ねぇドラえもん
自分の伸びしろを見失った。
書いているうちに、これがどういう風に盛り上げられて、どういう風に落とされるかがうっすらみえる。
べつに悪い記事じゃない。自分ではいい記事だとおもって書いている。
でも、出来上がってみればいつも通りの僕の文章でしかない。
その未来が書いてる途中から見えてる。そして現実としてそれが目の前にくると、すこしガッカリする。あぁ、またいつもの自分だなぁって。
よくよくこういうことがある。最初はどんどん加速していた楽しさが坂道にはいった途端失速し、やがて壁にぶち当たって停止する。
こういう時、その壁をどう乗り越えるかという方向に僕はいかない。疲れるからだ。僕はつねに「楽ちん」が好きなダメ人間。「努力」の文字は辞書にない。
だから、大抵はその壁を横目にみながら周囲をドライブするようになる。
いつもどおりの風、いつもどおりの景色。
それだって、気持ちよくないわけじゃない。楽しい。でもその場所を離れるわけじゃないから、どうやったって視界の端に壁がみえる。
それが原因で「楽しくない」になってしまうことがたまにある。
僕はわりと多趣味だけど、どれもがビギナーだ。文章もビギナーレベルの枠を出ていないとおもう。
べつにこの枠のなかで楽しんでいるだけで構わないのだけど、書くという趣味は生涯楽しんでいたい。だから、この雛形ガッカリ症候群はどうにかしたいなぁっておもってて。
題材を特殊にすればすこし色が変わるんじゃないかとおもってやってみるんだけど、結局いつも通りになっちゃってる。それでも反応があれば嬉しいし、シェアなんてされようもんならテンションぶちあがりなんだけどさ。
文章研究なんてことは絶対したくないから、てきとうに楽しくやりながら、いつのまにか壁のむこうに行ってましたって具合にならないかなぁ。
悦に浸るために書いてるのに、このままじゃ悦に浸れなくなっちゃうぞ。
最近はエッセイばかり書いていたからまた詩や小説を書いたりもしようかな。
いろんな個人企画が盛り上がってるし、僕もなにか企画してみたりしてもいいかも。本も読めてないから、勧めもらった本も買って読も。
そしてやっぱり壁のむこうへ行けなくても、いつもの景色の美しさを忘れたくない。僕の文章は素敵だなって、ずっと酒のつまみにできるように。
でもそれにはやっぱり、雛形という壁から抜け出すことが必要な気がして。
ねぇドラえもん。とおりぬけフープをだしてよ。
僕をサポートすると宝クジがあたります。あと運命の人に会えるし、さらに肌も綺麗になります。ここだけの話、ダイエット効果もあります。 100円で1キロ痩せます。あとは内緒です。