘れたりしない
いつまでも消えずに残るものなんだ

It’s funny  but it’s true
And it’s true  but it’s not funny
Time comes and goes
Although the while I still think of you
Something’s last a long time
おかしなことだけど、本当で
本当のことだから、笑えない
時が過ぎ去っても
それでも僕は君のことを想ってる
ずっと変わらず続くものもあるんだ

Your picture is still on my wall
The colors are bright, bright as ever
The things we did
I can’t forget
Something’s last a lifetime
Something’s last a lifetime
Something’s last a long time
君の写真は壁にまだかかってるよ
色あせることなく、いつまでも輝いてる
僕らの思い出をずっと忘れたりしない
一生モノの思い出さ
僕の一生の宝物なんだ
いつまでも長く残るものだってあるんだ



© Copyright 2023 Ladue News   Photo by Jon Gitchoff



ちなみに、「僕」が一度は捨ててしまったリストを隠してあることを知らせるために、サムが選んでメモを挟んだのはカーティス・メイフィールドのレコードです。

どのアルバムだったのかは書かれていませんが、彼の作品は人々に希望を与えポジティブに語り掛けるものなので、「僕」の心がそのチャンネルに戻って来るのを、サムが願い、信じていたことを想像させます。

そしてその時がきたら、カーティスの音楽で「僕」の背中を押したいと考えていたことも窺えるチョイスになっていて、彼の音楽性を知ってからそのエピソードを聞くと、サムの愛と考えの深さに胸が熱くなります。

サム、君って本当にすごいよ。


お母さんが亡くなったことを知ったサムは「僕」にメールを送り、グスタフ・マーラーとビヨンセの関係をリストに加えるように提案します。離婚前、サムはリストを再開することを勧めていました。「僕」が書けなくなっていることも知っていたはずです。

「僕」がお母さんを亡くしたと知り、どれほど辛い思いをしているかを想像したサムが、生きる価値を見出して欲しいと願っている気持ちが伝わってきます。

「僕」は数か月お父さんと穏やかな時間を過ごした後、これまでのリストを全てパソコンに入力し、その続きを書き始めます。そして中断していたところから続きを書き始め、826979にそのことをリストに加えたと語ります。


あれ?

実際にどうしてもリストが書けなくなった時のナンバーを覚えていますか?「僕」が3度も読み上げて会場が一瞬ざわついた、あの番号です。


826978


そうです。書けなかったのは826978でした。

それなら、グスタフ・マーラーとビヨンセの関係の前に、1つリストがあるはずですよね。なぜそれを飛ばしたのでしょう。

Ps. I heard the other day that Beyonce is related to the composer Gustav Mahler. It occurred to me that this is a fact that should be on your list.
Truly a brilliant thing. (ここまでがサムのメール)

I stayed with Dad for a few months after the funeral. We’d spend the days walking or reading or listening to records.
葬儀の後の数ヶ月、父さんのそばに居た。散歩したり本を読んだりレコードを聴いたりして僕たちは過ごした。

He’d fall asleep in his armchair and I’d sit at his desk and type up the list, starting at the very beginning.
父さんが肘掛けイスで眠ってしまうと、僕は父さんの机でこれまでのリストの最初から入力していった。

1. Ice cream.

It was a lot of work. Several weeks of sleepless nights.
大変な作業だった。眠れない夜がしばらく続いた。

Once I got to the end I kept going from where I’d left off.
入力し終わると、リストの続きを再開した。

826979. The fact that Beyonce is Gustav Mahler’s eighth cousin, four times removed.

I completed the list.
そしてリストは完成した。

Lake版




メールで、あなたの声が聞きたいとサムは書いていたと語られています。そしてLove, Sam xと書いてあったことも。
個人的な想像ですが、私はこのメールのことをリストに加えたのではないかと考えています。

悲しいときに気持ちに寄り添い、愛のこもったメールくれる人がいること。
遠くにいても、ハグする気持ちを送るマークが発明されたこと。



EBTの鑑賞後、アフタートークで「サムと再開できましたか?」という質問があがっていました。会場に「僕」の幸せを願わない観客はたぶんいなかったでしょう。佐藤隆太さんは「実際に復縁したかどうかはともかく、二人はずっと親しい関係が続いただろうと、僕は信じています」と語っていました。私もそうおもいます。

だって、こんなに素敵なサムという人のことを忘れてしまうことなんてできます?私ならきっとできない。

「僕」がサムを想うとき、必ずダニエル・ジョンストンの曲を聴いていたというエピソードもありました。そして、それをサムがちゃんと知ってくれていることが、本当に素敵だった。

Something’s last a lifetime
Something’s last a long time
僕の一生の宝物なんだ
それはずっと変わらないものなんだ



1000001:誰かの一番の Brilliant だと知っていること。




この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?